田舎くらし

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四国100名城の旅(5)

2022年08月26日 | お城巡り












街の中に残る城跡 復元武家屋敷が2軒あるだけ


天然の岩盤を利用した この上の小高いところが城






階段の急な所は一丁前


1180年 湯築城は 源平合戦で河野通信が頼朝軍につき
壇ノ浦で水軍を率いて功績をあげ 1192年伊予の国
松山あたりを所領 承久の乱後鳥羽上皇方につき敗北
細川軍と戦いがあり 負け和睦し足利将軍家と結びつき
大内 大友 毛利 中国山地三大勢力と同盟をもち伊予守護大名になる
1535年頃、村上水軍と関係を強化 秀吉の四国攻めにあい
1585年小早川隆景に湯築城を明け渡す 河野氏滅亡

今日は奥道後温泉に泊まる

3日目 最終日

丸亀城に着く




お堀跡




丸亀城は 秀吉に信頼されていた生駒親正により1597年
高松城の支城とし亀山に築かれる 1615年一国一城の制度により
廃城 その後天草の山崎家治の領地となり亀山城を
築城するが、1656年焼失 翌年山崎氏廃城 
そのあと、京極高和が藩主 1660年丸亀天守完成
66mの高さに築かれた平山城 本丸 二の丸 三の丸帯曲輪
東西540m、南北460m 石の城と言われ石垣が有名








大手門跡 切り込みはぎ 見せる権力者力の魅せ比べ


大手一の門


三の丸石垣は一番高い20m以上ある






山崎氏の時代の石垣が残る 野面積み 打ち込みはぎ 切り込みはぎ
石には普請した 家臣マーク △ 田 よく刻まれている印
探してみるのもいい




二の丸跡




本丸跡地と天守が見えてくる
3層3階15mの高さ 1650年日本一小さい現存12天守
重要文化財に指定されている










お決まりの東西南北の景色
移動します 次は高松城














1587年前にも出てきた 生駒親正の平城
海水を水堀に使う 日本三大水堀城の一つ
生駒氏が改易のあと 出羽の国(秋田県)に格下げ
1642年常陸の国(現在の茨城県下館藩主)
松平頼重(徳川家康の孫 <光圀>の兄上にあたります






本丸と二の丸を結ぶさや橋


水堀は干満の差があるため、水門がある




月見櫓 水手御門 渡櫓 太鼓櫓など重要文化財に指定されている


高松藩と彦根藩は縁組にしていて 彦根藩主井伊直弼の次女
千代姫を輿入れしている間柄




天守跡


奥どまりの門まで来た


朝日門かな


今後天守閣復元計画があるらしいがコンクリートはやめてほしい

最後の徳島城跡はこてこて歩き博物館まで連れていかれ
100名城のハンコ押しツアーみたいで何時まで戻るように
時間が足りず 上のほうに小高い本丸跡とか 二の丸跡地まで
行かれない これがツアーのやなところ、じっくり見れないもどかしさ
帰りの飛行機の時間により 少しばかりカットされたかな

徳島城は細川氏の居城であり 秀吉の四国攻めのあと蜂須賀家正が
領主となる61m高所 山城であるが石垣は本丸の一角に
残り280年続いた歴史ある蜂須賀家が治めていた
徳島城ガイドを見る限り上の所を登ると石垣跡とか
搦手門あと 見るところはありましたが
私たち見ることはできませんでした
個人で行く人は 上まで行って見てください

これにて、今回の四国100名城の旅はおしまいです


四国100名城の旅(4)

2022年08月20日 | お城巡り

2日目
お宿から宇和島城へ行く


駐車場から歩いて、すぐに待ち構えるのは急な階段


右へ左へと振り回されて登る


歴史的には、天正3年(1575)西園寺宣久が板島丸串城の城主となる
慶長元年(1596)藤堂高虎が板島城の築城を始める
当時の地名が板島と呼ばれていたから 1601完成
しかし高虎は今治城に移り ここは城代の任せる その後1608年
富田信高が宇和10万石として1608年任されるが
1613年改易され 高虎預かりになる
1614年 東北伊達家から伊達秀宗(秀の字は2代将軍秀忠から一字もらう)
板島から宇和島に変更される




