こぺる【自動/ラ五】

①ゆるゆるする。②なんとなくなんにもしない。
そしてオッサンへ…

●もっかい紹介

2008-10-29 | こんぴーたーとかネット
以前紹介したGoogleSitesが、Googleサイトとなった。

つまり、日本語化されたのである。

まだまだ、かゆいところに手が届く、といった段階ではないけど、おそらく私と同じくらいの年齢の人達は、今現在、様々なプロジェクトに対してイニシアチブを取って動いている事と思うので、オススメします。

社外スタッフや下請けさん、あるいはクライアントさんとも情報共有が図れるツール。一般にはgoogle版wikiなんて呼ばれている。なんとなくその呼び方はキライ。機能的には全く否定する必要はないのだけれど。


例えば、スタッフにgoogleアカウント取ってあげて、googleサイトに招待して、googleドキュメントとgoogleカレンダーとgmailの設定をしてあげれば、連絡からスケジュール管理までのインフラが一気に整う。
rssを読み込ませて、関連ニュースを垂れ流したり、googleドキュメントでマニュアルを配布したり…。

もちろん、超極秘プロジェクトなんかには、あまりオススメできないけど、便利は便利。

そんなワケで、使ってみよー!

●にっきょーそ

2008-10-26 | よもやま
カノジョからの質問コーナー。

カ「にっきょーそって何?」

ぺ「ん?」

カ「ニュースで言ってた」

ぺ「あぁ、日教組ね。で、何って?」

カ「何の宗教?」






(;゜ロ゜)ハッ

日教祖だと思ったのね。。。

う~ん…がんばれよ。

●お返事しなさい

2008-10-19 | よもやま
私がカノジョの事を「いいな」と思える所は、沢山あるけど、その一つがコレ。

「スーパーでおばあちゃんが一人で買い物をしていると、わびしい気持ちになる」

これは、私も一緒で、すごく切ないというか…そういう気持ちになる。だからと言って何も責任を負える立場にも無いので、偽善と言えば偽善なんだろうけど、気持ちなんだからしょうがない。

で、ちょっと話がずれるようなんだけど(私の中ではワリと繋がっている)、最近の子どもって、大人を無視してないですか?

いや、このような書き方は私の好ましいところでは無いので、正確に書くと、『子どもが大人を無視するのって昔からでしたっけ?』となる。

無視ってのは、色々なレベルがあると思うけど、存在を無視するとかそんなディープなレベルの話ではなくて、単純に返事をしない子どもが多い気がする。おばあちゃんとかが、スーパーのお総菜コーナーで、

バ「○○ちゃん、なんかいるもんないな?」

と聞いてるのにも関わらず、無反応。
オマエは背中で演技する技巧派俳優か!?
その様子から色々な商品を見ている状態にあるとは見えたのだが、迷っているにしても返事ぐらいはせないかんでしょ。
何かに集中していて聞こえなかった、というのはあり得る気もするが、大抵名前を呼ばれたら反応しない?

いや、「おばあさま、わたくしは今現在迷っているところでありますからして、今しばらく返答はお待ちいただけますでしょうか」という返事でなくてもいい。

子「ん~~~~~と…」

だけでもええから、とにかく何か言え。
何らかの原因によって声が出せない子は身振り手振りで何か伝えろ。

…何だろう。私も昔そうだったのかな。

●だから!

2008-10-18 | 旬の話題
最近、『常識』論とハフマン木の話が好きなこぺです。
ハフマンさんはエライ人です。常識論は考えれば考えるほど、自分が如何に非常識かを教えてくれます。いいことです。

さて、今日は「一個だけなら、以前にも同じようなこと書いたからスルーしようと思っていたのに、同様なニュースを二つ目にしたから書きます」というネタ。

MP3プレーヤーで聴力障害の恐れも=EU報告
EUの行政機関である欧州委員会の要請で行われた同研究は、子どもやティーンエージャーは大音量から守られるべきだとして、「娯楽音」というコンセプトや大音量の携帯電話に反対する立場を取っている。
とか、
こんにゃくゼリー:死亡幼児は兵庫県の男児 安全性問う声
幼児がこんにゃくゼリーを食べて窒息死した事故で、国民生活センターは30日午前、死亡したのは兵庫県の男児(1歳10カ月)と発表した。こんにゃくゼリーによる死亡は17人目で、昨年10月に業界団体が表示改善して以降、初の死亡事故。再び死者が出たことでこんにゃくゼリーの安全性を問う声が高まるのは必至。行政や業界の対応の不十分さを指摘する声も上がっている。
とかって…。

