ロシアのニキータ・ミハルコフが「12人の怒れる男」をリメイクして、月末に試写会、というのを先週の新聞で読んで公式ページをチェック。
8月に東京、随時展開するらしいけど、現段階では東京しか決まってないのかな。
さて静岡でもやるんだかどうだか。
もとの映画(シドニー・ルメットのデビュー作だとか)は、もちろん、言うまでもなく、古典中の古典、大名作に間違いないのだけれど、それだけでとどまらない、私個人にとっても恐ろしく重要な一本だ。
というより、私の大事な「一冊」。
Reginald Rose TWELVE ANGRY MENは、大学一年の、英語の教科書だった。
加藤先生と言ったと思うんだけれど、済みません、忘れました。
この年、もう一つの英語のは柳瀬という先生(多分。駄洒落好きの愉快な先生だった)で、ブルームフィールドやチョムスキーや変形生成文法が出てくる論文みたいな物だった(これって、文法の授業だったのかな。とにかくこれで論理的な英文というのの凄味を識った)。
それはさておき、英宝社というところから出ている教科書用の日本語注釈付きの脚本を読んだわけだ。解説に依れば最初、1954年TV用に作られ、57年映画用に、さらに58年舞台版が作られたらしい。テキストは舞台版(二幕)だ。
俗語表現をどう訳すか、というので、時々先生が役者のように動いて見せたりしたのも少しだけ憶えている。がっちりした先生。そういえば、「文法」の先生はミスター・ビーンみたいだったな。
1980年のことだ。
ヘンリー・フォンダの映画を見たのはそれからずいぶん後だと思う。いま手元にあるDVDは、今世紀に入ってから購入した廉価版。それでも日本語吹き替えや英語・日本語の字幕を切り替えられるんだから良い時代になったもんだ。
その後、TV用にリメイクされたのも見た。そうか、ジャック・レモン主演、3番をジョージ・C・スコットがやったんだね。“パットン”。
この映画、この本で私が衝撃を受けた理由は色々ある。論理の詰め方、“失言”の扱い方。キャラクター設定。それからもちろん陪審員制度。
自分の学問との関係で言えば、事実とは何か、目撃証言とは何か、差別や偏見や……ということ。
松田修の『複眼の視座』を読むよりも、こっちが先にあったんだと思うと、大学の授業、侮りがたし、というところ。
さて、今日のブログのタイトル、「アメリカの美点」は、終盤、けんかを鎮めるために発した11番の発言の中にある。というか、映画の吹き替え版の中にしかない。
写真で読めるかどうか心許ないけれど、多分対応するのは(吹き替え版はここの台詞をかなりいじっているし、そもそも映画台本と劇場台本は違う。しかし、英語版・字幕ともに、「アメリカの……」という言葉は無い)、
this is one of the reasons we are strong. という部分だろう(テキストに線が引いてある。ついでに左側に「山、出ないと思う」というコメント。試験対策かねぇ……)。
もう一冊手元にあるのは額田やえ子訳(劇書房 '79=あぁ、80年の時点でこれが出てるのを知ってた学生はいたのかなぁ)がある。これは、劇場用台本に映画シナリオを案配したある意味オリジナルで、日本で上演されることを想定した物であるらしい(ローズの序文がある。三幕物)。この本では、当該部分は
アメリカが強い理由はここにもあるのです。 だ。
日本で公開されたとき、「強いアメリカ」と「美しいアメリカ」と、どちらが抵抗なく受け容れられたのかを考えるのも興味深くはある。
それにしても、だ。
11番(彼は移民だ。テキストの人物紹介に「時計製造業者.言葉にドイツ訛りがあり,ヨーロッパでの戦争を避けてアメリカに移住したのである.それだけに,民主主義や自由を尊重し,正義を求める気持ちは強い.」と書かれている(そうか、ドイツ訛りがあるのか)。
そう。ヤンキーズファンの7番とはエライ違い。
そして、この作品の大きなテーマはこの人の台詞にあるんじゃないかと思っている。
アメリカは今も強い。
しかし、美しいかどうか。
日本は?
この映画を改めて観て、本を読んで、何が「名作」か、といえば、ここには本当に、「美しいアメリカ」が描かれている、ということに尽きるのかも知れない、と思う。
当時「一級殺人」は「死刑」だった。その、一人の少年の命の重さを見ず知らずの12人が、立場を超えて真剣に話し合う。結局は、何が正しい選択なのか、理解でき、行動できる大人が確かにそこにはいた。
ローズ自身の陪審員体験から書かれた戯曲らしいけれど、現実はどうだったんでしょうね。
さて、ニューヨークのスラムで育った「不良少年」は、今度はチェチェン紛争の犠牲者であるらしい。ユダヤ人も出てくる。人物設定も、結末も、いじってあるらしい。
そこに、ロシアの現在は、未来は、どう描かれているのだろう。
三谷幸喜版はともかく、日本でこの作品をリメイクしたらどうなるだろう。
在日? 外国人労働者? ハケン??
