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田舎くらし

趣味、あそび、旅行

お城めぐり その2

2018年06月16日 | お城巡り

本日は和歌山に移動してJR吉野口から近鉄に乗り換えて
壺阪山駅で下車 昨日にタクシーを予約しておいたので
駅前から高取城跡まで行く

日本を代表する山城
一つ目は 日本12城ひ登録されている備中松山城
岡山県高梁市にある山城 ここもタクシーでないといけない
前に行きました 過去ログのなかにある2010年11月見てね

もう一つは岐阜県伊那市にある 美濃岩村城
ここはそのうち行きます

そしてここ高取城を入れて 日本三大山城と言われています
標高583Mにあるところに周りは3㎞の山城
タクシーを降りて 歩いて登り30ふんくらいのハイキング



1640年徳川家譜代の家臣植村家政が初代藩主





当時のまま石垣を見ながら歩く





いい組み方しています


やはり右に左と曲がり 一気に攻められないようになっている








昔はよく見えたのだろう


古い石垣でしょう
これにて 高取城を降りて またタクシーをよんで
駅まで戻り昼飯を食べ和歌山まで移動

今度は和歌山城です





石垣には当時の普請を任された家臣のマークがある


こんなマークを見つけるのもお城マニアの楽しみ


江戸城にもあるよ






城内に公園と市営の無料動物園があり ちびっ子が遊んでいた





石垣が崩れ木が生えてきてる



東と西を結ぶ橋がある




橋の中


さすが紀州徳川家のお城 庭園まである




外からの全景


先ほどの橋が奥に見える


天守閣

城の入り口


天守入口





奥は海が見える 昔は海までがお城の敷地


お城の重要文化財に指定されている 岡口門を
出て城の回りを散策して 今回の旅を終わる


お城めぐり

2018年06月10日 | お城巡り

最初は犬山城からスタートです

ブログを作り始めたら 我が家の前に
お客様が来まして 思わずシャッターを押しました
我が家の那須高原には 狸 狐 リス 鷹
トンビが庭の蛇を捕まえたりと自然の動物が
たまに現れる












正面入口より



急な階段を登り上へ




天守閣から見た景色



木曽川の淵に建つ 最近まで個人の所有するお城だった
この日は雨が降り 早々に引き揚げて 松坂まで電車で移動






夕方4時ごろ到着 宿に行く前に 松阪城へ
城郭しか残ってないが これがまた素晴らしいのって
来たかいがあった 犬山城は2回目だったのでサラッと
ここは広くて見ごたえがある
石垣がすごい










