こぺる【自動/ラ五】

①ゆるゆるする。②なんとなくなんにもしない。
そしてオッサンへ…

●投票

2011-04-24 | よもやま
私は基本的にどんな選挙でも投票に行く。

でも、「行かない」という選択肢はあっても良いと思っている。ちょっとだけ。
それは、『現状のままでよい』という選択をしているのだと思うからだ。

私は『現状のままでよい』とは思っていないから、毎回投票に行くのだ。
はっきり言って『国民の権利だから』と思ってそうしたことはない。
もちろん、権利だからこそ行使できるのは分かるんだけど、あまり実感としてナイ。

で、誰に票を投じるかと言うといくつかの条件があって
もちろん、政策は大前提としてあるんだけど、

1:応援カーなどで、名前を連呼しない。
2:選挙違反しない
3:トップ2党以外である
4:地元アピールをしない

という条件を持っている。
1に関しては、まぁ誰でも名前連呼されるのはウルサイだけなので、ね。
2は当たり前の事なんだけど、未だに地区の集会場にポスター貼ってたりする阿呆がいるのだ。
田舎だからなのかもしれないけど、この前の県議選でも数人、賄賂系で捕まってるし。
(こういうのは選挙後でないとわからんけど)

3については、私は二大政党制に反対している以上、トップ2党の議席数を増やしたくないので。
どんな政党がトップ2であろうと多分私はその2党以外から選ぶ。
例えば、消費税に関して、北欧は高い消費税率で福祉が進んでいて・・・みたいな話をトップ2党の議員が言ったりしてるけど、
『北欧五党制』という言葉に代表されるように、それらの国は多党制が多い。
マイノリティの意見が受入れられやすい環境があって初めて、良い福祉は実現されると思うんだけどなぁ。。。

4はウチから数百メートルの所に住んでる議員が典型的な反面教師だ。
「地元に●●を作ります」「地元の皆さんの声を議会に」・・・
お願いだから自治体全体のことを考えてよ。同じ市内で議員の当否によって、利益を奪い合ってどうすんの?
「私はwin-winになるための議員活動はやらない!」とアピールしているとしか思えない。
でも未だにいるんだよね。「この地区から議員を!」みたいな人が・・・それも結構な数でさ。


まぁ誰が誰にどういう意図で投票しようが一票は一票なんだけど、
若い人ほど選挙に行った方がいいとは思う。
というか、行かないと損をすると思うし、実際に今損をしている。
今、損をしているのは私たち30代もなんだけど、20代の人はもっと損をしている。
何人かの『選挙参謀』『選挙プランナー』と呼ばれる人の話を聞くと、彼らは自分の意図とは無関係に、選挙においては若い人を無視している。そうせざるを得ないのだ。
立候補する人も若い人のことは考えない。だって票にならんもん。
当選するためには票を集めないといけないし、票を集めるためにはパイが大きい所を狙うのが(特に小選挙区制だと)常識的だ。
つまり彼らは投票に行かない、しかも数の少ない若者のことより、投票に行くお年寄りを重要視し、その層に受けの良い政策を掲げる。
若い人にとっては負のスパイラルだよね。


冒頭の話に戻ると、選挙に行かないという選択肢はアリだと思うけど、現状で良いと思えるのは、今優遇されている人か、このまま行けば優遇されることが確実な人だけのハズで、そうでもないのに選挙に行かない人は、穴の開いたお財布を好んで持ち歩いている人みたいで、私には理解できないのだ。


・・・こういう締め方をすると、行かない人は反発してますます行かないだろうけど、多分ここを見てる人はちゃんと判断できる人だと思うからいいや。

●無意識

2011-04-15 | よもやま
今回の原発事故について、海外の人に
A「日本の政治家って有能だと思ってたけど、無能だよね」
と言われるのと、
B「日本の技術力ってスゴイと思ってたけど、そうでもなかったんだね」
と言われるの、どっちがイヤですか?


単純に気持ちの問題として考えて、私はBの方がイヤだ。
多くの日本人が、自国の様々な分野の技術・能力に点数をつける、多分『技術力>政治力』と評価するんじゃないかな。
それは必ずしも現実を反映しているワケではなく、「そう思いたい」という気持ちの問題もあると思う。
「技術立国日本!」を信じたい気持ち。

少なくとも私はそうだ。だから冒頭の質問に対してBを選ぶ。信じているものを否定されるのは痛いから。
・・・信じていないものは否定されても痛くないとも言えるかな。


今回の件で、政府や与党、東電の人に対しての批判は苛烈だ。
もちろん、非難される要素は少なからずある。『天災』と『人災』の比率は決して10:0ではない。
だけど批判の全てを、特定の人たちに押しつけるのはどうなのかな、という気がする。
そこには、「彼らに責任を押しつけてしまいたい気持ち」がちょこっとはあるんじゃないかな。
少なくとも総理や社長が別の誰かだったとしても現状はさほど変わんないように思う。