前(●想像力)にも書いたけど、こんなのは、個人の意識の問題である。子どもを含む、判断の出来ない人には『利用させない』という選択肢を提供すれば良いだけの事である。

何でもかんでもマニュアル化して、考えなくて済むようになれば、それが良い世界だと言えるのだろうか。もちろん、誤りによって子どもに何かしらの被害が及ぶことは、決して良い事ではないが、それを防ぐ最も良い方法が、そのアイテムを無くすこと、ってのは余りに情けない話だと思う。私にはその対処法自体が子どもっぽいゾと感じてしまう。

こう言う話をすると、全くもって老化の始まりのようでイヤなのだが、私が小さい頃の記憶を思い返すと、公園で遊ぶときには、常に自分で選択肢を作らなければならなかった。私の近所の公園には当時、建築廃材(というか、木の切れっ端)なんかが結構捨てられていて、『20世紀少年』よろしく秘密基地を作ったり、ゲートボール場でゲートボール以外の遊びを考えてやっていた。
木の切れっ端は全くランダムな大きさで、それをどう使うかという所から考えなければならない。しかも、総合的な目的としては基地を作ることにあるので、『建物』としての体をなしていなければならない。つまり、『使いたい』『作りたい』という『気持ちを触発させられる素材』と、『これを作るために必要な素材』とがあり、その辺のバランスも求められた。

当然、廃材であるから、中には釘が飛び出ていたり、割られて鋭利な断面を見せている木もあった。最初は気にしなかったが、足に釘が刺さったりする事で流石に学習し、危険を回避するために、鋭利な面を地面に刺して壁に利用したり、石で釘を打ち、『く』の字に折り曲げたりするようになった。また、その公園では(私たちは正義の味方であるにも関わらず)秘密基地の建設は認められておらず、ハデにトンカン音を立てたりしては「うるさい」「勝手に廃材を使うな」などの理由で近所のオッサンに怒られるので、出来るだけ静かに行うというのも私たちの『常識』であった。

…こんな話をするのがイヤな理由はもう一つあって、必ず「今は自由に外で子どもを遊ばせられる時代ではないじゃない!」と言い返してくる人がいること。「いや、だから例としていってるだけで」とイチイチ説明するのも面倒だ。上のような話を聞いて、そこに本質があると考えるような人に説明をしても徒労に終わるだけである。だからそう言われたら、残念な顔をして「ソウデスネ」という他ない。

話を元に戻すと、こうやって失敗しながら自ら選択肢を生み出し、その選択肢を洗練させていくことが、内田樹さんのおっしゃる『常識の涵養』なのではなかろうか。だとすれば、こんにゃくゼリーの販売禁止、製造禁止なんてのは、常識を育てるきっかけを一つ失うことと同義だ。
私は、禁止を求めている人ってのは、結局の所子どもを馬鹿にしてる人なんだと思う。同じ道を歩いていて、ほんのちょっとだけ後ろを歩いている本来なら同志である人間を、『子ども』というセグメントに閉じ込めて、自らと分離して考えているようだ。
多分、そのツケは自分に返ってくるのだ。高齢者というセグメントでひとまとまりに扱われ、そして多分そうなったらそうなったで「ヒドイ」と言う。もちろん自らの非は認めず、他者のせいにした上で。

奇しくも今回の件に関連して、担当大臣が『常識』というキーワードを使っている記事を見かけた。
(「こんにゃく入りゼリーはだめで、モチは規制しなくてもいいのか」という問題に対して---
「モチはのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」
@niftyニュースより
そう。その通り。言ってることは正しいよ。でもね…だったら、やろうとしてる事が違わなくなくない?

