街の中に残る城跡 復元武家屋敷が2軒あるだけ
天然の岩盤を利用した この上の小高いところが城
階段の急な所は一丁前
1180年 湯築城は 源平合戦で河野通信が頼朝軍につき
壇ノ浦で水軍を率いて功績をあげ 1192年伊予の国
松山あたりを所領 承久の乱後鳥羽上皇方につき敗北
細川軍と戦いがあり 負け和睦し足利将軍家と結びつき
大内 大友 毛利 中国山地三大勢力と同盟をもち伊予守護大名になる
1535年頃、村上水軍と関係を強化 秀吉の四国攻めにあい
1585年小早川隆景に湯築城を明け渡す 河野氏滅亡
今日は奥道後温泉に泊まる
3日目 最終日
丸亀城に着く
お堀跡
丸亀城は 秀吉に信頼されていた生駒親正により1597年
高松城の支城とし亀山に築かれる 1615年一国一城の制度により
廃城 その後天草の山崎家治の領地となり亀山城を
築城するが、1656年焼失 翌年山崎氏廃城
そのあと、京極高和が藩主 1660年丸亀天守完成
66mの高さに築かれた平山城 本丸 二の丸 三の丸帯曲輪
東西540m、南北460m 石の城と言われ石垣が有名
大手門跡 切り込みはぎ 見せる権力者力の魅せ比べ
大手一の門
三の丸石垣は一番高い20m以上ある
山崎氏の時代の石垣が残る 野面積み 打ち込みはぎ 切り込みはぎ
石には普請した 家臣マーク △ 田 よく刻まれている印
探してみるのもいい
二の丸跡
本丸跡地と天守が見えてくる
3層3階15mの高さ 1650年日本一小さい現存12天守
重要文化財に指定されている
お決まりの東西南北の景色
移動します 次は高松城
1587年前にも出てきた 生駒親正の平城
海水を水堀に使う 日本三大水堀城の一つ
生駒氏が改易のあと 出羽の国(秋田県)に格下げ
1642年常陸の国(現在の茨城県下館藩主)
松平頼重(徳川家康の孫 <光圀>の兄上にあたります
本丸と二の丸を結ぶさや橋
水堀は干満の差があるため、水門がある
月見櫓 水手御門 渡櫓 太鼓櫓など重要文化財に指定されている
高松藩と彦根藩は縁組にしていて 彦根藩主井伊直弼の次女
千代姫を輿入れしている間柄
天守跡
奥どまりの門まで来た
朝日門かな
今後天守閣復元計画があるらしいがコンクリートはやめてほしい
最後の徳島城跡はこてこて歩き博物館まで連れていかれ
100名城のハンコ押しツアーみたいで何時まで戻るように
時間が足りず 上のほうに小高い本丸跡とか 二の丸跡地まで
行かれない これがツアーのやなところ、じっくり見れないもどかしさ
帰りの飛行機の時間により 少しばかりカットされたかな
徳島城は細川氏の居城であり 秀吉の四国攻めのあと蜂須賀家正が
領主となる61m高所 山城であるが石垣は本丸の一角に
残り280年続いた歴史ある蜂須賀家が治めていた
徳島城ガイドを見る限り上の所を登ると石垣跡とか
搦手門あと 見るところはありましたが
私たち見ることはできませんでした
個人で行く人は 上まで行って見てください
これにて、今回の四国100名城の旅はおしまいです