鉱石ラジオ

艦これ二次創作小説同人
C103 土曜日 東地区 ヨ-09a

「君たちはどう生きるか」を観てきました

2023-08-18 22:18:12 | 同人活動
宮崎駿監督の映画を観るとき、いつも僕は途中で置いてきぼりを食らったような感じになる。「となりのトトロ」では母親が入院している病室の窓辺にトウモロコシが置かれたあたり、「紅の豚」ならポルコ・ロッソとカーチスの空中戦が脱線して、互いの操縦席のモノを手当たり次第に投げ合い始めたあたり。そういった印を見つけてしまうと「ああ、違うなあ」とどんどん夢から醒めて行く。
今回は、疎開してきた眞人の前に継母の夏子が輪タク?に乗って登場したあたりで「いや、この映像を額面通りに受け取って良いのか」と疑念が先に立ってしまった。以降、少し引いた感じで見ていた。
宮崎監督と僕とでは世代もかなり異なる。
だが、僕は記憶している。例えば、日本家屋の二階へ上がる急な階段。主人公がそうしたように、あれは足だけで上るのではなく、階段があまりにも急峻なので両手両足を使って上る。両手は、パタパタと階段を叩くように使う。そのときの階段の手触り。黒光りして、湿っていて、ツルツルした手触りで、摩滅して木材の年輪が痩せこけた人間の肋骨のように浮かび上がっているのを覚えている。
そういう視覚の感覚(映像)から肉体の記憶を呼び覚ますところが宮﨑作品のすごいところだった。「ジブリ飯」というのもそのひとつだろう。
その意味では、今回の作品は、映像に描かれたものがからだの記憶と呼応する要素が少なかった感じがする。妊娠についてがそうで、僕は男なので妊娠についての理解は足りないが、胎動が眞人にも分かるほどの妊娠週数でありながら、輪タクに乗って眞人を迎えに来たり、夫の重い鞄を持とうとし、その果てに悪阻で寝込んでしまう、継母の夏子の実在性を上手く理解できなかった。

もうひとつ気になっているのは鳥の糞である。
眞人が最初に塔に入ろうとしたときにも鳥の糞に塗れた地面が描写されていた。その後にも鳥の糞を浴びる場面が数回登場する。あれにはきっと意味があるに違いないが、何だったのだろう?

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