あぁ…偉そうに書いているが、きっと私もそうなるのである。いや、もうなっているのかもしれない。これは恐ろしい事である。

●こぺ的ショッピングデート論

2008-10-16 | よもやま
カノジョと岡山へ。主目的はショッピングである。

カノジョはうどんの国以外で暮らしたことがない。加えて滅多に県外に出ない。だからなのか都会へのあこがれ的なものを持っていて、服や靴やバッグなどが欲しくなると、一番身近な都会(?)岡山市へと行きたがるのである。カノジョは私に気を遣って一人で行こうとするが、とてもじゃないが心配なので保護者面してついて行く。

カノジョは行くだけでテンションは上がり、いつもより歩行速度が上がる。
そして、中心地や地下街を練り歩く。地下街などは路傍の店のディスプレイをサッと見極め、興味のありそうな店には突進する。良さそうな店が連続すると、道をジグザグに歩くようになるので、私はこれを『千鳥足ショッピング』と呼んでいる。

当然、素のままでは私はちっとも楽しくないので、最近私はいくつかの方法を考えた。それは結構エネルギーを必要とするが、本気で「楽しもう!」という気持ちがあれば、それなりに楽しむことが出来る。よく私と同じように恋人と一緒に来て、つまらなさそうに店の外で待っている男性を見かける。気持ちは大いに分かる。思わず同盟を結びシュプレヒコールを共に挙げたくなるほどに。しかし、それではハタから見た時にかっこ悪いのである。見捨てられた感が漂ってしまうのである。いや、ハタからそう見えようが見えなかろうが、実際その時は見捨てられているのだからしょうがない。
そしてその後には、ほったらかしにされ不満を抱く男と、良い買い物をしてご機嫌な女とが鉢合わせするのである。お互いに気分を害することは目に見えている。

で、この場合、男としては女性側に気遣いを求めたくなる。「待たせてゴメンネ」でも「待っててくれてアリガトウ」でも何でも良い。それを言わない女性とは、残念ながらつきあい方を考えた方が良いかもしれない。

だが、例えそれらの言葉を女性が言ったとしても、なかなか男性には伝わらない。
人間は浅ましいことに、自らが不幸をマイナスとして、そして他人の幸福を“同一直線上”のプラスとして考え、その差の大きさに比例して妬ましさを感じる生き物なのである。そこには「他人の幸不幸の量はプラス方向への補正がかかる」という法則も併せて考えられる。
つまり、幸福な状態の人が不幸だと感じている人に何を言ってもあまり響かないのである。

だから、そこで頑張って、男の方が楽しもうとすれば良いのである。半ば強制的にテンションを上げ、彼女の普段の服装や趣味嗜好から、好きそうなモノ、あるいは普段は身につけてないけど付けて欲しいと思うようなモノをお店の店員さん張りに「コレドウ?」と提出するのである。

もちろん、それを嫌う女性もいる。男女を問わず、戦闘モードに入ってしまうと助言を逆に煩わしく感じる事は大いにあり得る話である。私も、カノジョの目の色が変わる店では、買い物しやすいように、荷物だけ引き受けて、「しばらくうろついてくるで」と言い残し、お互いを放し飼い状態にする。

そこまでには至らない店では、一緒になって商品を見る。商品を選んでいるのが男性なら、ちょこちょこと質問をしておけば、相手が勝手にうんちくを語ってくれるので楽だが、女性の場合は多分そういうのはうっとおしがられるような気がする。質問は店を出てからにすると良い。だから基本的には、上に書いたように彼女への提案アイテムを探す。その際は出来るだけ真摯に選ぶのが良さそうだ。何故なら彼女たちは少なからず本気だからである。
でも、それだけではこちらが精神的に保たない。だから、飽きたら別の楽しみ方を考える。本来は全く興味のないものでも、視点を変えて見てみると、それなりに面白い。視点の変え方は人それぞれで良いのだが、私の場合は、「このお店のホームページを作るとしたら、どんな写真を撮るか」とか「どんな動線を想定して商品を展示しているのか」、あるいは「お客さんがどういうPOPに引きつけられているか」と考える。『女性のモノ』と決めつけていたら興味は沸かないが、見方を変えれば結構面白いものである。一般的に男性の脳は考え出したら結構集中出来るので、十分暇つぶしになる。気がつけば彼女の方から「もう出るよ」と言われているだろう。

そんな風にしていたら、後で彼女に
女「さっきの店の店員さんに、『一緒になって見てくれるカレシってなかなかいないですよぉ~。いいですね~』と言われたよ」
等と言われたりもする。おそらく『買い手』を気持ちよくさせるためのビジネステクニックだろうが、悪い気はしないものである。

