こぺる【自動/ラ五】

①ゆるゆるする。②なんとなくなんにもしない。
そしてオッサンへ…

●鬼ごっこから得たもの

2006-04-29 | テレビとか
テレビのバラエティー番組で、鬼ごっこをやっていた。
鬼はオリンピックのマラソンに出た女性(名前忘れた)。会場は体育館。お笑い芸人さん10人程が鬼から逃げる。そして1時間後、芸人さん達の内一人でも逃げ切る事が出来ていれば、芸人さん達の勝ち。全員捕まえれば鬼の勝ち。セーフティーゾーンの存在など、細かいルールはあったが割愛する。マラソン選手が鬼なので、ほぼ体力勝負といってよい状況である。

ゲームの内容とかはどうでも良かった。
私の興味を引いたのは、鬼の走りっぷり。『マラソンをTVで見ることの面白さ』が全くもって理解出来ない私がマラソン選手の走りっぷりをあれほど長時間に亘って見たのは生まれて初めてであったのだが、色々と発見があった。

最初に持ったのは、「思ったほど躍動感がないなぁ」という感想。
そこから私の考察が始まった。「何故そのように感じるのか」だ。画面を通して見ても彼女の速さは分かる。それなのに、それに見合う『走ってるぜ』感がない。むしろ競歩をしているようにすら見えてしまう。芸人さん達の走り方とナニが違うのか。そこに注目してみた。

専門家が見れば、『元オリンピック選手の、元オリンピック選手たる理由』を延々と語れてしまうほどの秘密がそこにはあるのだろうが、平々凡々大凡人の私が気付いたのは、コレ。

『上半身の揺れが少ない』

ということ。芸人さん達が走ると、頭が上下に激しく揺れる。ところが鬼は揺れない。頭の高さが変わらないのである。そうなるように足を動かそうとすると、地面を蹴り上げるような走り方ではなく、競歩をするような足の運びになるのではないだろうか!?


早速試してみた。
ジョギングの時(『人生に七味を』プロジェクトの一つとしてやり始めた)、あまり地面を蹴り上げないように、足の裏が常に地面すれすれを行き来するようなイメージで走ってみる。
するとどうだ!確かに頭の上下運動が減ったではないか!つまり私の推論『競歩っぽく走れば、上半身の縦揺れが少なくなる』はあっていたのである!(・・・よね?)

では、上半身の揺れが少なくなれば何故良いのか。これはその走り方を続けているうちに自ずと分かってきた。ズバリ『疲れにくい』のである。何故疲れにくくなるのかは今後の調査が待たれるところであるが、僅か5分程度で違いを感じた。コレすげぇ。

そして、流石に疲れてくると、上半身の揺れが段々増して来る。マラソンの実況などで解説の人が
「まだ、頭が揺れてないから大丈夫ですよ~~」とか
「上半身が揺れだしましたね~。大分疲れてきているようです」
とか言ってたのはこういうことだったのだ。ゼハゼハ走りながらも納得。


走った後、いつもと違う部分の筋肉のハリを感じた。「そうか。。。あたしゃアンタらを使ってあげるべきだったのね。。。」と反省する私。う~ん、やっぱりオリンピック選手にはオリンピック選手たる理由があったのですねぇ。誰か前述の女性アスリート(まだ名前を思い出せない)に会ったら、一言
「こぺというヤツが、あなたに感謝してました」
とお伝えください。

●介護認定士がやってきた

2006-04-27 | こぺ家の住人達
ここ数日、鼻の穴に付着する排・・泄・・・物・・・(`Д´)ええぃ!ハナクソ君!!が増加傾向にあり、不思議に思っていたんだけど、今日、『黄砂』と関連付けて考えることにより、「謎は解けた!」状態のこぺです。つくづく人体って凄いですな。


