(第15話は前・中・後編の3部構成。後編です)
元麻布・黄桜邸
いつ来ても圧倒される広さだと、レイは思う。
賛成とレイは緊張していた。婚約の報告にきたのだ。
アールデコ調でしつらわれた広い応接間に入ると、賛成の父・幹二朗、母・良子が待ち構えていた。
女中が高級そうなカップに紅茶を注ぐ。 高級そう..高級に決まってるわよね。
「パパン、ママン、レイさんだよ」
賛成に紹介され、レイは緊張しながらふたりに挨拶をした。
幹二朗の姿は、会社や黄桜邸で催されるパーティの際に時折見かけたことがあるが、良子と会うのは初めてだった。
良子は紅茶をひとくち口にすると、レイに問いかけた。
「レイさんとおっしゃったわね?あなたのお父さまはどんなお仕事を?」
「はい、父は銀行員です。」
「あら、どちらの?どんな役職なの?頭取かしら?」
矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
「東京中央銀行の、融資課長です…やられたら倍返しが合言葉で…」
(※画像と内容は関係ございません。)
つい恐縮して声が小さくなってしまう。
多分良子は私の家柄が気に入らないのだろう。
「融資…課長。そうなの。ほかにご親族に有名な方はいらっしゃる?例えば社長さんとか、大学の教授とか、
画家や小説家でもいいわ」
「いえ。特に有名人は…」
「ママン、レイは事業局で主任でね、湾岸合衆国や、踊る大捜査LINEの映画のイベントとか、
あとほら!玉澤さんがコーラとコラボした企画、あれもレイの発案なんだ。
料理もうまくてね、レイのバナナブレッドのプディングは最高なんだよ。ママンにも食べさせたいな!
おいしすぎて、ぼくバナナになっちゃったくらいだよ」
賛成が必死でフォローを入れる。
おどけてピエロ(バナナ)を演じ、場を和ませようとするが、誰も笑わない。
凍てついた空気に愛犬のおちゃっぴーだけが、賛成の気持ちを汲んでしっぽをふっている。
「おちゃっぴぃ・・・」
冷めた目線でレイを見る良子。
元女優だけに、年を重ねた今も美しさに隙がない。
それが、より一層冷たい印象を演出し、レイを委縮させる。
さすが、女優・・・。
固まった空気を感じ、父・幹二朗が口を開く。
「賛成の選んだひとだ。ママンもそんな言い方しないで」
「あら、わたくしはなんにも?べつに反対はしませんわよ。あら、もうこんな時間。
今晩は赤坂ACTシアターで玉三郎を観るのよ。おトキ!おトキ!出掛けるから車を呼んでちょうだい!」
「ママン!まだ話の途中だよ?!」
賛成の呼びかけもむなしく、良子は部屋を出て行った。
部屋には幹二朗と、賛成と、レイが残された。
「ひどいや、ママン!…ごめんね、レイ、本当に失礼なことを言って…!あーもうっ!」
「大丈夫よ…」
「レイさん。すまないね。気を悪くしないでやってくれ。アレも苦労しておってな。
嫁に来たときは、”女優ごときが黄桜の家に入るなど許せん”と、うちの母にきつく言われ続けてね。
自分はそういう姑にはならんと言っておったが、いや、母親というのはやっぱり嫁につらくあたるものなのか…。
家柄なんぞ気にしないでいいんだよ。賛成もママンをうらまんでやってくれ」
「うん...帰るね。レイ、行こうか?」
幹二朗のフォローもむなしく、賛成は機嫌を悪くしたようだ。
無口になり、レイの手を引いて家を出ていった。
・
レイと賛成が帰った後、幹二朗が書斎で葉巻を吸っていると、良子がやってきた。
「あなた」
「なんだ良子、出掛けたんじゃなかったのか?玉三郎はいいのか?」
「...賛成はあの娘と決まりなのかしら…ほら、お話したでしょう?いい娘さんがいるって」
良子は、賛成の見合い相手をほうぼうから募っていたのだ。
その中でも、京都の旧家で大資産家の八頭ノ小路(やずのこうじ)家の一人娘との縁談を勧めようと思っていた。
「八頭ノ小路の娘…まだ高校生じゃなかったか?」
「今年から黒百合女子大に通ってるの。わたくしあのお嬢さんが賛成にはぴったりだと思うのよ」
「ママン…なぜ反対する?あの子の家柄が気に入らないのか?賛成の好きな娘と結婚させてやろうじゃないか?」
幹二朗と良子は、恋に落ちて周囲の反対を押し切って結ばれた。
そんな良子がなぜ家柄にこだわるのか。
”息子と結婚するということは、黄桜の家と結婚するということ”
良子が幹二朗の母に何度も言われたことだった。
父親を戦争で亡くした良子は、母と弟と三人でつましく暮らしていた。
たまたま近所にあった東活撮影所に遊びにいった時、
ある監督の目に留まり東活ニューフェイスとしてデビュー、19歳の頃のことだ。
デビュー作こそ端役であったものの、二作目で主役の相手役に抜擢され、そこから一気に東活の看板女優になる。
人気絶頂のころ幹二朗と結婚を決めた。幸せの絶頂だった。
しかし、幹二朗の母は厳しかった。
良子の出自、父親がいないこと、女優という職業、全てが気に入らないのだ。
「とても、苦労したわ。絶対に嫁にこんな仕打ちはしないと思った。
でも、賛成を生んだ時わかったの…。
この子は黄桜一族の血を引き継ぐ跡取り。その跡取りにふさわしい嫁を探さなければ…。
今はお母様の気持ちがわかるわ。朱に交われば朱く染まる・・。皮肉ね。
でも黄桜と同じレベルの家柄の娘と添わせるほうが、結局は賛成のためになると思うのよ?