お城の定番 L字の曲輪 石が古い 




スケールがでかい なかなかよくできた城跡だ



こんなに広い本丸跡を見たのはひさびさ




野面積みに近い


周りを散策すると 旧武家屋敷跡に遭遇
足軽長屋の跡かな


みんな同じ作りの家



今日の泊まる宿 昔は間口の広さで税金を課していたので
奥行きが広い家の構造になっている名残がある

松阪牛を夕食にでる
1日目終了

2日目
伊賀上野城に行く




外から見た感じ いいね 藤堂高虎の腕が光る城


お濠で有名な城


復元天守

大天守と子天守の連立型




四方が山に囲まれた平城










城の中にこんなものが建っている


藤堂高虎の石垣はいいね



お堀の周りをぐるりと回りました

近くの橿原神宮に立ち寄り












境内を見て回る


伏見稲荷の作りに似ている






アオサギの巣作り





本日はここまで宿に泊まる
明日は奈良高取城に移動します
後半につづく



真田丸のお城へ

2016年11月12日 | お城巡り


上田城に行ってきました
到着はお昼なので まずは昼食から
名物鯉料理をいただきました
上田駅から北側右にある老舗







鮎は特大鮎 鯉の旨煮 鯉の刺身(これはぜっぴん)初めて食べた
鯉の洗いと違う うまい


この日は雨で でも上田城は観光客でにぎあう





本丸の前にはじを見てから いざ中へ





NHKの力はすごい
資料館から



上田の町を見下ろす







上田まで戻り いよいよ上田城へ



城に入る前に やはりお堀を一周でしょう



大手門につきました



ここから見える 隅櫓





内堀跡



土塁跡 結構ふかい 大阪の陣で活躍した
真田ゆかりの土塁


右側の隅櫓





城の中にある神社
上田城は角々にある 隅櫓の見学がメインになる
他の城とは 天守がないから

この日は雨なので 上田の合戦で有名な砥石城は次の日延期

かけゆ温泉に泊り先に 松本城に向かう

二日目

松本城
まずはお堀から




大手門


周りは公園


内堀一周歩く
今工事中 




撮影スポット




お金を払い 入ると目の前に


木造建築で国宝のなかへ


彼女募集中の我が家の息子


この日は学生さんがたくさん おりまして







コンクリートとは違い 木造の歴史を感じる










天守から望む 東西南北の景色


人人でたいへん








お城の定番 一騎に攻めあがれないように 急勾配の階段


今修復中の月見櫓



松本城とはお別れして 今日は天気も良いので
上田に戻り 雨でいけなかった
砥石城を目指す


山城の跡が残る NHKでも出た

わかりずらく迷いながらやっと到着
これがまた大変で 山登り ハイヒールなどとんでもない
傾斜が40度ちかくある 一騎にのぼれない
天然の要塞そのもの

 






関東で言うと 筑波山並み でも登るのは大変





上田の町が見下ろせる位置












途中の分岐まで戻り お隣の米山城跡まで足を伸ばす
またこれが大変だった



山の中 整地はされているが のぼりがきつい
休み休み ハーハー言いながら



登って来た道を振り返る ものすごい傾斜



町が用意してある登るためのロープ
ロープをつかみながら登らないと滑り落ちる
雨では無理だ







到着すると あたりは平地に





天気がよければ 富士山が見えるようで

来た道を下らなければ
トコトコと滑り落ちないよう 下山

これにて 真田丸の歴史と足を伸ばし松本城の
二つの城 プラス山城跡二つを見る旅行でした

おしまい


100名城の旅 春日山城

2014年10月06日 | お城巡り

上杉謙信の居城 春日山へ行く




当時の春日山城の全景 模型


まずは 春日神社にお参り


上杉家の神社




これから 長い登りの道を歩いていく

標高180mあり 謙信亡き後 景勝が継ぐ
直江兼続と二人三脚で今の規模にする


自然を利用した山城で 天然の要塞 難攻不落の
城とも呼ばれる
結構勾配がきつい山道

景勝が跡目争いの時 この城を攻めた


直江宅跡






謙信が祈祷した 毘沙門堂








建物はいっさい無いが 跡地の杭のみ




周りの下界を見下ろせる








本丸の下に 二の丸 三の丸と続く
山のてっぺんから降りる

春日山城を後にし 弥彦山へと車を走らせる







弥彦神社




弥彦神社本殿




神社から少し歩くと ロープウェイ乗り場がある




頂上からの展望
遊歩道をさらに登ること30分 その先に弥彦神社から
分配された神社がある本当の頂上634mに着く


日本海が前に見える

今回の旅は これにておしまい


長野・新潟の旅 (3)  (戸隠)