2日続けてオバアサマの話。
今日、市に介護認定の面談を委託された職員の人がやってきた。正式名称は知らないが、ここでは『介護認定士』として文章を進めていこう。
介護認定士は各家庭を訪問し、家族(今回はハハウエ)を交えて本人(オバアサマ)と面談を行い、『要介護認定度』を判断する。
当然、要介護認定度が高いほうが家族としては何かと助かる。しかし痴呆に関して言えば、多分どの家庭でもそうであろうが、認定を受ける本人は『わたしゃボケてまへんで』と無理からにでもシャキシャキ振舞う。家族も、本人も、そしてその両者のジレンマをどの家庭でも見ているであろう介護認定士も、三者三様に精神を消耗するイベントである。多分にもれず気位の高さはこぺ家でず抜けているオバアサマも、普段以上に、いや、普段では有り得ないほどに矍鑠と振舞う。

さて、その面談だが、具体的にはどういうことをするのかというと、介護認定士がオバアサマに色々質問をするのである。


介「家の中では杖を使っていますか?」
介「入れ歯は自分で洗えますか?」
介「家族は何人ですか?」


・・・等々。自分ではボケていないと思っているご老人達の中には、若造にこのような質問をされるのを不快に思う方もいるのではないかと思うようなモノもある。幸いウチのオバアサマはお役人さん(正確には違うけど)には従順なので、どんな質問にバシバシ答えていく。


バ「使っています」
バ「ハイ!ちゃんと自分で洗ってます」
バ「5人です!」


介護認定士の方も「いや~しっかりしてますねぇ~」と感心していたそうだ。

介「今の季節は分かりますか?」
バ「春です!」

この問いに対してもキチンと正解を答えている。先日、
「そろそろお正月やのー。年明けたら八幡さんに連れてってくれのー」
と言っていたオバアサマとは思えないシッカリ振りである。さらに質問は続く。

介「毎週デイサービスに行く曜日は分かっていますか?」
バ「ハイ!」

毎晩デイサービスのカード(昔の保険証みたいな感じのモノで、行く日が記載されている)を持って
バ「明日行く日やったかのぅ~?」
と言いながらウロついているのが嘘のようである。


そして、ハハウエが噴出してしまいそうになったやり取りがコレ。

介「ご自分の誕生日は分かりますか?」
バ「ハイ!3月24日です!」
資料を見ながら質問をしていた介護認定士、ここで切り返してみる
介「アレ?3月28日ではないのですか?」

そう、オバアサマは自分の誕生日を間違えてしまったのである。これまで築き上げてきたものが崩れそうになったその時!

バ「・・・戸籍では28日ですが、ホンマは24日なんです!」


飽くまでも自分が正しいと言い張ったーーーー! Σ(゜Д゜)ガーン
「前回の面談のときも、同じ質問で間違えて、同じ言い訳をしたなぁ~。その時は『25日』だったけど」と思い出し、オバアサマと介護認定士の手前、必死で笑いを堪えていたハハウエであった。

●艦長!満腹中枢半壊ですッ!!!

2006-04-26 | よもやま
オバアサマの話。

どうやら満腹中枢が半壊状態にあるようだ。

「まだお昼ご飯食べてないけん、食わせろ」
というような、痴呆の代表的なイメージを担っている症状はまだないが、一回の食事で果てしなく食べるのである。育ち盛りの子供達レベルではもちろんないものの、『90歳を超えたにしては』という条件文を付ければ、医者もびっくりする程の食べっぷりである。

「『90歳以上限定フードファイトマスターズ』なんかあったら、結構いいとこ行くんとちゃう?」位の勢いはある。
屋内で一日を過ごすオバアサマが一体どのようにしてそれだけのカロリーを消費しているのか、『人体の不思議展』の1ブースで研究結果を展示しても良いと思えるくらいの謎である。

まず、食に対する貪欲さがスゴイ。
食卓に並んでいるものは、とにかく全て一通り食べる。例えハハウエが
「これはちょっとコワイ(固いの讃岐弁)けん、ばあちゃんの皿には盛らないでおこう」
と考慮したものでさえ、
バ「それいた(それ頂戴)」
と言い、結局噛み切れずに吐き出すのである。

