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鉱石ラジオ

艦これ二次創作小説同人
C105 日曜日 西地区 せ-27b(西2ホール)

「特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト」を観てきました

2023-08-17 18:12:54 | アニメ
アニメ作品としては四年ぶりになる「響け!ユーフォニアム」の新作ですが、楽しく観てきました。
一番の感想は「久しぶりで懐かしい」に尽きますが、チューバの加藤葉月が上達していることに単純に感激します。
各楽器の演奏場面で息継ぎやバルブの操作音まで細やかに再現されているのは劇場版ならではかも知れません。
前作「誓いのフィナーレ 」ではダイジェストな感じが強くて戸惑いましたが、今回はそういう感想はありません。原作も短編作品だそうで、コンパクトにまとまっていたのはそのためでしょうか。
ただし、アンサンブルコンテストの結果発表が文字のみだったのは「まあ、そうなるかな」と理解しながらも、ちょっと残念でした。主人公の久美子が部長の立場で、部内のアンサンブルコンテストをどう運営するのか、その一方で自分は演奏者としてどうコンテスト臨むのかという点がストーリーの主眼なので、正直コンテストの結果はどうでも良いと言えます。それでも、ラストではその「どうでも良い部分」要するに結果発表に触れないわけにはいかないので……。そう考えると難しいモノです。
ともあれ、ユーフォファンは必見。それは間違いない。

「放課後ていぼう日誌」完走しました

2023-08-15 23:35:49 | アニメ
ちょっと今後の二次創作の参考にしたくて「放課後ていぼう日誌」(2020)を完走しました。テレビ放送時は、たぶんコロナで放送延期になったのをきっかけに、途中で見るのを止めて(忘れて)しまったんだと思います。いま見るといい作品ですよね。
田舎町に引っ越してきた主人公の女子高校生が、部活動を通して釣りに親しんでいく(=沼にハマる)様子を描いたアニメ。よくある女子中高生もののひとつだが、釣りの描写が丁寧で、僕のようにまったく釣りを知らない人に取っては、見知らぬ世界のことを垣間見ることが出来るという意味で、啓蒙的な作品でした。
例えば、第9話「備えとアオサギ」では海釣りの危険性(ライフジャケットの着用)とマナー違反の加虐性(釣り糸・釣り針の廃棄)が描かれていた。遺棄された釣り糸が絡まったアオサギの足、指が何本か欠落しているところをセリフでは強調せずに作画でしっかり見せているところはとても良かった。見ようによってはとても残酷。それを言葉には載せないで、視聴者に「ちゃんと理解しろよ」と投げ掛けている感じがするのが良い。

また、主人公・鶴木陽渚の表情がコロッコロ変わるのが、マンガ・アニメ的に振り切った表現になっていて楽しかった。特にひるんだり、怪しんだりといったネガティブな表情が、上手く言えないが普通よりも「一歩踏み込んだ」作画になっているように見えた。それでいてやり過ぎな感じがしないので、とても微妙なバランス感覚の上に成り立っているような気がした。僕の趣味との兼ね合いもあるので一般化は出来ないけれど、人物の作画は丁寧だと思います。

個人的には、真性のアホの子(悪意的に言えば、ある種の「障害」すら連想させるほどの「アホの子」)が登場しないのもポイントが高かったです。

この夏休み中には「スローループ」(2022)と「つり球」(2012)を完走する予定です。ちょっと釣りアニメがマイブームです。

劇場版総集編【後編】メイドインアビス 放浪する黄昏

2019-01-26 00:08:43 | アニメ
公開から一週間遅れで、後編を観てきました。
ナナチ、いいですね。

繰り返しますが、僕はナナチでは初登場時の完全武装した姿が好きです。理由は端的にかっこいいから。寄せ集めばかりで出来ていて、手作りのボロっとした感じ。あの姿ならそのままでスターウォーズにも出演できそうですしね。だから、ナナチがミーティを抱きしめているビジュアルはナナチの気持ちの一端をよく表現してはいるものの、いささか情緒の方に偏りすぎていて、むしろナナチらしくないと思います。ナナチの心理には例のビジュアルだけでは語り尽くせない屈折した表と裏が隠されているはずです。だから、あれだけでは不十分だと思うのです。

テレビシリーズで言うと第10話のオープニング。前話の後半でナナチはすでに登場しますが、第10話では少し時間を巻き戻して、ナナチの側から怪我に倒れたリコと悲嘆に暮れるレグの姿を見せています。ナナチの感情を押し殺した冷徹な視線、カットバックで挿入される元気だった頃のミーティの姿、立ち上がるナナチ。これらの情景で描かれたことは後にナナチ自身の口から語られますが、総集編ではすべてカットされました。物語の進行上それが自然ですが、残念でした。しかし、逆に、それだからこそテレビシリーズというフォーマットは重要だなと改めて思いました。劇場版総集編では、構造上(構成上?)、テレビシリーズのように前回の末尾を反復するということが出来ません。今回の後編では、冒頭のシーカーズキャンプからの再出発の場面がそれに該当しますが、もしこの総集編が前後編を合体したものだとしたら、後編の冒頭は当然ながら削除されるでしょう。もう10年近く前に、やがてテレビアニメは衰退して劇場アニメが残るだろう、という「予言」を聞いたことがありますが(素人の世迷い言ではなく、あるベテラン監督の私的な発言)それが的中するかどうかは別にして、今回の後編を観て、やはりテレビシリーズでなければ表現できない情緒性があると僕は確信しました。