2014年09月29日 | お城巡り


松代を出て 一路戸隠へ
神社へ行く前に 寄り道






鏡池 紅葉の時とかきれいな池 この日は天気が悪い


一番最初に現れる 戸隠三社の一つ宝光社




急な階段を登る


なかなか古めかしい神社






ご神木


二つ目の中社






神社の奥にある滝 


今回の戸隠へ来た メイン 奥社


この入口から 社殿までの道のりは片道2km






それはそれは 大木の杉並木に囲まれながら
ひたすら 緩やかな登り道を歩く


途中に現れる 山門




最後のきつい階段を上り終わると奥社に着く


奥社社殿


苦労して上がってきたわりには 少しガッカリかな
今来た道を 2kmまた歩いて戻る

戸隠に別れを告げ 新潟県へ


戸隠そばが植えられている


一面ソバの花




途中立ち寄りした 野尻湖


広い湖でボート遊びや ウインドサーフィンしていた


移動中 看板が出ていたので また立ち寄り


橋の向こうに関所が


のどかな山村の風景




関所の番所


レプリカです

今日は 赤倉温泉に宿泊します

次の日は 急な思い付きで 上杉謙信の
春日山城へ行くことに


掛川城~三島~大雪で断念 山中城跡

2014年03月11日 | お城巡り

静岡3日目 朝雨 今回のメイン山城 山中城跡
雨が邪魔をしている できれば晴れた日に訪ねたかった
静岡駅に行くと 岐阜羽島あたりが大雪で新幹線が
30分ほど遅れが出ているとのこと

 三島到着 駅前の路線バスで 元箱根行きで行くのだが
本数があまり出ていない 1時間に1本 30分待ち

バスが来た 乗り込む 客は私を入れて5人
中心部を過ぎると私だけになる バスの運転手さんに
無線が入る その後、私に行き先を聞いてきた

 (山中城跡までです)と答える。
運転手さん 無線で交信 山を登り始めたくらいで
大雪になってきた 右へ 左へと カーブが続き
道路に積雪が五センチほど積もり

走りながら無線の交信が終わると

 (お客さん、前に運行したバスから連絡がありこの先大雪で
  峠が越せない 元箱根行きは、今後運休になるとのこと
  このバスも、山中城跡で引き返す) とのこと

道路の積雪は十センチは超えるようになってきた

 私は、不安になり運転手さんに質問をした

 (私、山中城跡見ての帰りのことなのですが 三島に戻るとき
  バスが運休になり帰れなくなり 山に取り残されることには
  ならないですか・・・・)

運転手さん  (それは、会社が決めることで私の一存では
        わかりませんが あまり雪が多いと
        スリップ事故になるので どうかな?)

山中城跡バス停に到着

降りる 雪の積雪20cm靴がもぐる 見学どころでない
長靴でないと 先に進めない たぶん雪で遺跡も沈んでいる
見れるわけがないと判断 << あきらめる >>

この悔しさ、山登りの人が途中で悪天候の為 あきらめて下山する
気持ちがわかった。

大雪降る中、三島駅行きのバス停は少し下らなければならない
靴の中に、雪が入ってくる 

 冷たい! 冷たい! 冷たい!

何しにここまで来たんだ あっ~あ・・・・
肩を落としながら、ひとり歩く
車には、車輪の跳ね上げた雪泥をかけられ

帰りのバスを待ち 自分に言い聞かせる
これでいいんだ 帰りのバスがなく乗れないで山に取り残される
ことを考えれば

いいんだ いいんだ これで また 暖かくなったら来よう
こんな 冬の山に 観光しに来た自分がバカだったと反省しよう

 バスが来た!! 路線バスに乗りにきただけみたいだ

参考まで

よそ様の文献から 皆様へ




戦国山城探訪コースは端から端まで見て二時間はかかる
晴れていれば 見れたのに

小田原に本城をおいた北条氏が1560年代に築城
秀吉の小田原攻めに備えて増築もした
標高580mの山の上に出来た山城
四万の秀吉軍に 北条軍四千 圧倒的な兵力差で落城


晴れていれば、こういう場所見れたはず




四百年の歴史がよみがえる遺跡
敵の動きを遅らせるため 人一人分背丈の堀があり(2m)くらい
いっぺんに大勢の兵が来れないよな
攻める敵は昇り降りし体力を使う
何個も乗り越えてくる敵の動きが鈍くなるところを
弓矢 槍で 交戦する
まさに自然要塞


