雨日記

雨とイギリスとアートにおけるコーヒーなはなし。

ココロにスペースを。

2007-02-27 08:45:24 | Weblog
ぎゅうぎゅうに詰まった状態で
右も左も見えなくなって
上か下かもわからなくなって
そうするとそいつはどんどん大きくなっていく。

あとになって、2、3歩下がってみてみると
笑えるくらいくだらない、と思えるようなことも
ついさっきまでは、そのせいで自分の人生をのろってたりする。

いつのまにかそいつにつかまって
ずるずると、あれこれあれこれ、なぜじぶんばっか。

やはり、すき間は常に空けておくべきだ。

自分でいつのまにかつくりあげた不幸であたまいっぱいなときは
上手に心にすき間を作り出すことだ。または、見つけてみるのだ。

そこのすき間はいつも真っ白で自分の中の忘れそうなところにある。

そこでは、時間にもまわりのイヤなことにもふりまわされない。
ふとしたときに思い出す、うれしい思い出とか、楽しみな予定とか
大好きな曲のフレーズとか、笑えるだれかの口調とか
そういったものたちの居場所として、空けられたスペースなのである。

たとえば
タバコを吸うヒトはタバコを吸うときに
コーヒーを好むヒトはコーヒーを飲むときに
コーヒーが苦手なヒトは紅茶でもいいけど

そういう何もしないひとりの時間に、
ふと、明るいものをくれることを思い出す。

そう、必要なのはすき間。
そいつにつかまりそうなときは、ココロにスペースを。
そうすれば、2、3分後には空気もおいしいはず。




ロンドンの雪。

2007-02-09 01:42:54 | Weblog
ロンドンにこの冬二度目の雪が降る。

二月のはじめ。ようやく07の表記にも慣れてきたりして。
だけれども、まだまだ冬ですよ、といわんばかりの今日の雪。


雪は、埼玉の田舎に住んでいた者にとっては少し特別だったりする。
だから、それらは、ひとづつ小さな出来事としてぼくは記憶している。

今日はここロンドンでの雪。
ロンドンの西側にある小さな町で、二階にある自分の部屋から雪を見ている。

こういう小さな、でも少し特別な出来事は、
なんだかぼくに普段のことを改めて見てみる機会を与えてくれる気がする。
このあいだの雪はすぐ消えてしまったので、なにか考えたりすることはなかったけど。
今朝、カーテンを開けて、雪がまだしっかりとふっているのを見て、ぼくは少し考えた。

今の場所と、今の時間。

高校のときに地図帳とCDでしか知らなかったところで、
今では学校にいってスーパーで買い物をしていたりする自分に気づく。
そして、今、雪を見ている。

遠くまで来てしまったなあ、といった気分と
大して変わらないなあ、といった気分を両方もってることに気づいて
ロンドンの雪と埼玉の雪の違いにも目を向けてみる。
しかし、当たり前なのかどうなのか、ちがいなんて結局なにもわからない。

今日の雪も、これから先何年かはロンドンでの二度目の雪というかたちで記憶されるだろう。
そして、今から何年後かに今日を思い出してみて、そのときなって初めて少しは違いがわかる、というものなのかもしれない。