もちろん、この方法に汎用性は全くナイ。そして効果があったとしても、かなりのエネルギーを必要とする。私もエネルギーが途中で切れて、余計に腹が立つこともある。でも結局の所、大切なのは何なのか、という問題だ。その努力を惜しいと思うような相手なのかどうか。そのいらだちの元となっているのは、プライドなのか偏見なのか。その辺りに問題は行き着く。
ぶっちゃけて言えば、ことファッションに関して、アナタが何を言おうとも、彼女たちはそのスタンスを変えるつもりはないのである。無駄な努力をしなくて済む為の努力に切り替えましょう、というお話。

そして、これを見ている女性が居たとしたら、少なからずアナタの買い物に付き合っている男性の笑顔の裏には、かような苦悩が隠されていることを慮っていただきたい。特に店内まで着いてきてくれる男性にはお気遣いの程を。考えてみて下さい。その空間にいる人間の殆どが異性であり、かろうじて数人いる同性の面持ちは皆暗く、身の回りには馴染みのないモノばかりが並んでいる場所を。逆だったらどうですか?

最後にいつもの決まりですが、この文章に出てくる『性別』を表す全ての言葉の前には『一般的に』というような言葉が隠されています。

●常識の無い私の常識

2008-10-14 | よもやま
ウチの社長やパートさんが若かりし頃に、痴漢やハレンチな行為をした者ども!
出てきなさい。
こないだも書いたけど、キミ達のせいで、唯一の男である私は、なんだかいたたまれない気持ちになったじゃないか!
…残念なことに、それらの殆どは教員を含む、公務員との事でした。。。
私の知っている人で先生になった人は本当に子どもの事を大切に考えている人ばかりなのに…。何でだろうなぁ。

あ、でも庁舎勤務の知り合いで、常識の無い人を知ってるや。

(゜Д゜ )ム
しかし、こないだ学んだ事によると、『エヴィデンス・ベースドの常識など無い』という事なので、正確に言うならば、
「常識が無い、と私は感じる」

「私とは異なる常識を持っている」
となる。

さて、ここからは、かなりレッテル貼り~な内容。
公務員、という職業は一般の常識から乖離する可能性を少なからず持っている。…というのは、上記の「常識論」で言うと(頭に『私の理解の範疇での』が付くけれど)、一般に常識で判断される問題に対しても、彼らには理由付けや理論構築が必要となる。『オヤクショ』だから当然の事である。だが、はっきり言ってそんなのはやっても無意味であるか、ハナから無理であるか、のどちらかである。結果、いたずらに書類を増やし、それでヨシとなってしまう。
もちろん、万事がそうではない“だろう”し、十分な常識を備えている人もいる“だろう”。というかそういう人の方が多い…ハズだ。…そう…信じたい。
しかし、前にも書いたかもしれないが、ある資料が欲しくて、県庁を訪れたら、一部分をコピーするだけでよいのに、わざわざ分厚い冊子になっている資料を下さり、そこに書いてあることをイチイチ読んでくれた(あれは説明しているつもりだったのかな?)。さらに必要な部分のデータについて、自慢げに「うどん国は、全国で6位という高いパーセンテージを示しているんですよ!」と言うから、「どう分析してるの?」と聞くと、「単に計算の仕方が他県と違うからだと思う」って答えたりする人もいるのである。


常識を、内田樹さんの言う「明証を以ては基礎づけられないけれど、なんとなく確信せらるる知見」と定義するならば、それはきっと個の中でも可変であり、蓄積されていくものであるハズだ。ということは上のような環境でも、常識は蓄積される。だがそれは、少なくとも私にとっては非常識、と思えるのである。

子どもはともかく、常識の異なる大人に常識を教える、というのは難しい問題だ。というのも、常識には客観的な基盤は無いのだから、比較が出来ない。比較が出来ないということは上下関係が明確な『教育』なぞは出来ない、ということである。
そして、『教える』のが無理なら『伝えよう』としたとしても、相手に「だって、私はこう思うんだもん」と返されたら、お手上げである。


私の場合、尊敬できる先輩が教職に就いてらっしゃったりするので、必ずしもそんな人ばかりではないと信じている。それは私にとってとても良い事で、常識のある人がいる、という希望と、レッテル貼りをしてしまうことの危険性を、現実感を伴ったカタチで教えてくれるのである。