実際 見たかったな~


山城にて珍しいのは 堀 土塁尾根を区切る曲輪の造成法
箱根の山の地形を利用し 地の利を生かした山城
のちの、お城の内堀 外堀と同じ役目 
これを見て うなぎを食べて というコースはいかがですか

私は、三島に来たのだからせめて大社でも見て帰ることにしよう






当日、若い人の結婚式が行われて


雨がすごいでしょ



三島といえば 水 水といえば 柿田川 名水の場所
町のいたるところに流れる





11時30分 帰ることにしよう
三島駅に行くと、新幹線は雪のためダイヤの乱れのため
一時間遅れが この次の日2月15日が首都圏をマヒにすることに
東京=那須塩原 そこそこ動いている 無事帰宅


15日当日 大嵐 猛吹雪


この三段の波状の雪バリケードは、昨日の見るはずだった
三島の土塁みたいであった 高さ1m 前に進めない


我が家に入ってくる道が 越してきてから最大積雪量
歩く道作り80cmの長い壁 除雪が大変であった
比較対象がないので みずらい映像は言葉にてかんべん

静岡お城のたびは お し ま い  

 

久能山東照宮~駿府城

2014年03月11日 | お城巡り

二日目


静岡駅より 路線バスにて 久能山へ


静岡は、暖かく梅が満開




家康が築いただけあって 小高い山の上にある
長い階段を登る 城みたいだ




面積は、広い


最初の門
1568年 元は、武田信玄の所有であったが 1582年武田氏が
滅び駿河の国一帯が 徳川の領有することになり
1612年 久能城を廃止 東照宮を建立する


山門の右側


山門の左側
家康なのかな?


匠の技をみせられている


さらに登る


三つ葉葵の徳川家の紋所 ひかえ~この紋所が、目に入らぬか!!










