長野善光寺より 川中島の戦いがあった合戦場に向かう
武田信玄対上杉謙信の戦いの場 川中島
有名な戦いの一場面 記念銅像がお出迎え
勝利を祈願して 信玄側が建てた神社あと
新しいのは この後ろにあるが 当時のまま
今もこの場所に残る
古戦場跡公園として市民の憩い場として
このあと、松代へ
松代象山大本営跡
ここは、太平洋戦争の終わりの頃 日本軍が本土決戦に向け
戦争の指令を出す 大本営をここに建築
早く言えば 将校たちの逃げ場所を造った訳よ
多くの人々を使い 特に朝鮮の人たちを 奴隷のように
働かせて 地下壕を造っていた 朝鮮人の人たちの慰霊碑
これから、地下壕の中に入ります 無料です
まあなんと 奥が見えないほど広い
長い真っ直ぐな道がつづく
岩盤を掘ったまんま残る これは、行って自分の目で見ないと
このすごさは伝わらない 掘った人は大変だったであろう
まるで 金山、銅山の跡地の様
真っ直ぐな一本の道から 左右に枝分かれした道が続く
中には 奥のほうでコウモリが飛んでいる
別に何も怖くはないし 襲ってくるわけでもない
安心して 見学できる
横に線のような跡が トロッコの枕木のあと
1kmくらいあるのかな とにかく、広い
完成を待たずして 敗戦したので実際には使われていない
この労働は、すべて無駄に終わったのです
無能な日本軍の指揮官たちに翻弄された人々達
九州に行くことがあったら 日本軍の特攻隊の方々資料館
知覧に行ってください 若くして特攻に散った人たちが
わかります
ここは、先ほどの場所から さらに車で10分以内にある
山の上に向かうとある 昭和天皇の非難する場所として造られた所で
当時の和室など一部が窓の外から見れる
今は 気象庁の観測所になっているが 一部写真公開で見れる
旧武家屋敷風に あちらこちらに、このように点在する
ここから 松代の駅の方へと移動 町の中心へ
この印し どこかで? そうです! 六文銭と云えば
真田家の紋章です
江戸末期の庭園 史跡指定
九代藩主 真田幸教は、義理の母貞松院のために建てた
新御殿 のちに自分の隠居所として使う
明治以降、真田家の別邸として使われていたが
昭和41年 植科郡松代町に譲られた
この時まで 個人の所有物とはさすが 我が殿様だ
この辺りは、この真田邸をはじめ 旧白井家 旧樋口家 旧横田家
真田宝物館 番外で池田万寿夫美術館などあります
料金が取られます 200円~300円ほど
私は、大好きなお城跡へ向かいます お城マニアとして
武田の時は 海津城 その後真田になり 松代城となる
内堀を渡り 門をくぐる
復元でもうれしい
角櫓の後
武田滅亡後 信長が亡ぶと上杉景勝の支配となり
その後上杉が会津に配置換へとなり松平家
真田信之が元和8年に10万石を領して居城
我が先祖は 長野の上田から別所温泉までの中間にあたる
塩田と云う所の出で 我が一族は真田家に仕え 農民足軽として
戦をしてたようで 領地をいただく
今は 廃線になった駅舎 古い懐かしい風景
今日は 松代のホテルに泊まり
次は、戸隠へ向かう
つづく