見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

サンパウロの日系ブラジル人

2007-12-28 07:57:01 | 南米
サンパウロの滞在日数は限られている。
「サンパウロ?都会で無機質で何もない。つまらない街だよ。それでも行くの?」と何人かのブラジル人に言われた。
それでも、日本人にとっては特別な関わりのある都市だ。定年後の悠々自適な生活を送る長期滞在国を求める現代とは違う。サンパウロに移住した日本人は、あの時代をどう評価し、今をどう生きているのだろうか。
日系人コミュニティの誰かと話をしてみたい。できれば、日系移民一世の人と。

<高層ビルが点在する都心>

日本人街は、予想通りの街だった。
寺町通りのような賑やかさ。昇り旗がある。提灯風の赤い街灯が並ぶ。日本語の看板がある。
日系三世のチバさんの推薦する寿司屋に行ってみた。この界隈で二本指に入るという。

旅に出て初めて、日本食を食べることになった。各国でも、寿司を扱う「Sushi Bar/Sushi Restaurant」は時々見るが、概観にその国の文化が漂うことが少なくない。しかし、訪れた寿司屋は、まさに昔ながらのシンプルな寿司屋の風体。暖簾をかき分け引き戸に手をかけると中から人が出てくるところだった。
寿司職人が握るカウンターに10席、壁際にテーブルが6つほど並ぶ店内に日本語とポルトガル語が行き交っている。14時を少し過ぎていたが、ちょうど空いたテーブル以外はほとんど満席の状態。日本人の風貌をした客は一人もいない。
忙しく店内を行き来していた中年の女性が「いらっしゃいませ。すぐにテーブルを用意しますね」とくせのない日本語で言った。



寿司定食を注文してからじっくり周囲を観察すると、日本酒を飲む若いカップル、5人分はあると思われる大きな船盛りを二人だけで食べ尽しつつある男性、一人でカウンターに座って味噌汁をすする金髪の女性など、様々に寿司を楽しむ様々な人種の人がいて楽しい。日本人の顔をしているのは、店員数人と寿司職人だけだ。
「ミソシィールひとつ!」という声が不思議なトーンで響く。おかみらしい女性が、ポルトガル語で巧みに客たちと対話したり、抱き合って頬ずりしながら「チャウ(さようなら)オブリガード(ありがとうございました)」と挨拶を交わしたりしている。



久しぶりの寿司を賞味しているとおかみさんが「日本の方なら、これはどうですか」と『ニッケイ』と書かれた新聞を持ってきた。日経新聞かと一瞬思ったが、「日系」であることにしばらくして気がついた。福田首相の写真入りで、政府が薬害肝炎について方針を転換したことがトップ記事となっていた。
定食には、キュウリの酢の物、冷奴、ホウレンソウのおひたし等、基本の和食小鉢がいくつも並んでいて。急に日本が恋しくなった。ゆっくり味わっているうちに、周囲の客がみんな帰り定員たちも休憩に入ったようだった。
「ゆっくりしていってくださいね。よかったら、昨日届いた日本の雑誌もありますよ。数週間遅れで届くんですけど」と親切なおかみは笑顔で言ってくれたので、その言葉に甘えて、知りたいと思っていたいくつかの質問を投げかけてみた。



「この店を開いて30年になります。ブラジルに来たのは1962年。もう、45年になるんですねえ。ええ、最初は農業をやるために来ました。故郷では貧しい農家でしたから。でもねえ、来てみたら、聞いていたことと全然違う。食べていけないんですよ。ああ、TVドラマの『ハルとナツ』でしょ。もちろん知っています。あのドラマは、私の時代のブラジル開拓民そのものです。大変だった。
でも、あのドラマの時代はまだマシで、もっと大変だったのは、私たちの前に入植した日本人たちだったんですよ。最初の日本人は本当に散々な目に合ってきたんですよ。その日本人の先輩たちの大きな苦労のおかげで、今の私たちがあるんですよね。ブラジルでの日本人の信用も高い評価も、勤勉で礼儀正しく禁欲的な先輩たちのおかげなんです。
でも、子どもたちの時代になると、徐々に日本人ではなくなって、ブラジル人の習慣や文化がしみついてきます。その孫になるともうブラジル人そのものです。ちょっとね。哀しいというか寂しいというか・・・。」

「ええ、この界隈も変わりました。昔は本当に日本人の店が多かったんですけどね。土地や店舗を借りていた人たちは、時代が変わって大変でした。金のある中国人や韓国人が、日本人が借りている店をブラジル人から買ったんです。追われた日本人は、反対に彼らの店で使われるようになって・・・」



おかみは時々渋い顔をしながらも、終始落ち着き苦笑いしながらゆっくり語ってくれた。
「昔は、日本人会や各地の県人会活動も盛んでしたけど、今は少なくなりましたね。子どもたちには、日本語を忘れないようにと、面白そうな日本の雑誌や週刊誌をとっているんですけど。もうブラジル人に近いです。」
カウンターの中で握っていたのが、ご主人と息子さん。客と対話する若い職人のポルトガル語が流暢で、日本語のアクセントの方が危うく聞こえたので、日系三世だろうと思っていた。

「ええ、そうです。来年は日本とブラジルの国交100周年記念ですけど、私は、あまり興味がないんです。政府の偉い人たちも来るようですけど、今更ねえ。騙しておいて、大変な時期には、何もしてくれませんでした。なのに、今さら記念式典っていっても、何の記念なんだかわかりません」
おかみの最後の言葉にやるせない気持ちが滲み出て、私はどう相槌を打てばいいのかわからなかった。
100年。南米各地に夢を持ってやって来た日本人の子どもたち、孫たち、ひ孫たちは、今も「日系○世」という呼称を自分に使っているのだろうか。


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2 コメント

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読んでほしい本 (B型パパイヤ)
2007-12-30 20:28:16
ぜひ読んでほしい本があります。『外務省が消した日本人』。送り出し側の機関にいた著者がつぶさに当時の様子を描いたものです。今にも通じるような内容です。
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政府の意図 (ワイン)
2008-01-04 09:35:42
帰国した際には、ぜひ読んでみたいと思います。今日、ペルーの首都リマにある「日本人ペルー移住史料館」へ行ってみました。1999年に移住100周年を迎えたペルーの日本人の歴史や「1868年に最初の日本人移住者がハワイに渡り、続いてメキシコ、ペルー、ボリビア、ブラジルへと移住が開始された」という事実を、そこで初めて知ったのですが、何よりも史料館を併設している日秘文化会館に出入りしている日系人の方々との対話に感じるものがたくさんありました。
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