日光東照宮に匹敵するぐらいの建造物








唐燈籠 唐門 本殿を超えて行き止まりのところに
家康公のお墓がある


手まりが奉納されている


東照宮の隣からでているロープウェイに乗り
日本平へ




評判と 実際に行って自分の目で見るのとはえらく違う
たいしたことはない

静岡駅まで戻り 駿府城へ向かう




城は存在しないので 内堀の周りを歩く




石垣は当時のものも 残っているが修復されたのと混在する






駿府城の北に位置する 浅間神社




駿河の国の総社 家康が竹千代から元服の儀式を行った場所


奥には 賎機山古墳








この山の上にも 社殿が




どこか 久能山東照宮に似ている


結構上に登るのです






造りは見事なり




東照宮の門にあった 弓矢を持ったところ同じ


やはり 紋所が光っています


重厚な造り




見事な一刀彫


神社にしては 珍しくないですか 城の天主みたいな造り




浅間神社より歩くこと30分 臨済寺


元々は 今川家の菩提寺 国の重要文化財
人質時代の竹千代は、今川義元の軍師・太原雪斎から学んだところ






寺であるから 仁王様かな




変わったところに玄関みたいな


扉には、お決まりの紋が




痛んできた屋根


歩いて駿府公園に戻り 城があったと想像しながら巡る


見っ~けた これは、普請をさせられた武将が
ここの工事は私が行いましたと 印の後
自分の紋章を石に刻印する 


天守閣跡地









いまだに 城内に過去の水路跡が残っている






家康公にさよならを言い 明日は三島に移動し
中世の山城 山中城へ


お城見学 IN 掛川~駿府~三島山中城

2014年03月05日 | お城巡り

2014年 二泊三日の旅

 早朝那須から新幹線を乗り継ぎ 静岡県掛川へ


掛川の駅からまっすぐに進むと城に着く


内堀から見える天主


まずは、セオリー通り大手門から




少し長い階段を登る






登り終わりで振り返る


町の中心の小高い山の上


城の要と言える霧噴井戸


三層の天主


室町時代 駿河の今川氏が家臣朝比奈氏に命じて築城したのが
掛川城の始まり 戦国時代に入り山内一豊が城主となり10年在城




城の階段 急勾配 いっぺんに攻められない構造


掛川御殿 江戸時代後期 重要文化財




お庭に咲く梅ノ木






城に近い竹の丸と呼ばれている屋敷


北の門の守りを固める位置にあり 家老等の屋敷があった場所

その後江戸時代末期、松本家は問屋業をしており掛川藩御用達なり
明治になり 掛川の財界の有力者となり竹の丸に本宅を建てた








金持ちの道楽


当時に2階の造りは金がある人の贅沢のきわみ






広い庭園


龍華院たいゆういん霊屋
1656年北条氏重が三代将軍家光の霊を祀りお家の存続を
願ったといわれる霊廟










明治36年日本で最初の公会堂  大講堂







仰徳学寮(こうとくがくりょう) 元 有栖川宮邸明治13年建
この後は、静岡に泊まるので電車に乗り移動
ビジネスホテルに宿泊

一日目終了


安土城~近江八幡城下町

2013年12月10日 | お城巡り

2013年12月3日

早朝 6時30分京都到着
その足で 米原行の電車に乗り
安土駅へ行く 一つ手前の近江八幡駅は
あとで戻ることにし 安土駅を降り
一路 安土城跡に向かう 歩くこと30分強
前日、川越で二万歩近く歩いているので
足取りが少し重い 線路に沿う田んぼ道を歩くと
左に 標高199mほどの山が見える

入場料500円取られる





これから 長い階段を登り頂上の天守閣あとを目指す



登り始めてすぐ左は秀吉の館跡 右側が前田利家の館跡



急こう配の階段の左右は 家臣の館跡地が並ぶ



徳川家康の館の跡に立つ お寺



一般公開されていないが 少しだけ拝観



更に 階段は続く右へ直角 左へ直角へと曲がり
ハア~ ハア~言いながらテクテク登る



織田信忠館跡を見ながら 上へと



右に折れ天守閣目指す



あのう積の立派な石垣が出てくる





一気に攻められないように また、直角に曲がる
敵を上から 弓で射るための工夫の石垣



当時は石垣の上に櫓があり 鉄砲などで敵を撃つ

この石段には 階段用の石が不足して
いたるところに 墓石が使われているところが
信長流と言えるとこである
普通であれば ばちが当たりそうで使わないところなれど
一向宗や比叡山焼き討ちをするぐらいの信長は
気にもしないで使用している



やっと 本丸跡地までやってきた
元は 木が生い茂り 木を切って土をどけて
遺跡として出てきたそうです 全部埋まっていたそうです



建物の基礎石として こんな石も出てきたとの事



やっときました



堆積していた土の中から出てきた 基礎石が1.2mおきに
整然と並んでいる



地上6階地下1階(五層七階)高さ33mの木造高層建築は
我が国初めてのものであったと言われています
1579年完成し わずか三年後天正十年六月二日
本能寺の変後 六月十五日 天主 本丸が焼失二の丸は残る
その後、嫡孫秀信が居城していたが 八幡山城築城にともない
1585年(天正13年) 廃城となる



手前の樹は当時は無いので 見晴らしは良かったと想像できる
写真には写らないが 肉眼では遠くに山が見える



琵琶湖を望む展望
当時の琵琶湖はもっと水位があがっていたので
城のまじかまで水に囲まれてたとの事
南側だけが開けていた地形とか



信長が自らの菩提寺として 同じ時期に建てた
総見寺の三重塔 本堂は燃えてしまうが
これは残り 室町時代1454年の建物で
信長が甲賀の長寿寺(甲賀市石部町)から天正三年~四年頃
移築されたとのこと 柱には1454年建立
天文二十四年(1555年)修理の墨書きがあるとのこと