●新しく来た人

2008-10-13 | よもやま
職場に新しい人が来た。
2才ほど年上の女性で、一児のハハである。しかも結構な美人さん。ちなみにウチは社長以下全員が私より年上の女性で、母親で、美人である。
つまり、それに当てはまる人がもう一人増えた、というワケである。

もう一つ『ちなむ』と、これらの属性は私と真逆である。よくもまぁ雇ってくれたものである。
もうちょっと『ちなむ』と、そこまで属性が異なると、最早女性としての意識よりも、お姉さんとかお母さんのような感覚で接する事となる。
さらに『ちなむ』と、そうは言いつつも、この状況というのは中々気を遣う。いつだったか『痴漢談義』のような感じになり、如何に男性による品行下劣な行為の被害者となったか、というような話題が繰り広げられていたときには、その『なんだか責められている感』から、

ぺ「最早オカマになるしかないな」

と思った事すらあった。
そういえば、先日、カノジョに洋服屋さん(←オヤジ的言い回し)に連れ込まれ、見知らぬ女性達に障害物扱いされた時にも同じ思いを抱いた。

閑話休題。
で、その人がかなり面白いのだ。
ある朝掃除機をかけようとして、カチカチと電源のONOFFを切り替えていたと思ったら、先輩に
先「○○ちゃん、コンセント入っとらんよ」
って言われていたり。
ま、新しい環境に慣れてらっしゃらなくて、緊張からそんなミスをするんだな、等と考えていた。

そんなある日、彼女の力を借りる仕事出来た。彼女は、指が長く手が綺麗、という事で、ある商品の手タレをお願いすることになったのである。そのアイテムは「缶ジュースのフタに指の代わりに差し入れて、テコの原理でカンタンに開けられる。だからネイルやってる人に最適!」みたいなモノで、私はその機能をアピールするための写真が欲しかったのだ。

彼女にそのアイテムと缶ジュースを渡し、開栓をお願いしたところ、なんだか手こずっているようだった。不思議に思い見てみると、そのアイテムでプルタブの固定されている方をガリガリとこじ開けようとしていたのである。

…それは、『開栓』ではなく、『破壊』です。。。



慣れてないからですよね?

●違いの分からない男

2008-10-12 | よもやま
え~…今回のエントリーは、ちょっと微妙です。
「じゃあ、どうしたらよかったの?」っていう素朴な疑問をふくらませただけです(←逃げの姿勢)。

えねーちけーが、暴○団とつながりのある歌手(主に演歌系)5人を、当分の間出演禁止にした、と。で、期限が切られてないから、年末の赤白歌戦争(←わざと)への出演がなくなりそうだ、と。




何で?

名前の挙がった誰一人として、ファンでも何でもないんだけど、「何だかなぁ」という感じ。

もちろん、本人が何かやって、それが違法な、あるいは公序良俗に反するような行為の場合はダメですわな。ま、その場合は暴○団とつながりがあろうが無かろうが関係ないですが。
今回の場合、一人を除いてそうではなさそうだし、彼らがその団体に属しているワケでもないんでしょ?ただ呼ばれて行ったってだけじゃないの?それはダメな事なん?でも、きっと依頼されて断ったら…なんて言うか…色々大変なんじゃない?私がゲイノウジンだったら断る勇気は無いね。

断ったらエライ目に遭い、断らんかったらダークなイメージが付いてTVに出られんようになる、ってのはカワイソウである。
頼まれた時点でアウトが成立する、ってのは、「カードを自ら選ぶことが出来るか否か」という点を考慮するならば、ババ抜きよりも酷いルールであると言える。

この判断を下した方は、もし自分が同じ立場に立った場合、当然「No!」と言えるんでしょうな。
N「ウチはヤクザお断り!」
って。

勇気あるなぁ。

ん?というかさ、暴○団とつながりがあったらダメ、ってのは、暴○団が暴○団であるからであって、じゃあ何で彼らの組織がアカンのかって考えたら『力を楯に私利私欲の為の行動を取る』から、なんだよね?
だったら、どうして政治屋はどうどうと出れるんだ?
私にゃ違いが分からんよ。