雨日記

雨とイギリスとアートにおけるコーヒーなはなし。

シュールなレアリズム

2006-11-08 09:30:41 | Weblog
今日みつけた、おもしろいこと。

あるシュルレアリストのことば。
'a word is itself a very highly combustible object'
意訳;言葉というものはそれ自体それはもうとても燃えやすい物質なんですよ

上手く訳せてないけど。

ここでなにがいいたいかというと
言葉は言葉として、ひとつのモノとして存在するんだよ、てはなし。




言葉はなにかを表して、ほかの人に伝えるために
“道具”という面が最初にある。

今くるってみわたしたときに目に入るもの全てには
それを表す言葉がある。

だから、その言葉たちには必ず後ろになにかあって
それ一つの存在ではなく。常に、なにかに付属している。

が、しかし



マグリットが絵に描いたのは、
言葉と画がちぐはぐにおかれ、額に飾られた画。
彼は馬の絵の下に、the doorという文字をのせる。
また牛乳瓶の下に、the birdという文字をのせる。

彼はその行為を
demonstrate of the freedom of the languageとよんだのである。

ここがいいとこ。

モノはモノとして一個で存在できる。これはよし。

次に言葉。
言葉は、なにかを表すための道具。
だから、その言葉をつかうと、その言葉そのものよりも
その言葉の後ろにある、表してるモノが前にでてきちゃう。

でも、ちょっと目を細めて思考の速度を落とすと

表してるモノが出てくる前に、その言葉というモノに目がいくと、だ。
ここで、その言葉が言葉それ自体として存在できるという可能性を知る。

the doorは扉を表すことは無く、the doorであり
the birdは鳥を表す訳でも無く、まして牛乳瓶でもない、the birdであるのだ。

それは表すためではなく、それ自身として成り立つモノになるのだ。

人は何かに言葉をあてはめる。
そうすると、あてはめられた言葉によって、そのモノはその言葉を通したものになるし
その言葉も、それを表すための言葉になる。そこに固定される。

でも、その関係性をちょっとほどいてみると

その二つのものが、ひとつ、ひとつ、なにも縛られずに存在できるようになる。広がるのだ。


そこが、最終的に、surrealism(シュルレアリスム)の目的である
the liberation of our mind: 心の解放
につながっていくのだ。






あー、面白いけど、あったま痛くなりますね。