階段下には仁王門があり 位の低い武士はこの門から
登城し総見寺でお参りしてから 信長に挨拶してた



金剛力士像も応仁元年(1467)頭部内側に銘が残っている
ひと通り見たので 同じ階段下る
下に着くと1㎞先に
お城のレプリカがある信長の館に行く 500円払う







天守の5階6階部分だけ再現してある

このあと、テクテクと安土駅まで30分歩く
一駅戻り 近江八幡へ移動する
近江八幡駅から北へ真っ直ぐ小畑まで乗る
このあたりは 古い町並みとお堀と城跡が見どころ

八幡堀から見て回る





琵琶湖に出る 船の流通の要





川沿いに近江商人の蔵が立ち並ぶ



すぐ、荷を出し入れできるための階段









時期が来たらこの船にて遊覧できる
水郷巡り観光船



本願寺八幡別院









透かし彫りの見事な仕事ぶり





近江商人といえば

高島屋     義理の父が近江の国高島出身なので
        初代が名を付けた 

武田薬品    初代が薬種仲買屋(近江屋喜助)に奉公し
        のちにのれん分けで近江屋薬種商を開く
        4代目で名前が武田になる
 
西川産業    蚊帳 畳表などを商う のちに西川の布団になる

伊藤忠 丸紅 住友 西武などそうそうたる企業

町を走る バス タクシー 車体の色は西武と同じ



このマークどこかで観なかったか 使っているリップクリーム



近江兄弟社 昔メンソレータム









今は、ロート製薬の傘下かな



川越に似ている雰囲気



新町通り







尋常高等小学校



このあたりは、明治 大正の文化の匂いがする

北の先にあるロープウェイに乗り八幡山へ行くと
城跡にたどり着く 283mの山に築いた山城である
山崎の戦いの後(秀吉が明智光秀と戦い討ちとったこと)
1585年(天正13年)の紀州攻め、四国征伐で副将格で戦陣に入り武勲を立てた豊臣秀次は8月23日の論功行賞で近江八幡43万石(豊臣秀次は20万石、宿老に23万石)を与えられると安土城の隣地に八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築することにした。


三谷幸喜監督の映画基になった 「清州会議」が天正10年6月27日
1583年7月16日 織田家の跡継ぎ問題と領地分配の会議が
尾張の国 清州城で行われた

この時の織田家家臣は


   筆頭家老  柴田勝家  この会議後信長の妹 お市の方と結婚している
   次席家老  丹羽長秀
         羽柴秀吉  光秀を討ち取った功労者
         池田恒興  桶狭間の戦い 姉川の戦い功労
               犬山城の城主

結果は 秀吉が擁立する(三法師)信長の嫡男信忠の子秀信に決まる
これは、来年のNHK大河ドラマ黒田官兵衛(秀吉の腹心)の
策略と言われている

清州会議後 豊臣秀吉は安土城に替わる近江国の国城として
豊臣秀吉自身が普請の指揮をとり、山頂の城郭と麓にある居館
そして安土城から移築した城下町の造営に力を注いだ。
しかし、八幡山は安土山と違い険しい山で
山の斜面を十分活用できず麓の居館が城の中心となった。

今現在、多くが土に埋まっているため 一部の石垣だけしか見えず
今後 発掘調査が進むことにより お宝が出てくるかも。

第三弾は 京都に戻り 明日からは京都の町を散策
     京都と言えば ????でしょ
     前に京都は書いていますので今回は
     歴史から外れ マニア必見!! よだれが出てくるよ!!

  