…わたくし、嫌な女かしら?」
幹二朗は答える。
「母の事ではきみに苦労をかけたと思っている。でも、賛成にとってあの娘の支えが必要なら、見守ってやろうじゃないか」
まったく…男は家の中の事なんて何も知らないのだ。
苦労をかけた?そんな言葉で片づけられるものではない。
姑にされた数々のいやがらせや浴びせられた言葉を良子は飲みこんだ。
ここで説明しても到底わかってはくれないだろう。
―家の中に女が二人いるというのは、戦争と同じなのだ―
「…玉三郎に行ってくるわ…」
良子は書斎を出た。
着物に着替えながら考える。
(わたしは、あのレイとかいう娘の家柄が気に入らないと言っているけれど、
結局は、賛成がつれて来た女なら誰でも反対するのかもしれないわ)
賛成を産むと、すぐに取り上げられた。
乳母が育て、良子は普通の母親のように愛情をうまく表現するすべを知らないままだった。
もはや、やり方もわからない。
ものを与えることはできても、ただ抱きしめるという事を思いつかないのだ。
思春期に賛成がグレたときも、ただおろおろするだけ。
歪んだ愛情。
それがここにきて意外な形で表れているようだ。
・
幹二朗は書斎で考えている。
「八頭ノ小路か…ふむ」
八頭ノ小路家は、鉄鋼でのしてきた旧華族系の家柄で、いまはYAZOOグループとして手広い事業を展開している。
※YAZOOグループ、企業ロゴマーク
戦後、国内の鉄鋼産業が下火になると、いち早く事業方針を海外にむけ、
いまやレアアースの発掘、輸出で莫大な利益をあげている大企業だ。
―あの資産力は魅力的だ。
葉巻を吸い、その芳醇な香りを味わう。
賛成と八頭ノ小路の娘を結婚させれば、この日本の経済界を掌握したに等しい。
(政略結婚…)
その4文字が頭をかすめる。
しかし…
賛成は15才の時、一度道を外しかけた。
壊れたのだ。
玉澤のお陰でなんとか修復し、いまや副社長の仕事もしっかりこなすまでに成長した。
グレたのは愛情不足が原因だ。それは身に染みてわかっている。
その賛成に政略結婚を強いるなど、・・・できようか?いや、できない。
(プチテレビの株価は、竜二君と賛成体制になって、過去最高を記録している。
八頭ノ小路との縁は喉から手が出るほど欲しいが、 それはそれ、これはこれだ、賛成の好きにさせてやろう)
幹二朗はよこしまな考えを捨てるかのように煙を一気にはき出した。
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渋谷Bunkamura
紀村とミーコは桟敷席でオペラ「三銃士」を観劇していた。
物語は佳境をむかえていた。
「キャ!ねえねえ、オム・ギジュンのダルタニャン、やっぱりいいわね、
ダブルキャストのもう一方も気になってはいたんだけど。なんだっけ、ダルタヒョンだっけ?
...俊?どうしたの?」
紀村俊のケータイが鳴っていた。
表示名を観て険しい顔になる俊。
電話に出るために席を外してしまった。
(ひとりでみたって...たのしくないんだもんっ)
ミーコの気分が一気に沈んだ。
・
観劇が終わり、セルリアンタワーの最上階でプロヴァンス料理をいただく。
しかし、俊の食はすすまない。
「どうしたの?おなか、空いてない?俊、最近おかしいよ?」
「なんでもないよ」
フォアグラのポワレにナイフを入れる。
しかし、俊はナイフとフォークをおくと、ミーコに向かって言った。
「ミーコ、会社をすぐにやめてくれ」
「わたし...まだ、働き始めたばかりだし...」
「ああ、そうだよな。君には才能があるんだから、それを生かす仕事をするのは賛成だ。
ミーコは家に閉じこもるタイプじゃない。そうだな…。うちの広報部部長でどう?」
ミーコも、食事の手を止めた。
「俊。わたし、いまの仕事、やめない」
「ロンドンで…訊いたよね?俺と仕事、どっちを選ぶ、って。君は俺だ、って言ってくれたよね?」
「うん...そうだけど...。嘘じゃないけど...」
だけど…
(君は、仕事が、好きか?)
