
シニアの生涯学習史上、今後、最も話題になることの一つに、
「人生の締めくくり方のための学び」という学びのメニューがあります。
このことについては、
「死ぬことは、教えられないけれど、死について考えることはできる。」
というように理解したいと思います。
(死ぬことを教えられる人なんて、この世にはいません。)
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文部科学省の「超高齢社会における生涯学習の在り方に関する検討会」の資料の中には、こう書いてあります。
死の実感が、生活、意識、医療、教育など社会のさまざまな面で抜け落ちており、また、「死」と向き合う経験が減少しているために、実際に接したときの対応に苦慮している人が少なくない。
「死」と向き合うことで、生きる意味を見いだし、今、生きているこの一瞬を大切にすることができる。
また、自分自身の死を見つめ、長い間積み上げた人生の締めくくりとして、どのように自分らしい死を迎えるかについても、終末期のあり方を含めて人生の締めくくり方についても自分で選択することが可能な時代である。
このため、第二、第三の人生設計を行う上で、
「個人の自立のための学び」とともに、「人生の締めくくり方のための学び」も必要である。
ただし、生と死に関しては、個人の思想・心情・宗教などによって多様性を持つことから、学習機会の提供に当たっては慎重に行うことが必要である。
このメッセージを、どう理解するかということは、具体的なレベルでは、大変難しいです。
庶民レベルで言えば、
これは、死に至るまでの物理的な諸準備(お墓、遺言等々)を言っているのですか?
死に臨むための心のあり方を言っているのですか?
その両方を言っているのですか?
それとも、もっと別な深遠なこと(死の意味)を言っているのですか?
みたいになってしまいます。
庶民レベルで言えば、
これは、死に至るまでの物理的な諸準備(お墓、遺言等々)を言っているのですか?
死に臨むための心のあり方を言っているのですか?
その両方を言っているのですか?
それとも、もっと別な深遠なこと(死の意味)を言っているのですか?
みたいになってしまいます。
お墓の準備や、遺言書の書き方は教えられますが、
死ぬことを教えられる人なんて、この世にはいません。
何年か前から、「終活」という考え方が広まりました。
エンディングノートを書いたり、
自分が死んだ時にあとの人が困らないように整理や準備をしよう、
ということが広まってきています。
終活ビジネスも盛んで、ビジネス内容として、次のようなことが対象になっています。
死ぬことを教えられる人なんて、この世にはいません。
何年か前から、「終活」という考え方が広まりました。
エンディングノートを書いたり、
自分が死んだ時にあとの人が困らないように整理や準備をしよう、
ということが広まってきています。
終活ビジネスも盛んで、ビジネス内容として、次のようなことが対象になっています。
①相続
②遺言
③保険
④葬儀
⑤墓
⑥介護
⑦健康
⑧エンディングノート
⑨荷物の整理
こういう活動を通して、自分の今を見つめ、これからの人生を考え、後の人に伝わるようにしよう。
そのように悔いなく生きようということです。
見方によっては、何か、国のメッセージよりもビジネスの方が進んでいるようにも思えてきます。
さて、国のメッセージは、
このようなビジネスで行われていることを一般化しようということなのでしょうか?
私にも、よく分かりませんが、
相続 遺言 保険 葬儀 墓 介護 健康 エンディングノート 荷物の整理
こういう活動を通して、自分の今を見つめ、これからの人生を考え、後の人に伝わるようにしよう。
そのように悔いなく生きようということです。
見方によっては、何か、国のメッセージよりもビジネスの方が進んでいるようにも思えてきます。
さて、国のメッセージは、
このようなビジネスで行われていることを一般化しようということなのでしょうか?
私にも、よく分かりませんが、
相続 遺言 保険 葬儀 墓 介護 健康 エンディングノート 荷物の整理
そのような具体的な活動を支える精神のあり方や、死を意識しながら生きることの大切さ
を含むカリキュラムをつくり、
「死に至る充実した生をどのように創りあげていくか」
を含むカリキュラムをつくり、
「死に至る充実した生をどのように創りあげていくか」
という大きな意義を持っていると思っているのですが・・・。
私自身も新しいカリキュラムに、
具体的にどう取り込んでいくかを授業再開に向けて、みんなで模索していきます。

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