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狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

信じるだけで救われる 4

2021年01月28日 | 聖書
さて、前回は、

“聖書も、信仰も、信じる者を道徳的に改善して良くするためのものでも、また、この世界を良くするためのものでもない。“

と、いうことを書きました。
ところが、残念なことに、間違った教理を教えている教会もあります。 そのうちの二つをご紹介します。

1,社会的福音•••クリスチャンの数が増えれば世界が良くなり、神の国がこの世に実現されるという考えです。 それは、全く実現不可能です。聖書には明確に次のように書かれています。

“終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。…“(第二テモテ 3:1~5)

“しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。“(第二ペテロ 3:7)


2,道徳的福音•••福音の目的は、信じる者を道徳的に改善することであり、救いとは、精神的なものであるというものです。 これは、宗教的な道徳運動です。 この世は、そのような人間改善、生活改良の宗教を歓迎しますから、人を集めることはできるでしょうが、これは、間違った教理です。

では、本当の救いとは、何を意味するのでしょうか?
それは、イエスキリストが十字架で全人類の罪を負って、その罰を受けて死んでくださり、三日目に甦られたことによって、すべてキリストを救い主として信じる者はすべての罪の赦しを得、罪に対する刑罰を免れ、すなわち、死んで後に受けるべきであった地獄の苦しみから救われ、永遠のいのちを無代価で受け、神の子どもとされ、神の国で永遠に愛され、栄光にあずかる特権を受けることです。


(エマオ出版 聖書教理Q&A 参照)


信じるだけで救われる 3

2021年01月28日 | 聖書
今回も下記の質問からの考察の続きです。

1) 無戒律な宗教は、人類の道しるべとして、役にたたないのではないでしょうか?

さて、聖書は、どのような理由で書かれたのでしょうか?
神様がご存在されるということは、神様のお造りになったこの世界を見ればわかります。 動物、植物、そして、私たち人間の体の、良くできた仕組みを調べてみれば造り主がおられることはハッキリわかります。

“神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。“(ローマ:1:20)

“天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。“(詩篇 : 19:1)

と、書かれている通りです。
しかし、神様のお造りになったこの世界を見て神様のご存在はわかったとしても、神様がどんな方であるのか、人間に何を望んでおられるのか、などは知ることはできません。 それで、神様は人間に理解できることばで、聖書を通して語って下さったのです。

さて、では、神様は私たちに何を望んでおられるのでしょうか?
それは、私たちが、地獄の刑罰から 救われることなのです。

“しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。“(ヨハネ 20:31)

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。“(ヨハネ 3:16)

と、書かれている通りです。
神様は、聖書を通して、どうすれば私たちが天国に行けるのかを教えて下さっているのです。

そして、聖書が書かれた一番大切な目的は、神様が、どんなに素晴らしい方であるか、私たちが知ることができるためです。

“それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。“
(エペソ 1:3)

そういうわけで、聖書も、信仰も、信じる者を道徳的に改善して良くするためのものでも、また、この世界を良くするためのものでもありません。
但し、そういう間違った教理を教えている教会もあります。
次回は、その間違った教理について、ご紹介します。

(Semakimo)