「じゃあ誰が悪いのか」という話ではなくて、メンタルな部分でバランスを取るために私たちは彼らを(もしかしたら必要以上に)非難してるんじゃないだろうか、というのが今回言いたいことデス。
私たちは、どこかで自国の技術力の高さに対して、絶対的な安心感と信頼を持っていて、それが今回崩れ去った。
正しく想定する想像力や分析力も、想定外の事が起こったときに対処する知恵も技術も日本には無かったのだ。
それってかなりショックな事だ。
日本人の技術力や仕事の精度への誇りが損なわれた・・・そのショックを無意識的に隠す・・・あるいは誤魔化すためのスケープゴートが、政府であったり東電の人だったりするのかも。


多分地震と津波だけだったら(『だけ』という表現は被害の大きさからすると当然不適切なのだけれど)、日本人は頑張れる。それはあくまでも天災であり、日本人のアイデンティティは失われていないから。
原発の事故はそれとは異なって、日本人から大きなものを奪っているように思う。
「ベトナム戦争の結果、アメリカ人はアイデンティティを失った。自信を失ったアメリカが生み出す文化は以前よりも影響力を弱めた」みたいな論旨の本をどこかで読んだけど、そんな感じ。


今回、こんな風に考えるようになったのは、14歳のグラビアアイドル(?)の記事が話題になっているようで、その一節を目にしたのがきっかけ。
今回の事故は、そんな頭の賢い人たち、勉強出来る人たちが創ったものが「壊れている」んです。
3万年後の未来生物父娘|藤波心オフィシャルブログ『ここっぴーの★へそっぴー』より

これって子どもだからこそはっきり言える言葉だなぁ、大人にとっては認めたくない言葉だなぁ、と。
この事実を認めたくない人ほど、ショックは大きいんだと私は思うのだ。
実際この言葉を、私は痛いと感じた。そしてこの言葉が彼女の気持ちや考えではなく、純粋に事実である事に萎えた。
そして、彼女がこう書くということは、大人がショックを受けていることを子どもが感じているという証拠なのである。

●勘違い

2011-04-12 | よもやま
本当にどうなってるの?という事が一杯。

余震を受けて、原発の状況を説明する某企業の社員さんが、最後に言った。

「その点については、確認をして情報を提供させて頂きます。」



・・・違うと思う。


そこは「報告」「発表」であるべきだ。
単なる言い間違いかもしれないけど、私はこういうところに『常』は表われるものだと思う。
『失言』とは違う『根本的な勘違い』であり、当然、よりタチが悪い。

つまり、彼にとって(あるいはその企業にとって)情報の持ち主は企業であり、それを外に出す行為は企業の意思によるものなのだ。
今ここに至って尚!
彼が情報を公にすることを報告義務だと捉えていれば、多分『提供する』という言葉は使わないんじゃなかろうか。


その情報は本来住民であったり国民であったりが持つべき情報なのだ。
持つべきモノを持つべき人に渡す行為を『提供』とは言わない。


「今確認出来ている情報はこれこれです。他に必要な情報はありませんか?あれば確認して報告(発表)いたします」
なんでこれができないんだろう?

●天罰

2011-04-09 | よもやま
彼の発言を妥当なものだとは一切思わない。

立場上であれ、一個人としてであれ、ナシ、だ。


だけどね。気持ちの部分で汲んであげたい所はある。
私にとって、それは『天罰』という言葉ではなく、『契機』という言葉の方が重なる部分が多く、さらにその根っこにあるものは彼とは(多分)異なるのだけれど。

おそらくそれは多くの人が大なり小なり持っている気持ちで、現代の日本を『良からず』あるいは『悪し』と感じる感性に由来している。
彼はその気持ちが非常に強い。
さらに、それに加えて彼は『良かった時代』を知っているのだ。・・・もしかしたら月日の経過と共に過度に理想化されたものかもしれないけど。

『こうあるべき』というビジョンが強烈に存在し、それに従わないものを敵として捉える。
そういう人からすると、今回の震災は次の時代のために考える契機ではなく、現代への天罰として映るのだろう。
もちろん、被害を受けた人に対する罰ではない、日本人、あるいは日本に対する罰だと彼は捉えているのだ。

そう考えると、天罰という言葉を彼が使った事を私は理解できる。
そして今までの彼の発言を思えば、彼が自らが発した言葉によって誰かが傷ついたりすることに余り頓着しないタイプであることは明白だ。
前にも書いたけど、私は人間というものは年齢を重ねると共に、想像力を狭く深くしていく生き物だと思っている。彼には、『天罰』という言葉を被災した人がどう捉えるのか、という想像力はもはやないのだ。

そういう人なのだ。

そういう人がトップにいて、聞かれてそう答えただけなのだ。
この発言をもって彼を責めるならば、それはもっと前にやっておかなければならなかった事だと、私は思う。