天空の城 竹田城から天橋立

2013年05月30日 | お城巡り

2013年5月16日出発

自宅を出て、那須塩原駅6:11発新幹線に乗り
東京駅8時:56発こだまに乗り
岐阜羽島駅11:56着観光バスに乗り
琵琶湖~若狭~舞鶴赤レンガ倉庫群着

明治・大正の時代が残る 雰囲気ある建物






昔の電柱はこうだった


電柱に止まったセミを捕まえたものだ


二本の線は、当時の線路あと倉庫の中に貨車が入れたのだ


隣に、隣接する海上自衛隊


有事に備えて停泊


中国か北朝鮮に備えてか

その後、地元の北近畿タンゴ鉄道に乗る


四所駅~栗田駅までの電車の旅


山田洋二監督が好みの駅 寅さんが出てきそう


昔、汽車が走っていたころは 反対方向のホームに行くには
こういう作りになっていた いまでは、階段で向う側に行くが


単線のため駅のみ複線


カラフルな生き残り作戦の電車




まるで、路線バスと同じ 


ワンマン電車の為 運転士さんがすべてをこなす


海沿いを走る

栗田駅を降り 一路今日のお泊り宮津に向かう

2日目
経ケ岬から伊根の舟屋へクルージング




遠くに見える伊根の舟屋


釣りバカ日誌とフーテンの寅さんが撮影された場所



移動して、天橋立に向かう


ハイハイ、皆様おなじみの場所へ


この日は、お天気に恵まれてこのとおり バッチリ


行きは、左のケーブルカーで


帰りは、リフトに乗りました リフトのほうが楽しい

リフトを降り、バスの駐車場まで戻るとき 土産店に
前から欲しかった 船頭傘が なっ なっ なんと!
500円で売っているではないか!
即購入、 その後いろいろなところで売っていたが
1700円だったり 2000円のところも
ラッキーでした

バスは但馬の小京都と言われる出石へ


今では、時計台になっているが 戦国時代は
太鼓櫓としてあったそうな


散策路を歩くと、明治記念館がある


出石城大手門


城の規模は大きくはないが なかなかの風情が残る


のどかな城下町だ

この日の宿は 城崎温泉 昔ながらの湯治場
大きい宿は無くこじんまりする宿が多い
風呂は 内湯は使わずお客は外湯を
はしごする 宿から渡される入湯カード
首からぶら下げ あっちの湯 こっちの湯
大小10くらいある外湯めぐりも楽しみのいとつ

3日目

いよいよ、メインの竹田城跡に向かう
大きいバスは入れないので下で マイクロバスに乗り換える
山の上に向かうこと20分 


駐車場に残る門をくぐり お城の跡まで登り勾配を
歩くこと20分


途中、うずきの花を見ながら






当時の門


天守閣あとから下の町を見下ろす


日本の名城100選に選ばれている

標高354mの山頂位置する竹田城 基礎を築いたのは
1441年~1443年 但馬の守護大名山名氏
1577年織田信長の命を受け 秀吉により落城する
南北400メートル 東西100メートル完存する石垣は
全国屈指のものと言われている
この石垣は穴太(あのう)積みと言われ
姫路城、安土城などと同じ積み方である


天然の石をうまく積み上げた技術に完敗
この石垣が見たくて来たのである
10月にはかすみの上に立つ天空の城跡が見える
まさに、日本のマチュピチュです

この後は、丹波篠山 城下町


武家屋敷 入るのに500円




篠山城


そんなに大きい城ではない


お城の石垣は その部分を築いた武将が家紋残す
ここは 自分が造りました お金を出しましたと
証拠を残し 殿様に証を残す意味で
ちなみに有名なのが 名古屋城石垣 右側のはずれには
加藤清正の銘が刻み込まれている かなり薄れているが
よく探せば見えるはず





数多くの家臣がこの築城に当たられたか 家紋の数でわかる

いよいよ最後
京都嵐山 渡月橋付近で散策一時間三十分フリータイム
私 時代劇とか サスペンス劇場で出る
竹林が見たくて向かう




行き止まりまで行き 左に折れて公園を抜けると
桂川の観光船乗り場のところに出てきた






天橋立で購入しした傘と嵐山の竹林前で購入した
畳表のぞうり900円で売ってた
このぞうりも、他で買うと2000円はくだらない代物
安く買えてよかった


舟下りの船頭さんと間違われそうな 傘を付けた
信楽焼きのたぬきが人間に化けているありさま
この後、京都駅に向かい19:43発の東京行に乗る
家に着いたのは AM0時30分 つかれたびー

おしまい