C97の思い出で、書き漏らしたこと。
■リピーターさん
信じがたいことですが、当サークルには男性と女性のリピーターさんがいらっしゃいます(顔を覚えている、という意味で)。いつもさりげなく現れて新刊を買って下さる。有り難いです。
サークル側で一番嬉しい買い方のひとつが「全部下さい」だとこれまでは思っていたのですが、今回新機軸が生まれました。「新刊二冊と既刊一冊」これです。新刊の一冊もしくは新刊既刊の二冊が自分用で、残りは知り合いか誰かに頼まれた一冊ではないか、と推測しました。
これ、めっちゃ嬉しい買い方ですね!
こういう皆さんがいらっしゃるので、また絶対に新刊を作ろうという気になるのです。
■パスポートの落とし物
中国からのお客様らしいのですが、三日目と四日目にパスポートの落とし物がアナウンスされていました。
しっかりして下さいよ、パスポートですよ。
……と言いたいところですが、ご本人はさぞ心細い思いをされたのではないでしょうか。
無事に届いているといいですね。落とし物がちゃんと手元に戻って「おーっ、さすがジャパンクオリティ!」などという小さな積み重ねが、知日派、親日派を産む土壌になるのではないかと、思うのですが、脳天気すぎるでしょうか。
一方で、迷子のお知らせを一度も聞かなかったことは良かった良かった。でも、迷子が見つかって全員で拍手、という一体感も捨てがたい魅力があります。
■鉄道・旅行・メカミリジャンルのノリの良さ
聞くところでは、このジャンルの島では最終日の閉幕がアナウンスされるとサークル参加者による三本締めが執り行われるとのこと(それを目当てに集まる一般参加者もいるとか)。
当方、参加したことはありませんが、今回その一端を垣間見ました。一斉点検のジングルに合わせて、例の「まーえっ、うしろっ、みーぎっ、ひだりっ」のところでシャンシャンと手拍子が起こる。ちょっと感心しましたね。
古典落語の「百年目」にある場面ですが、花見に出掛けて、自分が楽しいというだけでなく、誰かが盛大に遊びまくっている(それも嫌味を感じさせない、粋な遊びをしている、というところ)のを見ると、こちらも楽しいという、そういう楽しみ方がある。
まあ、私も年を取ったというところでしょうか。
■子供!?
サークルでも一般でも、子連れで参加するのはもう珍しくなくなったと思いますが、それでも子供を見ることは他ではありませんでした、東方Projectを除いては。
なんでも、最近の子供は小学生でユーチューバー(ヒカキンとか)の動画を見始めて、その中でも有望株が次に「ゆっくり解説」にハマって博麗霊夢と霧雨魔理沙を覚え、さらにその中から選ばれし勇者が東方Projectに流れてくるのだと言います。弾幕シューティングゲームを経験していないと思われる小学生高学年女子が東方の島を闊歩しているのを見ると、この子供たちが成長する姿を見るまで死ねないなあという気持ちになりました。はい。
■落選経験者の集い
設営の日、西展示棟に向かう通路の隅のベンチで、設営参加サークル登録の通称「黄色い紙」に必要事項を記入していると「ペンを貸して下さい」とおじさんから(こちらもおじさんですが)声を掛けられました。
今回はサークル参加されるのですかと尋ねると「今回は落ちちゃいました」との返事。それから、コミケに落選するとどーしてあんなに腹が立つのでしょうねっ! そうそうっ! 頭のてっぺんから物凄い汗をかきますよねっ! そうそうそうっ! と、ひとしきり落選者談義に花を咲かせたのがいい思い出になりました。あのおじさんのサークル、聞いておけば良かったな。
その一方で、私も設営に参加していたはずの西1~2ホールではちょっとした小競り合いが発生していたそうです。私は両者が引き離されたところしか見ていなかったのですが、あとで聞いたところによると、形ばかり設営に参加して、ほとんどサボり、最後に行われる反省会(という名のジャンケン大会で、次回サークル参加を約束される特別な「参加申込書」が景品として争われる)にはしっかり参加している、そういう人物がいるのだそうで、それはダメだろうという正義漢との間でいざこざが発生した模様です(彼らの間には以前から「因縁」があったとのこと)。
さて、不特定多数の人間が集まると、そこには一般の人間社会の縮図が生まれます。オタクだからって特別なことはなにもない、ただの人の集まりです。真面目にコツコツ働く人もいれば、他人を出し抜いてでも上手く立ち回ってやろうという人も現れます。大勢の人が参加するということは、そういうことです。善良な一般参加者の中にもスリや釣り銭泥棒が必ず混じる。犯罪者は警察に取り締まって貰うとして、犯罪ではない程度の「不心得者」を、どの程度許容するか。みんながみんな設営をサボるようでは烏合の衆に成り果てるだけで、それでは困ります。正義漢、と書きましたが決して冷やかすつもりなどなく、これは組織の「自浄作用」が具現化(顕現、と言い換えた方がいいですか)したものであり、これもまた人間社会の縮図たるゆえんです。ダメな奴がいることは仕方がないと諦めるだけでは世の中は悪くなる一方なので、それ相応に理想や理念を臆面もなく語る正義の人が必要になるのです。
なーんてことを考えました。以上。