田舎くらし

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2023年新潟のお城

2023年08月14日 | お城巡り


8月15日 追加編集 村上城について、少し詳しく

今回は新発田城と村上城に行く  新発田に着くと
清水園に寄り道 ここは、越後新発田藩の初代藩主
溝口秀勝が1598年加賀大聖寺より六万石で配置
以来12代まで納めた  この庭園は三代宣直が清水谷と
呼ばれたこの地に下屋敷として建立


武家屋敷








清水園入口






広さは、四六〇〇坪 近江八景を取り入れた 京風の庭園


大池泉を配置した回遊式庭園








紅葉ではないですよ 紅い葉の木


















下級武士の長屋




二間 台所のみ


移動し お城に向かう








新発田城に到着 外からの景観


正面左側の隅櫓




正面 表門 重要文化財に指定されている
石垣は、切り込みはぎ積 1689年のもの


右側隅櫓 辰巳櫓




右隅櫓の中




展示物室


左隅櫓 1615年武家諸法度後の築城なので、天守閣は無い
三匹の鯱の三階櫓はここだけ




100名城の中でもがっかりさせる城の一つ
何も残ってない 後ろ、横、すべて自衛隊に敷地を取られ
一部しか 城として残ってない 水戸城と同じ

初代藩主のひ孫で、新発田生まれの忠臣蔵で高田馬場の
助太刀で知られる 堀部安兵衛で有名なのに残念だな

ここは これで、おしまいにして北上する
100名城ではないが 村上城に行く

村上市の東にある臥牛山 135メートルにある城
戦国時代に築かれたとも 特定はされていない
この城は本庄城と呼ばれ鎌倉時代からの国人
本庄重長は、上杉謙信に従え 川中島の戦いでは
有名な武将だったのだが、 上杉と対抗していた
芦名氏 伊達氏とも付き合うなか そして
1568年 武田信玄と手を組み上杉に謀反を起こす
その後、和睦 息子を人質として戦いは終わり
時代は秀吉の天下 堀秀治の臣下、村上頼勝が治めることに
9万石 その後はコロコロと城主が変わる 徳川の時代
本田忠義 松平直矩 徳川の譜代内藤氏と続く




山城なので登っていく


道幅は広く コンクリート道なので歩きやすい観光用




段々登っていくと、古い石垣が出てくる


真ん中に大きな木が現れる これは年数が経っている


表示がないので 三の丸跡か 二の丸跡地かな


なにものこってないが 櫓跡があったと想像して
松平直矩の時、かつては、三層の天守櫓が存在してた






東西南北の隅櫓跡地
出櫓跡と呼ばれる二層式の櫓があった
雪櫓跡は武器庫として 使用されていたと












石垣は素晴らしい 古くて当時のものでは、と思われる
門は七か所あり 本丸に行くには城の周りを回されていく感じ
城主が何人も変わっているので その時代の工事に使われている石が
違うので石垣の種類も違うのが楽しめる








積んである石垣の年代が 違うのがお分かりかな


これなどは、四角に切ってから積んである 切り込みはぎ


歩いてきた登城道
全体とし総構えの縄張りで 町全体を守る
小田原城と同じ構造




やっと、頂上に着く 下の街が見える
ここが、本丸跡地この下が 二の丸 さらに下が、三の丸跡のようだ
これにて、おしまいです