『捏造の科学者 STAP細胞事件』に引き続き、『百田尚樹『殉愛』の真実』を購入。
前者の読後、ノンフィクション面白いなぁ、と改めて思ってて、amazonで驚異的に高評価だったので買いました。
ちなみにamazonで売切れてたので、地元の書店で購入。
書かれている内容というか分野的には全く興味の無かったんですが、amazonでもノンフィクションとして面白いとか書かれていたので決断。
正直たかじんさんへの好悪の感情もなく、元となった『殉愛』はもちろんのこと、百田さんの本すら読んだことなかったので、楽しめるかどうか不安だったけど・・・。
まず読んでいる最中思っていたのは、『捏造の~』が新聞記者らしい書き方であったのに対して、こちらは週刊誌の記者さんっぽい書き方だなぁ、という点。
『~~~(雑誌編集者談)』みたいな書き方が結構出てくる。前者ではほとんど無かった(名前が出せない人の言葉もあったけど、出せない理由とか話を聞くまでの経緯が割と詳細に書かれていたのですんなり受け入れられた)ので、
そこは正直言って週刊誌を読んでるみたいで、個人的にはネガティブに捉えてしまった。
もちろん、テーマを考えるとそうせざるを得ない理由も分かるし、そのマイナス要因を上回る著者達の真摯な書き方、丁寧に取材をしている感があったので、
一気に(3時間程度で)読んでしまえるほど没入できた。
また(扱う事象の違いが大きいのだろうけど)、『捏造の~』が物証中心なのに対して『殉愛の~』は状況証拠が比較的多い印象。
これはやはり『死人に口なし』であったり、喋りたくない人が多くいる以上仕方のない事。
で、肝心の読後の感想ですが・・・。難しいですね・・・。
未亡人・百田さんサイドから反証・反論があれば、それを併せて個人個人で判断できるんでしょうが・・・。
ただね、この本には「百田さんの本はノンフィクションじゃない!これがノンフィクションだ!」っていう強い意志が込められてて、それは信じるに足るものだと感じるわけです。
そういった強い意志の元で生まれたこの本と、未亡人の言うこと中心で作られた本と、
どちらがノンフィクションとして信じられるのか、って話だと思うんです。
所詮、真実なんてものは当事者にしか分からないもので、第三者は『どちらが真実っぽいか』で判断するしかないんですからね。
私の結論としては、amazonでの両者の★の数通りです。
内容に関しても、レビューで書かれている事の多くに同意出来ます。
ただ、先に書いたように未亡人・百田さんからの反論があれば、
こうやってブログのネタにしている以上、それはやはり考慮すべきだと思います。
内容的に一つ思うのは、彼女の行き着くところって何にもナイんじゃない、って事。
後妻業って構造的に自転車操業になっちゃう(だから1回辺りの単価を上げるべく高収入者をターゲットにするんだろうけど)。
さらに次のためには子ども作らない方が良かったりするし、テレビタレント以上に公私の『私』の部分を売らなきゃならない。
一度甘い汁を吸っちゃうと後は強欲にまみれて一生を過ごす・・・。貧乏人のやっかみかもしれませんが、楽しく無さそうだなぁと。
百田さんとその周囲のテレビ局・出版社の関係者については・・・まぁ、裁判で明らかにするって仰っておられるのでそうして下さい。
ん~でも、こうやって書くコト自体がご遺族やKさんUさんを傷つけることになるのかも・・・。
「あのとき止めておけば」
「あのとき無理矢理でもああしておけば」
みたいな後悔はきっとあるだろうし・・・。難しいな。。。
今回の読書感想としては、その内容云々では無くて、『ノンフィクション』って何かという事を考えられたのは良かったカモ、って事です。
『捏造の~』の時も思いましたが、きちんと調べて、真摯に事実に向き合った人の文章って、必ずその熱量を感じるものになっています。
1,500円の本でしたが、その価値は十分ありましたし、こういう公益に資するノンフィクションが世に多く出ることを望みます。
本来なら、校正に期すために元の本も読むべきなんでしょうが、小説としてならともかく、ノンフィクションとして読むのに値するものなのか・・・。