井戸丸門跡 深さ11m さらに進む


さらに急な階段を上り




藤兵衛丸 高虎時代の石垣が残るところ
二の丸跡を通過し本丸跡地に出る








小ぶりの天守が見える


現存12天守の1つ 1615年伊達政宗の長男秀宗が入城 
西国伊達家9代の城 重要文化財に指定されている
2代藩主宗利が1666年建築したもの高虎の城を撤去し
新しく自分の城を築城 千鳥破風 唐破風 武者走り
武者窓など備える 海水をお堀に入れている
本丸までは一の門 二の門 三の門を通らなければここまでたどり着けない


入城 当時の材木 古い時代をぃ感じながら
400年の歴史たまらんばい












最上階からお決まりの 東西南北の景色


高虎時代の石垣が残る野面積み


長門丸と呼ばれ 家臣の名が付いている 算木積み

宇和島城を後にして次に向かうは大洲城


高台にある 街からよく見える




駐車場から街並み 公園見ながらあるく


民家のすぐ後ろに石垣が残る 残し方があるだろう


昔の石垣が残るが残す方法あるだろう



この残し方


復元天守




中は木造で国産木材を使用


2004年に復元








大洲城は1888年天守が取り壊されてしまう
台所櫓と高欄櫓は残り現在は重要文化財に指定されている






大洲は1585年羽柴秀吉の四国平定後
道後湯築城を本拠地とする小早川隆景の枝城となる
戸田勝隆に代わり 次に高虎に移り 脇坂安治が洲本より入り
1617年に 加藤貞泰が米子より入城 4郡6万石所領
以後加藤家のお城として築かれていく

昼食後 湯築城に行く

四国100名城(3)

2022年08月04日 | お城巡り

午後から 高知城

元々は長宗我部元親の領地 関ヶ原合戦の功績で
遠州掛川から入国した山内一豊が治める






高知城石垣は近江の穴太衆によるもの 雨の多い高知
崩れにくく排水能力にかけた石垣になっている


三の丸では長宗我部元親が 築城当時の際の石垣がある
追手門から登り杉の段に入る 石落としの仕掛け
大井戸のあと通過 鉄門跡詰門 桝形になり
防御している 




鉄門




右手前三の丸 右手に二の丸 左手に本丸 天守閣が見えてくる


詰門 橋廊下 2階が家老、中老など詰め所になっている




内部三層六階外観四重の天守1749年再建 
一階北東角には全国唯一 現存忍び返しがある




右手奥にある 黒鉄門


1727年大火にて焼失 1753年完成現在の天守20年以上
かけて再建された




本丸御殿上段の間
本丸には 天守、納戸蔵、廊下門、東多聞、西多門、黒鉄門など
建造物が残る 現存12城の中でも 本丸御殿があるのは
高知城のみで国の重要文化財指定にされている


中庭があり 不思議な城


畳敷きで、生活感が残る 本丸天守 合体した城見るべし


上から見る廊下門


ミニチュア


急な階段は上から槍攻撃 狭い階段では一気に
攻められない 敵は階段の上の柱があるので
刀がふれない








縄張り地図












上から見る景色




かぎ状に曲がる石垣 死角をなくして どこからでも矢浴びせられる


忍び返しだ







城を守るお堀は三分の一ほど 堀の幅も半分くらい狭くなり
土塁もなくなっており 規模は相当小さくしか残されていない
また、城の近くには 山内家資料館 山内容堂の下屋敷(国指定重要文化財)
大政奉還に関係した後藤象二郎 土佐勤王党(武市氏)など見るところもあります

1日目のお城観光はおしまい 本日高知市内にてお泊り
次回、2日目は 宇和島城、大洲城などに行きます