雨日記

雨とイギリスとアートにおけるコーヒーなはなし。

人間の記憶について。

2006-11-13 10:06:44 | Weblog
昔のことを思い返すとき
そのときに自分の頭がなにを考えてたかということよりも
周りにあったものとか、そこにいた人とかのことの方が思い出しやすい。

ちょっとがんばっても、ほんのすこし、それも片隅しか思い出せないから
そのときに自分がとった行動から推測して
多分、こんなふうなことしたのは、あんなふうに考えてたからなんだろう
と、思い出したような気分になる以外、なにもできない。


昨日,今日と
昔読んで感想も内容すら忘れた本を読み返してみたら
そこにでてくるレコードのはなしだけ覚えていた。

それと、
このあいだ入ったスターバックスで、まあスタバで
メニューみてたらチャイティーが目にはいって、それを頼んだ。
懐かしい気分だった。



三年前の冬。まだジューダイでコーコーセーだったころ。

僕は友達と缶のチャイをよく飲んでいた。
四つ並んだ自販機のはじっこにあったような気がする。そこは少しあいまいだけど、
でも、とにかくチャイティーで、無理矢理のインド風なデザインで、真中にはゾウがいた。

美術室でチャイを飲みながら、デッサンに飽きると色々話をした。
映画の話とか本の話とかジャズとかロックとかそういう高校生の話だ。

そのときにその本を借りて読んだ。
でも、そのときにどう感じたのか。全く覚えていない。
あまり、よく理解してなくて、読んだ気分になってただけ。という気もしなくもない。
とにかく、レコードの話しか覚えてない。



そういうことって、ちょっともったいないな、て思った。



でも、

僕はこないだメニューのなかのチャイティーが目にはいったのだ。
そして、それを頼んだのだ。

あの自販機で売られてた缶のチャイがどんな味だったか覚えてなかったし
そもそも、それまでチャイの存在すら忘れていたのに、

いつもメニューをみて考えるのが嫌いな僕はメニューをみたふりして毎回カプチーノをたのむ。
それでもこないだは、一回チャイティーが目にとまると、頼まずにはいられなかった。


結局、頭が覚えていて、
しかもそれを自由に出し入れすることのできる記憶って
ものすごく小さい規模で
それをもし 覚えてる。というならば
僕はほとんどのことを覚えてないけど。

でも
スタバのチャイの話のことを考えると
頭じゃなくて、もしかしたら頭かもしれないけど、
どこかに、そういった忘れたと思ってるものたちはちゃんといて
意識して取り出すことは無くても
忘れたと思われてても。ちゃんとそこにいて。

簡単に出し入れできるものだけじゃなくて、
じつは、こういう奥にずっといるものたちが、
自分を形成する上でなかなか重要な存在なのかもしれない。


近頃、
色々なものを見て、ちゃんと噛みしめたつもりでも
すぐぽろぽろとこぼれていって、忘れてしまっている気がするけど
それでも、なにかしら、どこかに引っかかってくれてるといいんだけどなあ。



と最終的に、こう思ったのだった。終わり。