田舎くらし

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長野・新潟の旅 (3)  (戸隠)

2014年09月29日 | お城巡り


松代を出て 一路戸隠へ
神社へ行く前に 寄り道






鏡池 紅葉の時とかきれいな池 この日は天気が悪い


一番最初に現れる 戸隠三社の一つ宝光社




急な階段を登る


なかなか古めかしい神社






ご神木


二つ目の中社






神社の奥にある滝 


今回の戸隠へ来た メイン 奥社


この入口から 社殿までの道のりは片道2km






それはそれは 大木の杉並木に囲まれながら
ひたすら 緩やかな登り道を歩く


途中に現れる 山門




最後のきつい階段を上り終わると奥社に着く


奥社社殿


苦労して上がってきたわりには 少しガッカリかな
今来た道を 2kmまた歩いて戻る

戸隠に別れを告げ 新潟県へ


戸隠そばが植えられている


一面ソバの花




途中立ち寄りした 野尻湖


広い湖でボート遊びや ウインドサーフィンしていた


移動中 看板が出ていたので また立ち寄り


橋の向こうに関所が


のどかな山村の風景




関所の番所


レプリカです

今日は 赤倉温泉に宿泊します

次の日は 急な思い付きで 上杉謙信の
春日山城へ行くことに


長野・新潟の旅 (2)  (善光寺~川中島~松代)

2014年09月25日 | 国内旅行

長野善光寺より 川中島の戦いがあった合戦場に向かう



武田信玄対上杉謙信の戦いの場 川中島


有名な戦いの一場面 記念銅像がお出迎え


勝利を祈願して 信玄側が建てた神社あと
新しいのは この後ろにあるが 当時のまま
今もこの場所に残る


古戦場跡公園として市民の憩い場として

このあと、松代へ


松代象山大本営跡

ここは、太平洋戦争の終わりの頃 日本軍が本土決戦に向け
戦争の指令を出す 大本営をここに建築
早く言えば 将校たちの逃げ場所を造った訳よ


多くの人々を使い 特に朝鮮の人たちを 奴隷のように
働かせて 地下壕を造っていた 朝鮮人の人たちの慰霊碑




これから、地下壕の中に入ります 無料です


まあなんと 奥が見えないほど広い
長い真っ直ぐな道がつづく


岩盤を掘ったまんま残る これは、行って自分の目で見ないと
このすごさは伝わらない 掘った人は大変だったであろう


まるで 金山、銅山の跡地の様




真っ直ぐな一本の道から 左右に枝分かれした道が続く


中には 奥のほうでコウモリが飛んでいる 
別に何も怖くはないし 襲ってくるわけでもない
安心して 見学できる




横に線のような跡が トロッコの枕木のあと
1kmくらいあるのかな とにかく、広い

完成を待たずして 敗戦したので実際には使われていない
この労働は、すべて無駄に終わったのです
無能な日本軍の指揮官たちに翻弄された人々達

九州に行くことがあったら 日本軍の特攻隊の方々資料館
知覧に行ってください 若くして特攻に散った人たちが
わかります


ここは、先ほどの場所から さらに車で10分以内にある
山の上に向かうとある 昭和天皇の非難する場所として造られた所で
当時の和室など一部が窓の外から見れる

今は 気象庁の観測所になっているが 一部写真公開で見れる


旧武家屋敷風に あちらこちらに、このように点在する

ここから 松代の駅の方へと移動 町の中心へ


この印し どこかで? そうです! 六文銭と云えば

真田家の紋章です










江戸末期の庭園 史跡指定

九代藩主 真田幸教は、義理の母貞松院のために建てた
新御殿 のちに自分の隠居所として使う
明治以降、真田家の別邸として使われていたが
昭和41年 植科郡松代町に譲られた
この時まで 個人の所有物とはさすが 我が殿様だ

この辺りは、この真田邸をはじめ 旧白井家 旧樋口家 旧横田家
真田宝物館 番外で池田万寿夫美術館などあります
料金が取られます 200円~300円ほど


私は、大好きなお城跡へ向かいます お城マニアとして


武田の時は 海津城 その後真田になり 松代城となる






内堀を渡り 門をくぐる


復元でもうれしい


角櫓の後
武田滅亡後 信長が亡ぶと上杉景勝の支配となり
その後上杉が会津に配置換へとなり松平家
真田信之が元和8年に10万石を領して居城





我が先祖は 長野の上田から別所温泉までの中間にあたる
塩田と云う所の出で 我が一族は真田家に仕え 農民足軽として
戦をしてたようで 領地をいただく


今は 廃線になった駅舎 古い懐かしい風景







今日は 松代のホテルに泊まり
次は、戸隠へ向かう

つづく


長野・新潟の旅  (善光寺~川中島~松代)

2014年09月24日 | 国内旅行

1日目
長野県 善光寺に到着
まずは、ちょうどお昼なので おなかがすいたので
昼食が食べられるところを探す 
門前にある栗おこわが食べられる小布施で有名な
竹風堂の支店があったのでここに決めた




1750年に完成 高さ20m 幅20m
屋根はサワラの木の板を重ねたトチ葺きです
堂々たる山門 この二階に入場料500円ほど払うと急な階段を上って
見学できる


上から 門前町が一望


ここに来たら 壁を見てください 墨で書いてある
年号 どこの誰が来たか 江戸時代の人の名とか
古いのは・・年・・月とか書かれている
善光寺参りに来た人が書き残した文字が
あちらこちらに書かれている
今の人が書いたら建造物・・の罪になるが
はるか、300年位前はよかったのですね