玉澤の言葉がフラッシュバックする。
「わたし、まだ入社して間もないし…。おやすみライブしかやり遂げてない...。
それにね!映画のイベントの担当になったの!WHERE ARE YOUってほら、玉澤社長が広報大使やって話題になってる映画!
いまからもっといろんなイベントをしかけてるの!だから...」
ミーコを見つめる俊。
「だから…?」
「いま辞めるのは、無理...」
「ミーコ!」
「そんなの、他のやつが担当するさ?映画の仕事がしたいなら、うちで出資からして映画をつくればいい!
そうだ、ちょうど一個、話が来てるんだよ、”監視者たち”つったかな?若手俳優の評判がいいらしい、
それを買ってそのイベントをしようよ、たのしいよ?」
「違うの!!」
「...どうしたんだよ?」
ミーコのただならぬ様子に驚く俊。
「わたし、…プチテレビがすきなの!あの会社で、皆と一緒に、もっと仕事したいの!」
レイ先輩や、ハルナ、伊藤先輩、黄桜さん、それから...
玉澤社長。
「俊、あなた、最近自分の事しか考えてないのね。今日だって観劇中に電話にでるってどういうこと?
言ってたよね?ステージの上に立つ人間に敬意をもってこそ一流の観客だって!」
「...ごめん...」
「いいすぎたわ。今日は帰る。」
「送るよ」ボーイを呼ぶとレシートにチェックし、ジャケットに袖をとおす。
「今日は…送らなくていいよ。タクシー拾うから大丈夫」
「ミーコ…怒んないでよ。機嫌なおして?」
「俊、怒ってないよ。ただ…わたし、今は、仕事、やめられない。やめたくない。映画のイベント、成功させたいの」
自分でも驚いているが、本心だった。
「ミーコ...俺を... 嫌いにならないで」
「え?」
「なにがあっても…俺を嫌いにならないで…」
弱弱しい声。
「俊を嫌いになんてなるわけないじゃない…」
「ほんと...?」
すがるような目だった。
俊らしくない。
・
ミーコはタクシーの中で思う、俊はなにか重大な問題を抱えている。
多分、プチの事が関係してる。
そのとき電話が鳴った。
着信名は…玉澤だった。
鼓動が早まる。手の震えをおさえながら、電話に出る。
「も、もしもし...」
『あ、ミーコくんか?すまない、こんな時間に。デート中かな?』
「いいえ!デートなんてしてません!」
『よかった、実は明日のイベントの件なんだが、主演俳優が腕を骨折したみたいでね。
急遽衣装を変更したいそうだ。あちらの事務所の社長とはじっこんの間柄なもんで、俺に直接電話がきちゃってさ』
「わかりました。すぐに担当者に連絡して、明日対応できるようにします!」
『ん?なんか声に元気がないな?早く休めよ?』
「は、はい!社長、お忙しいのにすみませんでした」
『モーマンタイ!じゃな、おやすみ!』
プツッ
電話が切れる。
「おやすみ…なさい・・・」
切れてしまった電話のディスプレイを見ながらつぶやく。
あれ、わたし、どうしてデートなんてしてないって言っちゃったんだろう...
どうして、こんなに鼓動がハートビートしてるんだろう...
なぜか、深く考えてはいけない気がした。
とにかく、明日はがんばって立派に仕切ろう。
骨折?衣装変更?
社長、任せてください、モーマンタイです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニューヨーク。ケネディ空港。
そこにシュウコの姿があった。
13時間弱のフライトを終え、背伸びをする。ここが私の新天地。
久しぶりのニューヨーク。したいことは山ほどあったが、そうも言っていられない。
とりあえずマンハッタンにあるオフィスに向かわねば。
シュウコはタクシーに乗り込んだ。
「East Side Manhattan, please. (マンハッタンイーストまでおねがい)」
髭面の運転手に告げる。タクシーは走り出した。
今日はオフィスに顔をだして、挨拶だけでいいだろう。早めにアパートに帰って、ゆっくり荷物をほどこう。
しばらくして、窓の外に見える景色に違和感を覚える。
おかしい。
「 Are we headed to the right direction? (ねえ、ちょっと、道、違わない...?)」
運転手はシュウコの問いかけを無視し、そのまま車を走らせる。
「Hey, hey! Stop the car! NOW!!(ちょ、止めて!止めなさい!おい!)」
怒鳴りつけるシュウコ。しかし、運転手はいたって冷静に、静かな声でこう答えた。
「Ms.Shuko, I had been waiting for you.(シュウコさん、お待ちしていました。)
We won't do any harm, there is someone I would like you to meet.
(手荒な真似はいたしません、会っていただきたい人がいます)」
そう言うと感じよくにっこりと微笑み、アクセルをさらに踏み込んでスピードをあげた。
なんなの…。わたしの名前を知っているこの人はだれ?
「What. . .is going. . .on?(いったい...どういう...ことなの?)」
そのつぶやきには、誰も答えてはくれない。
- 第16話につづく-
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