脱線しますが、文学の小説作品では前章の最後のセンテンスを次章の最初に一言一句正確に再現する、という技法が存在します。この技法を批評の用語で何というのか知りませんが、たしか村上春樹の初期の作品にそのように書かれたものがあったはずです(と記憶しています)。純文学作品で決して珍しい手法ではありませんが、かと言ってありふれているのでもありません。ライトノベルではなおさらでしょう。ラノベでも、純文学寄りの作品でなら幾つか試みられているかも知れませんが、まずお目にかかることはないのではないでしょうか。

さて、ナナチがリコの「ガンキマスの揚げ焼き」を食べる場面がもっとも印象的です。
子育てを経験した立場から言わせて貰うと、ちょうどこの場面のナナチのように、一口頬張った瞬間に「おっ、これは!」という表情になり、次いでもの凄い勢いでパクパクパクと平らげてしまう。幼い子供の成長の場面で、そのようなことが一度や二度は必ず訪れるものです。
私の娘の場合、生まれて初めてカルボナーラのパスタを食べたときがそうでした。娘は現在でもカルボナーラが大好物で、本人は覚えていないに決まっていますが、その起源は三歳の正月の一日に遡ることが可能で、その事実を親はしっかり覚えているというわけです。
またこの場面では、言葉で表現するなら「こんなに美味いもの、生まれて初めて食べた」という体験が描かれているわけですが、そのようなわかりきったセリフを排したクールな演出を、作画も声優も立派にやり遂げていると思います。仮に同じような場面を実写ドラマで再現したとき、俳優たちは果たしてこれをセリフ抜きで演じることが出来るでしょうか。僕はきっと不可能ではないかと疑っており、これがアニメが実写に対して持っているアドバンテージのひとつだろうと考えています。たぶん漫画でも不十分ではないかと思います。実写では役者も演出家もそのセリフを口にしないことに耐えられず、一方で漫画では同じことをやると読者が欲求不満を起こすのではないか、と。その理由を上手く説明できませんが、少なくとも今のところは、このような場面をセリフ抜きで過不足なく表現できるのがアニメという表現形式なのだろうと考えています。

以上、楽しく観てきました。今から2期が楽しみです。

劇場版総集編【前編】メイドインアビス 旅立ちの夜明け

2019-01-04 17:55:09 | アニメ
立川シネマシティ Cスタジオ 9:40-11:45

シネマシティ名物の【極音】上映で、例えばレグの火葬砲は数割増しでド迫力だし、不動卿オーゼンがリコやレグに喰らわせるデコピンが本当に痛そうに聞こえる。当然、好き嫌いは分かれるだろう。だが、これはこれでお勧めだ。Cスタジオの比較的小さめのスクリーンで見られたのも良かった。
因みに同じ時間帯に一番広いAスタジオでは「ボヘミアン・ラプソディー」が上映されていた。そだねー。

ところで、今回このブログのタイトルは公式の映画のタイトルからそのまま引用してきているのだが、これは少しおかしくないだろうか。

> 劇場版総集編【前編】メイドインアビス 旅立ちの夜明け

もし、今これを読んでいるあなたが中学三年生で、東京都立高校の国語の入試に「これらの用語を用いてもっとも適切と思われる映画のタイトルを考えなさい」などという試験問題が出題されたとしたら、どう解答するだろうか。
僕の考える模範答案はこうである。

> 劇場版メイドインアビス 総集編【前編】夜明けの旅立ち

元のタイトルには旧都知事の石原慎太郎が「都立大学」を「首都大学東京」と改名したのと同じ、中二病の少年少女が背伸びをしているような痛々しさ、気恥ずかしさを覚える。旧都知事にしてもそうだが、もう少し大人サイドにシフトしても良い。格好良くしようと工夫を重ねた挙げ句に訳がわからなくなって最悪の選択をした、としか思えないのだ。あるいは、制作サイドにケチ臭い横やりが入ったのである。今後の展開に不安を残す、そんな幕開けとなった。

