コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。


そこに神はいません

2010-03-12 19:41:59 | 
本日、3/12日、7:30出勤。
正門前では既に交通整理が行われ、本部棟付近には、受験生やその親御さんと思われる人たちが何人か集まっていました。
今日は個別学力試験、後期日程の本番です。

いや、熱心で何より。
そして、晴れて良かった。
特に、雪国から来る人は、何としてもこの明るい街に住みたくなるよね。


入試シーズンに毎度思うことの一つは、受験生たちのやたら早い到着。
多分、昨日までの内に試験室のある建物を確認した人も多いでしょう。
それも、熱心で良いことです。
実際、今日、何かあったら大学生にはなれないのだから、念には念を入れて、と言うのも解る。

そこまでは良い。


合格して、入学してきた学生達の、少ないとは言えない数が、新入生ガイダンスや最初の授業に遅刻してくる。
理由は、「場所が判らなかった」。

おいおい。
受かってしまったらいいのかよ、と毎年思う。
たしかに、入試と違って、こういう遅刻は命取りにならない。
でもね。
こういう油断は、どこかで確実に響いてくるよ。



で、これ、何だろう、と考える。
“ゴール”の設定を間違ってるんじゃないのか。
高校生は大学“合格”が、ゴール。
暫くすると“就職”がゴール。
そういえば、結婚のことを“ゴール・イン”というひともいるな。

それらは、ゴールではありません。

一つ一つがクリアすべき関門であって、それはだから、日々の授業や仕事も同じ。
人のことは言えない(と言うか、自分は身にしみて感じてることだけど)一日一日の手抜きが、あとになって、ず~~~んと響いてくるのだよ。

30年まえ、大学に受かった日、学生新聞か何かに「大学に入ったら何したいですか」と聞かれて「勉強です」と答えたら絶句された。
まぁ、80年というのはそういう年回りだった。
今は、逆向きに、大学で真面目に勉強しても……、と言う無力感があるのかも知れない。
しかし、受験勉強は何のためにしてきたんだよ、と思う。



入試、お疲れさまでした。
多分、殆どの大学受験者は、今日で“開放”されたんだと思います。
合格発表まではまだ間があるけれど、一ヶ月後には授業が始まっています。
今の緊張感をなくさずに、読んだふりをしてきた本をちゃんと読んでおくくらいのことはしておいて下さい。








今日の記事のタイトルから、何を連想しましたか?
直接の“典拠”は、『徒然草』です。

そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。

ゴールを間違っている話。
“先達”を求めることが大事だ、と説くのだけれど、それだけではないのかもな、と。
我々は、目先の目標物を最終目的と思いこんで生きているかもしれない。
いつでも、“奥の院”を極めるチャンスはあるのに、気づかない。
神様はもっと先にいる。




この一節を思い浮かべたのは、受験生の神頼みみたいな物も勿論掛けてあります。


で、もう一つの“典拠”。
多分現代人にはこっちの方が判りやすい、「千の風になって」の一節。
これは、書いてるとき、たまたまそうなったんだけれど、そういえば、二、三日前に、仲間内でこの詩(というか、新井満という人)のことが話題になったので、頭に引っかかっていたんだろう。

20年ほど前、彼が環境ビデオの仕事をやっていたころから、胡散臭い人だと思っていたので、この無名作者(確定したのかな)の詩を自分の物にするやり方には全く驚かなかったし、その後『十牛図』の本を出したときには、かなり腹立たしく思ってもいたんだけれど、どうやら“被害者”がブログで経緯を公開した物が、ツイッターで多くの人に知れ渡ったらしい。
剽窃かどうかを含め、全部鵜呑みにして良いのかどうかはさておき、この詩を独占的な商売道具にしていることそのものは間違いない。

このひとにとって、人間の思いとか、死者の魂とか、神とか真実とか、そういうのって、全部商売の種でしかないんだな、と。


そう言うモノどもを、商売にならないやりかたでいじくり回しているだけの私も、ゴールを見失ってるんだろうけど。

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