食後にチチウエが
チ「なんかもの足りんけん、うどん食お」
とうどんを食べ始めると(コレもかなりアレだが)、本来の食事を終えた後であっても
バ「それちょっといた」

鍋などして、私が
ペ「あ、そういや、冷蔵庫に残っとったアレも入れよ」
と言うと
バ「それ私にもいた」

食欲に素直に従っているオバアサマ。やはり90歳を超えて生きるにはそれぐらいの欲がないと無理なのであろうか。

そして、『食べる量』である。
オバアサマの
「おなか一杯やわ」
という発言をここ数ヶ月聞いた覚えがない。私は幸いなことにまだ痴呆の症状が出ていない(と思う)ので、『覚えがない』=『言っていない』と言って良いはずだ。
家族がびっくりするぐらい食べて、
バ「今日はちょっと過ぎた(食べ過ぎた)かの~」
である。更にその5秒後に
バ「なんか甘~いモンが食べたいの」
と、和菓子を2,3個持って自室へ帰る。

そこで
「ばあちゃん、ちょっと食べすぎちゃうん?」
等と言おうものなら、
バ「ワタシそんなに食べてませんッ!」
と怒られるので、皆、只その様子を無言で見守るだけである。

家族の間では、
「食べながらその場で食べた事をどんどん忘れていっているのではないだろうか?」
と囁かれている。実際そのフシはある。
バ「あれまだ食べとらんけん、取っていた(取ってちょうだい)」
と言った物が、既に自分の取り皿に盛られていたりするのである。そしてそれを繰り返す。
食べ終わり「ゴチソウサマ」と言ったかと思えば、今日このときの食事を名残惜しむかのように、再び箸を取り、更に1,2品食べる。食後のお茶を用意する側にとってはフェイントである。そんなテクニックを駆使しながら、果てしなく食事が続く。スゴイ。スゴすぎる。


誰かが言っていた
「平均寿命を超えたら、食に関しては自分の好きなようにさせたらええがな」
と。
確かにそうである。『好き嫌いはダメ』とか、『一日○カロリー以下に・・・』とか言っても無駄である。

只、冒頭に書いた様な症状が来るのを、「来ませんように」と祈りながら待つのみである。

●何となく春らしい出来事

2006-04-25 | よもやま
先日職場を去っていった一コ年上の女性がやってきた。

年上とはいえ、一コしか違わんし、その職場では私が先輩だったので、敬語レスで話さしてもらっていた人。また一人年の近い人が辞めていくなぁ、と一抹の寂しさを感じていたのだが、そんなある日、彼女はやってきた。

私が貸していた本(仕事関係)を返しに来た、とのこと。で、その際・・・

女子「また質問とかあるかもしれんけん、電話番号教えてくれる?」

と言われた。

仕事がらみとはいえ、"女性から"電話番号を訊かれるなんて何年ぶりだろう・・・
そんな感慨に浸った小春日和の午後。

あ、『"女性から"は珍しい』からと言って、『"コッチから"訊きまくっている』というワケではないので、あしからず。。。



●立ち読みでトリップ

2006-04-24 | 
コンビニで立ち読み。ゴメンヨミニストップ。

20世紀少年を読んだ。

浦沢さんの漫画は好き。『MONSTER』に『MASTER キートン』、『プルートゥ』『パイナップルアーミー』・・・

人間の表情を描くのが巧いなぁ。特に『おじいちゃん』描かせたらホント天下一品ですよね。
ちなみに去年、スピリッツに掲載された三谷さんとの誌上対談は当然のようにちぇけらーです。


で、立ち読みの話に戻ると、いつもは「浦沢さんの絵だぁ~」と思いながら読むのだが、その時は違った。
読んでる途中で、「アレ?これ、誰の作品だったっけ?」と悩んだ。

何故か。

『完全にその世界に入り込んでしまったから』から。つまり、『20世紀少年』という作品に描かれている世界が私の中で確立されていて、『作品』であることを一瞬忘れた、というワケ。
ちょっとアブない人みたいだな、ワタシ。
いやでも、ホントその一瞬は真剣に分からなかった。

