こぺる【自動/ラ五】

①ゆるゆるする。②なんとなくなんにもしない。
そしてオッサンへ…

●差別

2018-01-13 | よもやま
笑いには多分に「差別」の要素が含まれている。

差別の定義は、『特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為』。
・・・に対して、笑いには『集団の中で異なるもの』を面白いと感じる感情を利用したものがある。もちろんそれが全てでは無いけれど。


海外のブラックフェイスの歴史なんて知らないし、黒人の真似ではなくエディマーフィの真似だし、そのどちらをも馬鹿にする意図は作り手にはなさそうだし、とも思っていたけど、例えばあれがエディマーフィじゃなくて、ビリー役の方(白人)だったら・・・、あるいは、(アメリカンポリスじゃないけど)ポリス・ストーリーのジャッキーチェンだったら、あれだけ面白かったかなぁ?と考えると、やっぱり「黒人である」エディーマーフィの方が面白いだろうな、と思ってしまう。
多分私が作る方だったとしても、「アメリカの警官と知名度があって、インパクトのある人に扮してもらおう」って考える。

そこに1mmも差別の気持ちがないか、と聞かれると正直100%無いとは言えない。


・・・であるとすれば、「その表現で傷付いた」と言われる事に対しての責は取らなきゃならんかなぁ、と思う。
そこに馬鹿にする意図の有無は関係ないのだ。

『差別』って何となく『馬鹿にする』というニュアンスを含んでしまっていて、「差別だ!」と言われると、「いや、そんな意図は全くないですよ」と言いたくなるけど、
意味的にはあくまでも『他と違う扱いをする』事で、そうされる事で傷付く人がいる事は、何となく自分の体験からも理解出来る。


だから結局、アレは差別かどうかという問題については、私は差別だと考えることにした。


でも、そうすると差別に(全世界的、歴史的な見地に於いても)配慮して笑いを作る事なんて、不可能なことだ。
特に公共の電波に於いては。


個人的には文明はグローバルに、文化はローカルなものだと考えるべきだと思うし、表現される側に他者を傷付けないよう配慮する事を求めるのはもちろんだけど、それを受けとる側にも傷付くべきかどうか少し考える余裕を、前者の4分の1位は持っても良いのでは、と思う。





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