少なくとも今の私にはその意欲はありませぬ。小説は読まないしね。
前者の読後、ノンフィクション面白いなぁ、と改めて思ってて、amazonで驚異的に高評価だったので買いました。
ちなみにamazonで売切れてたので、地元の書店で購入。
書かれている内容というか分野的には全く興味の無かったんですが、amazonでもノンフィクションとして面白いとか書かれていたので決断。
正直たかじんさんへの好悪の感情もなく、元となった『殉愛』はもちろんのこと、百田さんの本すら読んだことなかったので、楽しめるかどうか不安だったけど・・・。
まず読んでいる最中思っていたのは、『捏造の~』が新聞記者らしい書き方であったのに対して、こちらは週刊誌の記者さんっぽい書き方だなぁ、という点。
『~~~(雑誌編集者談)』みたいな書き方が結構出てくる。前者ではほとんど無かった(名前が出せない人の言葉もあったけど、出せない理由とか話を聞くまでの経緯が割と詳細に書かれていたのですんなり受け入れられた)ので、
そこは正直言って週刊誌を読んでるみたいで、個人的にはネガティブに捉えてしまった。
もちろん、テーマを考えるとそうせざるを得ない理由も分かるし、そのマイナス要因を上回る著者達の真摯な書き方、丁寧に取材をしている感があったので、
一気に(3時間程度で)読んでしまえるほど没入できた。
また(扱う事象の違いが大きいのだろうけど)、『捏造の~』が物証中心なのに対して『殉愛の~』は状況証拠が比較的多い印象。
これはやはり『死人に口なし』であったり、喋りたくない人が多くいる以上仕方のない事。
で、肝心の読後の感想ですが・・・。難しいですね・・・。
未亡人・百田さんサイドから反証・反論があれば、それを併せて個人個人で判断できるんでしょうが・・・。
ただね、この本には「百田さんの本はノンフィクションじゃない!これがノンフィクションだ!」っていう強い意志が込められてて、それは信じるに足るものだと感じるわけです。
そういった強い意志の元で生まれたこの本と、未亡人の言うこと中心で作られた本と、
どちらがノンフィクションとして信じられるのか、って話だと思うんです。
所詮、真実なんてものは当事者にしか分からないもので、第三者は『どちらが真実っぽいか』で判断するしかないんですからね。
私の結論としては、amazonでの両者の★の数通りです。
内容に関しても、レビューで書かれている事の多くに同意出来ます。
ただ、先に書いたように未亡人・百田さんからの反論があれば、
こうやってブログのネタにしている以上、それはやはり考慮すべきだと思います。
内容的に一つ思うのは、彼女の行き着くところって何にもナイんじゃない、って事。
後妻業って構造的に自転車操業になっちゃう(だから1回辺りの単価を上げるべく高収入者をターゲットにするんだろうけど)。
さらに次のためには子ども作らない方が良かったりするし、テレビタレント以上に公私の『私』の部分を売らなきゃならない。
一度甘い汁を吸っちゃうと後は強欲にまみれて一生を過ごす・・・。貧乏人のやっかみかもしれませんが、楽しく無さそうだなぁと。
百田さんとその周囲のテレビ局・出版社の関係者については・・・まぁ、裁判で明らかにするって仰っておられるのでそうして下さい。
ん~でも、こうやって書くコト自体がご遺族やKさんUさんを傷つけることになるのかも・・・。
「あのとき止めておけば」
「あのとき無理矢理でもああしておけば」
みたいな後悔はきっとあるだろうし・・・。難しいな。。。
今回の読書感想としては、その内容云々では無くて、『ノンフィクション』って何かという事を考えられたのは良かったカモ、って事です。
『捏造の~』の時も思いましたが、きちんと調べて、真摯に事実に向き合った人の文章って、必ずその熱量を感じるものになっています。
1,500円の本でしたが、その価値は十分ありましたし、こういう公益に資するノンフィクションが世に多く出ることを望みます。
本来なら、校正に期すために元の本も読むべきなんでしょうが、小説としてならともかく、ノンフィクションとして読むのに値するものなのか・・・。
少なくとも今の私にはその意欲はありませぬ。小説は読まないしね。