よく漫画家さんが
「自分の描いたキャラクターが、勝手に動き出す」みたいな表現をするけど、それに近いかも。
つまり、漫画が、漫画家さんの存在を離れて存在している、という感覚。それが漫画である事を、その刹那忘れてしまうような感覚、である。


『火の鳥』もそうであった。
あまりのスケールに圧倒され、線の一本一本に心を激しく動かされ、その世界に入り込まざるを得ないような膨大なエネルギー。漫画の中に人間が存在しうる事を初めて教えられた作品だ。
『20世紀少年』はそれとはまた違った手法で、同じ感覚を感じさせてくれた。手塚さんとはまた違った「リアリティー」、登場人物の「人間臭さ」、それらが私にとっての浦沢さんの漫画の魅力であり、「誰の作品だかわかんなくなった」理由である。


えっと・・・今週で終わり?
Σ(゜Д゜;エーッ! 知らんかった・・・
ナニこの『2007年新春最終章登場』って!?
『最終章スタート』ではなく『最終章登場』・・・どゆこと?単発って事?
後8ヶ月もあるのに気になってしゃあないじゃないか!

●ぶ・・・ぶ・・・ぶらじやぁ

2006-04-19 | 旬の話題
ブラジャーそっくり 中国で1千年前の女性下着発掘

1000年前の女性もブラジャーをしていたカモ、というニュース。

文中最も気になったのは、
市内の博物館に保存されていたが、最近の研究で女性用の下着と判明。
という部分。一体どんな研究をしたら、それがブラジャーであることが判明するのか。。。

話は変わりますが、女性専用のアイテムの名を呼ぶのは、男性にとって若干の抵抗というか、気恥ずかしさがある。
ブラジャー・ファンデーション・キャミソール・・・
『書く』のはあまり抵抗無いんだけど、口にするのは躊躇われる。先に書いたように、『女性専用』である、という事が主な理由だが、その理由をもっと深いレベルで考えると、『慣れない言葉はしゃべりにくい』という理由にたどり着く。

自分にとって馴染みの無い言葉(特に日本語には無い“文字の並び”)は何だか喋りにくい。例えば『ボンバイエ』とか、『ヘゲモニー』とか。
つまり『女性専用』であり、且つカタカナ語である上記のアイテム達は、男性にとって、喋りにくい単語の条件を満たしているのである。
『慣れ』がキーワードとなるわけであるからして、普段からブラジャーに親しんでいる男性は、きっとそんな気恥ずかしさは感じないだろうし、逆に、「初めてのブラジャー」な女子は、馴染みがない為、喋りにくいはずだ!・・・どうだろう?


喋りにくい単語を発するときには、どうしても気恥ずかしさを感じてしまうし、単語を発した後には、その気恥ずかしさを誤魔化すような「エヘヘ」的な笑みを浮かべてしまう。
多分コレは、日本人だけの感覚ではないのではないだろうか。
例えば、日本にやってきて映画の宣伝をする外国人俳優さんたちが、会見で
「コニチワ。ニホンノミナサン、アイシテル」
等と言った後に浮かべる(営業スマイルではない)素の笑みには、喋りにくい単語を発した後の気恥ずかしさを感じる。
その素のテレが、その人本人を一層キュートに感じさせる要因となる。

逆に言えば、私たちが外国に行ったときには、無理してでもその国の言葉をしゃべり、喋った後でテレた表情を見せれば、ワリと好印象を与えられるのではないだろうか?誰か外国に行ったら試してみてください。多分日本人特有の『意味の無い愛想笑い』として捉えられると思います。



