BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

墓参

2004-08-21 | Weblog
秋の高気圧が張り出した。
寝覚めは気温20℃と、下がった。
青空が昨日に続いて広がった。
秋の収穫、梨や林檎にダメージを受けた、地域によっては曇り。

金メダルが、また3つ、水泳は800メートル自由形女子、柔道は重量級で男女に輝いた。
普段の練習を実力とし、その力の発揮を心がけて、選手たちはのぞんでいる。
自分自身との戦いは、そこで力んでしまうか、欲を出して焦るか、緊張を思わぬプレッシャーとしてしまう。
柔道場は日本のための会場のような騒ぎのうちに終わった。

陰っていると凌ぎやすい、熱い太陽には強いのか弱いのか。。
夏うまれのわたしには、この時期がなんともいえない。
どうしてなのか、海で泳いでいるほうがいいのだが、それはただよっているという感じで、いつまでもそうしていたいいだけだ。
バイオリズムで活動低下または機能停止に陥るほど、生命活動のとぼしい?時期だ。

いつもこうなると、生まれ変わるのだ、と言うことになるが、変わるのではなくて、ただ生まれるのを待つ。
なにもかも忘れて、この世に出る準備をしているような、そんな・・・
蘇生のとき・・・
再生のとき・・・

墓掃除をした。
京都の相国寺にある恩師の永遠に眠るところ。
7年になるか、毎年のようにおまいりをする。
しかし昨年は都合で間に合わず、大雨だったとか、後で知った。

昼過ぎの新幹線でやってきた。
盆の供花が残って、それを片付けて、水をかけた。
汗だくになってしまった、拭き上げて、花を用意して。
ある意味で法事になるが、宗教色はまったくない、自分たちの祈り、師の喜びにふさわしいかたちができればいい、と、この後の会食に幹事を務める。

あれは阪神淡路大震災の、いまから言えば直後のこと、復興の間もない頃に、電話口に仕事の進捗を言い、辞書のすすめがあった。
声の気迫におされて、ただ恐縮するだけだった。
大きな災害の後の元気な様子を示された。
そして国政選挙がやってきて、そのときに電話をもらって、それが最後だった。

なつかしの同窓会になる。
研究会は25年続いて88回で打ち止めとなって、10年近くになるが、それから終わるともなく会は続いた。
会の主宰にあたる先生の奥さんが恩師、学者夫婦の呼びかけに育った仲間は30名近く。
いわばグループとなった弟子たちだが、絆は固い。

宴もたけなわ、幹事がいつもすることは酒手を気にして、進行して、とりまとめて、タクシーの手配のころあいをはかる。
どこかで酔いを感じて、この酒はうまいと思っていた。
人の死を思うは、人の生を思うことだ。
弔いは自分の思いを向けて自らをただす。





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