左右にある不動明王


手前はわらじがかけてある ここまで歩いてきた証を残し
祈願成就の願いを込めているのだと




本堂に入り、お釈迦様の弟子 十六羅漢の一人
びんずる尊者が迎えてくれます
私は、頭と腰あたり?
この像に触れると病気を治してくれると云う信仰
 拝観料(内陣券)500円を払い奥へと進む
来迎二十五菩薩像 左右には西国・坂東・秩父の
各観音霊場札所の観音像が安置されています
そのほか、地蔵菩薩像 阿弥陀如来像がいます

右奥には善光寺を開かれた 本田善光卿と奥方と息子三体の
仏像が祀られている 善光寺の名の由来はここからつけられて
いるのだそうです

さらに奥に進むと 「お戒壇めぐり」の入り口がある
階段を降り暗闇の地下へ
極楽の錠前をさぐりあてる
お釈迦様の遺骨を納めてあるそのカギに触れた人は
極楽に行けるという信仰がある












お庭も広いです


経蔵

西側にある仏教の経典を納めてある書庫
中央にある丸い形をした輪蔵と呼ばれるものを
回すことによりお経を 読んだことと同じ功徳得られるとのこと

これは、前に旅行したネパールの輪に車と同じ
ネパールもお釈迦様の教えを 
信仰の対象としている国なので

ブログの中にネパールの旅も書いてあるので
興味のある人は そのページをめくってください
2013年1月ページ参照




鐘楼 嘉永6年(1853)年再建
火事で燃えているようで 鐘自体は1667年の鋳造
寺 お城って結構火事により焼失 再建って多いのよ


最後に一礼して これにて失礼

このあとは、武田信玄と上杉謙信  川中島合戦跡(古戦場)から
松代城 真田邸を見に行きます

つづく


高野山~比叡山の旅 (2)

2014年09月23日 | 国内旅行


奥のほうにある女人堂
その昔、高野山は女人禁制だった為 女性はここまで
だったそうで この仏像に願いを込めて祈り
ここから、右上の山を登り 本山の上まで行き
拝んだそうです




この右上を登っていく




徳川家霊台


向かって右が家康の霊屋


向かって左が秀忠の霊屋

三間四方の一重宝形造りで江戸時代の建築として
重要文化財に指定されとぃる
細部まで彫刻 飾り金具など技法を凝らしてある
1643年三代将軍 家光公により創建されたもの






高野山の一番大きな 中央にあるお墓の数々






有名な企業のお墓がずらりと並ぶ


あたりは、杉の太い木に守られている


このあたりからは、歴史上の方々のお墓が並ぶ
黒田官兵衛


松山藩松平家(徳川家の分家)


加賀藩 前田利長




安芸 浅野家


島原 松平家


弘法大師 空海はいまでも生き仏として祀られているので
お食事をご霊前に祀る行事として運んでいるところ




霊宝館の中には文化財がずらりと並ぶ 見る価値はあると思う
高野山に別れを告げ 高い山から下界に下りる
昔の人の歩いた参道が今でもあるが
ここを歩いて登るには 大変だったと思う
人一人分の幅の道を 急な道を・・・・・

この後、京都に移動し ホテルにて宿泊


次の日 比叡山 788年創建
伝教大師最澄が開山 こちらも、1200年だそうです
比叡山は 東塔 西塔 横川の三つの地域に分かれており
これらを総称して比叡山延暦寺と云われています




東塔にある根本中堂(国宝) 東塔 大講堂 阿弥陀堂など








僧侶の公用車








前日とは違い 晴天なり


西塔地域 


林の中のにない堂




常行堂と法華堂の二つがつながる 修行堂




ただいま、修行中


戸を閉め切って 座禅中




座禅をする 釈迦堂


後ろからの撮影


徒歩で少し歩くと


横川地域


横川中堂




四季講堂 元三大師堂








山修行で使ったわらじが置かれている

これで今回の高野山 比叡山の旅はおしまい
空海 最澄の二人が築いた二つの信仰の山寺
比叡山は山形の山寺は姉妹寺とのこと
1200年の火は一時期山寺に越していて
その後、こちらに戻ってきたとのこと
信長に攻められ燃やされた後 秀吉が力と財をとおして
再建築した比叡山は多くの僧侶を輩出した各それぞれの
僧侶の絵が飾ってある
それぞれ、山で二人は 何を考え 宗派は違えど
偉大なまでになった今の寺をどうおもっているのか?


高野山~比叡山の旅 (1)

2014年09月22日 | 国内旅行

一日目




高野山 金剛三味院 重要文化財 運慶作 愛染明王
不動明王など拝観

高野山は 弘法大師「空海」により816年に開かれ
来年は1200年記念の行事があります













屋根がおもむきをかもしだす


総本山金剛峯寺へ








彫り物のすばらしさ こけの渋さがたまらない




真言宗の総本山


枯山水の庭園






建物は古くて見ごたえがある

国宝・多宝塔 奥の院 へと見学に行く
中は撮影禁止なので 仏像 絵 彫刻 書など
画像はありません




根本中堂 金堂などなど拝観










西塔



本日、宿坊にお泊りです。  山形の羽黒山以来






トイレ 洗面台は共同 お風呂は4~5人に入れるくらい




敷地面積は広く 中には朝のお経をあげるところがありまして


庭は、あの有名な小堀遠州がてがけた重要文化財の庭園










歴史のある宿坊 夕食は高野豆腐 煮物などの精進料理
アルコールは売りに来ましたので飲めました ビール 日本酒など
今日は、これにておやすみ 第1弾 つづく