リメンバー 石井紘基

故石井紘基議員の存在を過去のものにしてはならない。石井紘基の業績と遺志を伝えていくBLOG

「日本の構造改革」を成功させるには

2005年05月07日 | 石井紘基の著書から

わが国経済政策の混迷を象徴している「不良債権処理」と「景気回復」をめぐる"論争"もまた、わが国経済の特性への無理解から生じている。

与野党を含めた政界も経済界も言論界も、当面の経済・財政の立て直しをめぐって大きく二つの議論に分かれている。

一方の陣営は、経済間題の解決にとつての根本的課題は銀行の不良債権処理
と考えている。小泉政権の「骨太の方針」がその代表格である。他方は、不良債権処理を進める。

方で不良債権が増大していく、いたちごっこの状態の下では、景気の落ち込みと地価の下落が続くだけなので、公共投資による景気刺激で需要を喚起することが重要とみる。

しかし、私にいわせれば、これらの議論は「景気回復が先か、財政再建が先か」「二兎追うもの一兎をも得ず」などの議論と軌を一にするもので、日本経済に対する認識が近視眼的である。

後者の方から述べてみよう。この立場が主張する政府の財政出動は、確かに一般的には経済活動の触発剤になる。しかし、その際忘れてはならないのは、この理論は市場経済体制下においてのみ通用するということだ。

ところが、今日のわが国の宮制経済体制下では、経済対策としての公共投資等の予算はほとんど公的セクターまたは行政システムを通って流通し、余剰価値や付加価値を形成する「市場」を素通りし、むしろ市場における生産・流通コストに負荷をかけてしまう。財政出動によって刺激すべき「市場」がそもそも"寝たきり状態"なのだ。


政府が一升の酒を漏斗に注げば(予算配分)、そのまま酒ビン(GDP)に一升弱の酒が落ちてくるだけのことだ。いくら「需要政策」を採っても経済は活性化も膨張もしないのである。

この国では、過去十数年にわたって「景気対策」として総計百数十兆円の財政を投入し、かえって構造的には事態をますます悪化させてきた。
公共投資論者は、そのことを省みない"原理主義者"である。

この賭はいくら張っても当たらない。
彼らが「景気対策」が効果を現さなかった毎年ごとの偶発的要因をどれほど説いてみても説得力はない。株価が反応したことがある、といえぱそれはあるだろう。
しかし、それは株式市場がある以上当たり前のことであり、マクロ経済の趨勢とは無関係なのである。

これに対して、小泉改革が採用している前者の考え方は、不良債権をまず処理し、金融機関と企業を身軽にする必要があるとみる。そのうえで民間部門の構造改革を進め、サービス産業やIT産業を起こしていけば、景気回復が実現するというのである。

しかし、これでは、手術はしてみたが病人は死んだ、という結果になる。民間部門の改革や景気回復のくだりにいたっては、日本経済の体質に関する認識の乏しさと、構造改革の内容の薄さを露呈しているといわざるを得ない。
官制経済という経済の「砂地」に対して、どれほど種を播いても、耕しても、芽は出ないことを知るべきである。

さて、本書で私は、政官権力が政官権力のために作った日本の国家システムを作り替える「構造改革の戦略」を提示する。

ー日本が自滅する日ー 序章より