ちなみに私は、会話の中で、どうしても「ブラジャー」を表現しなくてはならないとき、出来るだけ馴染みのある言葉に置き換えて、

「チチバンド」

と言う。・・・が、これはすこぶる評判が悪い。コレを聞いた女性は大抵、2つある眉毛の内、どちらかの角度を上げて私を見る。
「違うんだ!・・・ソノ・・・オッサン的な発想の産物ではなく、単に気恥ずかしさを誤魔化す為であり・・・」
と釈明したいのだが、相手の女性の怪訝な表情に恐れをなしてしまっているので、心の叫びにしかならずに終わる。

この問題を解決するには、普段から「ブラジャー、ブラジャー」言いまくるしかないのであろうか。そんなのヤダ。

●顔剃り13(サーティーン)

2006-04-18 | 旬の話題
女性もシェービング 続々と専用サロン、理容店も個室を用意(SankeiWebより)

私は思う。顔剃りの快感を味わわずに一生を終える可能性が高い女性は、確実に人生の数パーセントを損している、と。女性の顔剃りがあまり行われないのは、ひとつはお化粧の為だと聞いた。でも、一度でいいから体験して欲しい。

あの産毛をじょりじょりする感覚・・・思い出しただけで口角が10度程上がる。特に私のお気に入りは、耳たぶの産毛剃り。これは男性諸氏でも未経験の方がいらっしゃるかもしれない。機会があれば申し出てみよう。すばらしき世界がそこにはあるから。


こんなに持ち上げておいてなんだが、最近の私は理容店での顔剃りを遠慮している。何となく、何とな~くだが、全く知らない人が、頚動脈付近で刃物を振り回す状況がちょっと怖く感じるようになってしまったからだ。テルテル坊主状態で、手の自由も奪われているし。
しかし、顔剃りに至る前には散々ハサミを振り回されているワケであるから、まぁ、根拠の無い恐怖心であるが。

そんな恐怖心を抱いているとき、いつも思い浮かべるのはゴルゴ13である。
危機管理能力の高い彼は、雑踏で拳銃の撃鉄がカチリとなる音を聞き分け、防御体制に入る。また、利き手を相手に預けることになる握手を拒み、更には自分の背後に人が立つことでさえ嫌っている。そんな彼は、散髪をどうしているのだろうか。いつ見ても同じヘヤスタイルである事から、結構マメに髪を切っているハズだ。

もし、彼が散髪に行ったら・・・
まず、その散髪屋さんの建物の構造から店主の略歴まで、徹底的に調べ上げるはずだ。店主が信頼できる人物かどうか、いざというときの脱出経路はどうか・・・。超一流と呼ばれる彼は事前準備を決して怠らない。
入店したら、盗聴器、時限爆弾等危険物のクリーニングを一通り行い、入り口から一番遠い席に座る。
次に店主の手と腕を見、靴下を脱がせ、足の指の付け根等もチェックする。店主が薬物に溺れていないかの確認作業だ。
散髪用の椅子には座ると思われる。背後からの銃弾の盾として使えるからだ。テルテル坊主は動きが制限されるので、つけない。切った髪の毛が服についてチクチクするのは我慢する。さまざまな拷問に耐えてきた彼なら、この程度の事は苦にならないはずだ。
銃を右手に持ち、常に銃口を店主に向けた状態で、彼は座る。当然、視線は目の前の鏡に映る店主の一挙手一投足に注がれる。
店主がハサミを振り回すのは、ごっつ怖いけど、我慢する。マバタキはしない。一瞬でも気を抜いたら、それが死に直結する世界に彼は住んでいるのだ。切った髪の毛が目に入ってごっつ痛くても、鼻の頭にくっついて何だかムズムズしても我慢する。


店主に
「もみ上げはどうしますか?」
と聞かれたら、そこは男のポリシーの発揮場所。
ゴ「・・・残してくれ」

つい聞き忘れて切り落としてしまおうものなら、明日の夜明けは見ることが出来なくなるであろう。



顔剃りはどうするだろう?
ハサミの場合、危害を加えようとすると、1)振りかぶり、2)刺す、と2アクションになり、その分防御もしやすいが、カミソリだと、1)スッと引く、の1アクションで攻撃が完了する。これは防御が難しい。よって却下。


