交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

本年もありがとうございました。

2005-12-28 02:34:48 | 交通事故と闘う
ご無沙汰をしております。随分と長い間、更新期間を開けてしまいました。長期の出張に出ていたことなど、悪い条件が重なってしまいまして、その間も、私の拙い文章をお読みに訪れて下さった方がたくさんおられたようで、この場を借りてお詫びとお礼を申し上げたいと思います。

さて、年の瀬は何かと気ぜわしくなるものですが、またもや起こってしまった仙台での暴走車事故や、特急の脱線事故など、惨劇のニュースを見聞きするにつれ、もう少し「ゆとり」があれば、と思わずにはいられません。
「速さ」は便利な反面、危険も孕んでいます。生物学的に考えて、人間にコントロールできない速度で物事が動いてしまう今、いろんな意味での「安全装置」が必要なのだと思います。


本blogは、私の父が交通事故被害に遭い、重篤な障害を負ったことをきっかけに始めました。それに付随し、損保や弁護士の理不尽な言動を知り、社会的無知の恐ろしさを感じ、無責任な人々の誹謗中傷の多さに驚きました。

「実際に、その立場になってみないと分からない」

これは紛れもない真実だと思います。しかし、人の痛みや苦しみを知り、理解し、それを糧に物事を改善していくことが出来るのが、人間のすばらしさだと思います。
1日も早く、父が安心して余生を送ることが出来るよう、また、毎日父に付き添う母の心が穏やかになるよう、私なりに出来ることを精一杯やっていきたいと思っていますし、また、何かしらの発信も続けていくことが出来ればと考えています。


ところで、私がblog更新を怠っていた1ヶ月の間、法律の解釈に大変お詳しい方や、弁護士不要論者の方からのコメントも寄せられました。そういう方はなぜか「匿名」でお書きになる方ばかりです。ご意見に自信と責任をお持ちであれば、せめてメールアドレスなり、ご自身のホームページを記載して頂ければと思います。
インターネットの匿名性は完全ではありませんが、この方々のように、ある程度「物陰に隠れて相手を狙い撃つ」ことはできます。しかしそれでは建設的ではありませんし、何より、そういう方々にこそ分かってもらえるよう、伝えて行くことが大切だと考えています。時に胸の痛む思いをすることもありはしますが、そういう意見を「卑怯者」と切って捨てることはするまいと考えています。

「法律は変わるためにある」とは、ある法律学者の言葉ですが、法律を変えることが出来るのは、人間だけです。


今年もたくさんのご意見、ご示唆をありがとうございました。来年が皆様にとって実り多い年となりますことを祈念して、本年最終の記事とさせて頂きたいと思います。

また、最後になりますが、特に度々ご示唆を頂いたけいすけ様みかん様に、この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。