あとね。
「旅立ちの夜明け」という場合、それは物語全体の始まりであることを強調している訳だけれども、それだと「旅立ち」も「夜明け」も同じことしか意味しないので何だか壮大っぽいタイトルの割に詰まらない効果しか生んでいないと思うんだよね。これを逆に、と言うか、日本語的に正しい順序に戻して「夜明けの旅立ち」とすると、これは文字通りリコとレグの旅立ちの場面を直球で表現することになる。そして今回のエピソードの中ではリコとレグの旅立ちは二回訪れる。一度目はシギ―とナットに見送られてオースの街を旅立つとき、二度目はオーゼンの試練を経てシーカーキャンプから旅立つとき。二度目の旅立ちはラストシーンでもあるんだよね。だから強調されるべきは「夜明け」よりも「旅立ち」の方なんだ。これから壮大な冒険に出発すると言うのにほんの僅かな仲間だけにしか見送られることのない、もの寂しい旅立ち。その寂しさを表しているのが「夜明け」なんだ。だから、言葉の選択は正しい。順番が違うだけ。
言葉は正しく用いたいな。

開場前に物販を一通り見たが何も買わなかった。リコとレグは主人公だもの、仕方ない。しかし前編なら一番の注目はオーゼンかマルルクではないのか。それなのに物販にオーゼンとマルルクの姿はなく、まだ登場していないナナチのグッズが並んでいる。しかも脱いでいるナナチだ。僕もナナチは大好きだが、特に好きなのは初登場時のフルアーマーのナナチだ。それなのにフィギュアといいアクリルスタンドといいクリアケースといい、世のナナチは皆脱いでいる。相手は年端もいかない女の子なんだから無闇に脱がしたらいかんだろうに(と言いつつ、リコの全裸シーンがカットされていたのはいかにも残念だった)。
ふと気が付けば唯一購入したパンフレットにもすでにナナチのことが書いてある。もしかしたらこのパンフレットは前編と後編で共通なの? 一冊だけなの?
予算が足りなかったのだろうか?
「メイドインアビス」って、もしかしたらすっごく「貧乏」な作品なのでは?

さて今回の【前編】はテレビシリーズの第一話から第八話まで、すなわちレグ登場から監視基地を出発するまでのまとめだ。劇場版の冒頭では導入部、つまりテレビ本編では過剰な中二病的倒置法を多用したために分かり難くなってしまった時系列を整理したり、エンディングでは次の主要登場人物となるナナチの愁いに満ちた表情が描かれたり、と新作の要素もなくはないが、主要なエピソードでは新作はないようである。むしろシーカーキャンプでマルルクの男の子らしさを強調する場面が割愛されていたのは残念だった。

これでも自分はファンのつもりだが、物販やパンフレットの惨状から窺い知る「貧しさ」を目の当たりにして、こんなに良いアニメなのに何で人気が出ないんだろう、とお正月早々悲しい気分になった。

コアなファン向けの作品だった。

グリッドマンの校内放送が気になる系

2018-12-09 23:55:36 | アニメ
ちょっとコミケ原稿の息抜きに鑑賞した「SSSS.GRIDMAN」第10話「崩・壊」のAパートで流れる校内放送の声優がなかなか良かった。
「繰り返します。本日、放送委員は臨時委員会があるので、放課後放送室に集合して下さい」というセリフなのだが、そのたどたどしくも初々しい感じがあまりにも素晴らしかったのでこの僅か7秒間だけ立て続けに数十回ほどリピート再生して、とても良い気分転換になった。原稿も進みそうな予感がする。

ま、原稿の進捗具合はさておくとして(誰しも現実は直視したくないものです)、この声優さんは誰子ちゃんなのかな♪とエンディングのクレジットを確認したら「校内放送 安野文左衣」とある。ううむ、これは。他人様のお名前を詮索するのは無礼の極みだが「文左衣」っていったい何て読むのかしらん、おじさんには難しすぎるぞ、ファーストガンダム世代だから「ムサイ」とか誤変換しちゃいそうだぞ、と首を捻っているうちに何度か字幕が切り替わった。そして「音響制作担当 安野文左衣」の文字が老眼の進境も著しい左右の角膜に飛び込んできた。

あんれ、まあ。そういうことでしたか。声優さんではない。つまり、現地調達、という感じでしょうか。

それなら他の話数でも同じことやっているはずですよね、きっと。でも、コミケの原稿があるし。でも、気になるし。これまでの放送話数全部見直すのはさすがに辛いと言うべきか、むしろ倫理的に許されないような気がするので、ざっとエンディングのクレジットだけ再確認してみた。すると第9話で見つかりました。「店内放送 五十嵐海」とあるのはきっと「設定協力 五十嵐海」と同じ人物でしょう(人名の場合「海」って何て読むのが適切なのだろうか)。そこで本編をざっと、本当にざっとだけ再確認してみると、これは「SEVENDARAKE」の階段で新条アカネの「スーパーガッツくらいまではあった気がするけれど……」の後に流れる店内放送の声のことでしょうか。

何だ、男かよ。
じゃ、別にどうでもいいや。



ところでグリッドマンの声優陣と言えば、ボマー役の悠木碧が毎度楽しそうに演じているのが楽しみのひとつになっていたりします。