狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

信じるだけで救われる 3

2021年01月28日 | 聖書
今回も下記の質問からの考察の続きです。

1) 無戒律な宗教は、人類の道しるべとして、役にたたないのではないでしょうか?

さて、聖書は、どのような理由で書かれたのでしょうか?
神様がご存在されるということは、神様のお造りになったこの世界を見ればわかります。 動物、植物、そして、私たち人間の体の、良くできた仕組みを調べてみれば造り主がおられることはハッキリわかります。

“神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。“(ローマ:1:20)

“天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。“(詩篇 : 19:1)

と、書かれている通りです。
しかし、神様のお造りになったこの世界を見て神様のご存在はわかったとしても、神様がどんな方であるのか、人間に何を望んでおられるのか、などは知ることはできません。 それで、神様は人間に理解できることばで、聖書を通して語って下さったのです。

さて、では、神様は私たちに何を望んでおられるのでしょうか?
それは、私たちが、地獄の刑罰から 救われることなのです。

“しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。“(ヨハネ 20:31)

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。“(ヨハネ 3:16)

と、書かれている通りです。
神様は、聖書を通して、どうすれば私たちが天国に行けるのかを教えて下さっているのです。

そして、聖書が書かれた一番大切な目的は、神様が、どんなに素晴らしい方であるか、私たちが知ることができるためです。

“それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。“
(エペソ 1:3)

そういうわけで、聖書も、信仰も、信じる者を道徳的に改善して良くするためのものでも、また、この世界を良くするためのものでもありません。
但し、そういう間違った教理を教えている教会もあります。
次回は、その間違った教理について、ご紹介します。

(Semakimo)




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