シャンプーなんて有り得ない。背中から後頭部にかけてが全くの無防備になる上、途中で敵に襲われ時、防御体制をとっても、髪の毛が泡だらけでは笑われてしまう。万が一アトムヘアーなんかになってた日にゃあ、彼が築き上げてきたイメージがぶち壊しである。
それに、数々の拷問に耐えた彼でも、目を開けたままシャンプーに挑むのは流石に無謀と言えよう。

結局切りっ放しで、顔剃りもシャンプーも無しで退店。
服に付いた髪の毛のチクチクに悩まされ、次の日、切った髪の毛が枕に一杯付くハメになるのである。


「いや、ゴルゴはそんなコトしない!自分でやるはずだ!」

ファンの方はそう仰るであろう。私もそうあって欲しいが、だからと言って、彼が自分で髪を切っているサマもかなり間抜けに思えてしまうのである。

●いとエロかっこよきもの

2006-04-17 | テレビとか
あの人って、本当に『エロかっこいい』んですかね?『エロかわいい』とも言われてるみたいですが、そっちは更に有り得ない気がします。。。そもそも『エロかっこいい(かわいい)』とは、私の認識では、『エロく、且つカッコいい(かわいい)』なんですが、違うんでしょうか。『エロ』いとも『カッコいい(かわいい)』とも思えない。。。

考えてみました。


【仮説】
『エロ』と『カッコいい(かわいい)』は分けて考えるべきではなく、『エロかっこいい』『エロかわいい』という、私が知らない感覚を表す新たな形容詞である。

この仮説に基づいて考えるならば、私が理解できないのは、言葉の問題ではなく、感覚の問題。そう考えると合点がいきます。これならば、
「ああいうのを『エロかわいい』と表現する」
と記憶すればよいことです。

言葉の探求者としては、新しく学んだ語彙は、使い倒して自分のものにしなければなりません。早速身近にある『エロかっこいい』ものを探してみました。

例1)いつもきらびやかな衣装を着て、下品な笑い声を上げているあの近所のあのオバサン。エロカッコいいです。

例2)露出度が高く、且つ歌が結構うまいお相撲さん。エロかわいいです。

例3)ウチの上司。何が目的なのか理解できないところがエロかっこいいです。

例4)パンダ。「目の本体はドコダ!?」的なところがエロかわいいです。



ファンの皆様すいません。でも、エロとは決して品性と対立しないものだと私は思うわけですよ!(若干サンボマスター風)


最終的に、
『(;゜ロ゜)ハッ、実は私もエロかっこよかったんだ!』
という所に持って行こうとしたけど、彼女との間に何の共通点も見出せなかったこぺでした。

『キモカワイイ』ならば何とかなったんだけどなぁ・・・

●デビュー

2006-04-16 | よもやま
デジカメ持ってお散歩♪

ゲージツ的な写真を撮るぞ、と意気込んで、田植えの始まる前の田んぼの中の田舎道をテクテクテクテク歩く。歩く。歩く・・・

意外と何にも無い。私のキャメラマン心を刺激してくれるものは無いのか!と、歩く、歩く、歩く・・・


気が付けば・・・



山の緑が青みがかって見えるくらいまで歩いていた。

撮った写真1


撮った写真2


このカメラで、波濤(という程ではないが)はキレイに撮れるのか、という疑問に対する一発回答。ん~イイ!

歩いている間、このデジカメの名前を考えていた。『デジカメ』と呼ぶのは、何だか味気ないじゃないか。私は誰かに呼ばれるときに、「オイ、そこの人間」と呼ばれたくは無い。色々連想ゲームを繰り返した結果、『久部(くべ)さん』と命名した。

どうやらこの久部さん、広角撮影なんかが出来るようなのだが、どうやったらそんなん撮れるのか、説明書をロクに読んでない私は操作方法が分からない。久部さんの能力を全て引き出すことが出来るのは、果たしていつになることやら。