親殺しや無差別殺人のニュースを毎日のように読まされる今、教育現場まで汚職まみれの今、「日本の美点」はあるのかどうか。
裁判員制度と陪審員制度はえらく違う物のように思う。
色々考えたい作品。
リメイク版には黒人俳優が出ていたように思う。5番なのかな。
ロシア版も、相変わらずMEN=男達だ。
いつか、「12人の怒れる人々」にならないかな。
そうそう。
この記事を今日書いてしまおうと思ったのには理由がある。
BS2で、今夜(というか明日未明)「カプリコン・1」をやる。
この映画も、私に「事実認識」を考えさせた一本だ。
いま、「プログラム」を観たら78年、京成ローザでみたらしい。
30年前だ。あの辺も変わったよな。
強いアメリカの欺瞞。
観られる環境にある人は是非。
チープだけどね。
別件。
伽藍、佐藤さんの「ゴドーを待ちながら」、観ました。
この話はまたあとで。
8月に東京、随時展開するらしいけど、現段階では東京しか決まってないのかな。
さて静岡でもやるんだかどうだか。
もとの映画(シドニー・ルメットのデビュー作だとか)は、もちろん、言うまでもなく、古典中の古典、大名作に間違いないのだけれど、それだけでとどまらない、私個人にとっても恐ろしく重要な一本だ。
というより、私の大事な「一冊」。
Reginald Rose TWELVE ANGRY MENは、大学一年の、英語の教科書だった。
加藤先生と言ったと思うんだけれど、済みません、忘れました。
この年、もう一つの英語のは柳瀬という先生(多分。駄洒落好きの愉快な先生だった)で、ブルームフィールドやチョムスキーや変形生成文法が出てくる論文みたいな物だった(これって、文法の授業だったのかな。とにかくこれで論理的な英文というのの凄味を識った)。
それはさておき、英宝社というところから出ている教科書用の日本語注釈付きの脚本を読んだわけだ。解説に依れば最初、1954年TV用に作られ、57年映画用に、さらに58年舞台版が作られたらしい。テキストは舞台版(二幕)だ。
俗語表現をどう訳すか、というので、時々先生が役者のように動いて見せたりしたのも少しだけ憶えている。がっちりした先生。そういえば、「文法」の先生はミスター・ビーンみたいだったな。
1980年のことだ。
ヘンリー・フォンダの映画を見たのはそれからずいぶん後だと思う。いま手元にあるDVDは、今世紀に入ってから購入した廉価版。それでも日本語吹き替えや英語・日本語の字幕を切り替えられるんだから良い時代になったもんだ。
その後、TV用にリメイクされたのも見た。そうか、ジャック・レモン主演、3番をジョージ・C・スコットがやったんだね。“パットン”。
この映画、この本で私が衝撃を受けた理由は色々ある。論理の詰め方、“失言”の扱い方。キャラクター設定。それからもちろん陪審員制度。
自分の学問との関係で言えば、事実とは何か、目撃証言とは何か、差別や偏見や……ということ。
松田修の『複眼の視座』を読むよりも、こっちが先にあったんだと思うと、大学の授業、侮りがたし、というところ。
さて、今日のブログのタイトル、「アメリカの美点」は、終盤、けんかを鎮めるために発した11番の発言の中にある。というか、映画の吹き替え版の中にしかない。
写真で読めるかどうか心許ないけれど、多分対応するのは(吹き替え版はここの台詞をかなりいじっているし、そもそも映画台本と劇場台本は違う。しかし、英語版・字幕ともに、「アメリカの……」という言葉は無い)、
this is one of the reasons we are strong. という部分だろう(テキストに線が引いてある。ついでに左側に「山、出ないと思う」というコメント。試験対策かねぇ……)。
もう一冊手元にあるのは額田やえ子訳(劇書房 '79=あぁ、80年の時点でこれが出てるのを知ってた学生はいたのかなぁ)がある。これは、劇場用台本に映画シナリオを案配したある意味オリジナルで、日本で上演されることを想定した物であるらしい(ローズの序文がある。三幕物)。この本では、当該部分は
アメリカが強い理由はここにもあるのです。 だ。
日本で公開されたとき、「強いアメリカ」と「美しいアメリカ」と、どちらが抵抗なく受け容れられたのかを考えるのも興味深くはある。
それにしても、だ。
11番(彼は移民だ。テキストの人物紹介に「時計製造業者.言葉にドイツ訛りがあり,ヨーロッパでの戦争を避けてアメリカに移住したのである.それだけに,民主主義や自由を尊重し,正義を求める気持ちは強い.」と書かれている(そうか、ドイツ訛りがあるのか)。
そう。ヤンキーズファンの7番とはエライ違い。
そして、この作品の大きなテーマはこの人の台詞にあるんじゃないかと思っている。
アメリカは今も強い。
しかし、美しいかどうか。
日本は?
この映画を改めて観て、本を読んで、何が「名作」か、といえば、ここには本当に、「美しいアメリカ」が描かれている、ということに尽きるのかも知れない、と思う。
当時「一級殺人」は「死刑」だった。その、一人の少年の命の重さを見ず知らずの12人が、立場を超えて真剣に話し合う。結局は、何が正しい選択なのか、理解でき、行動できる大人が確かにそこにはいた。
ローズ自身の陪審員体験から書かれた戯曲らしいけれど、現実はどうだったんでしょうね。
さて、ニューヨークのスラムで育った「不良少年」は、今度はチェチェン紛争の犠牲者であるらしい。ユダヤ人も出てくる。人物設定も、結末も、いじってあるらしい。
そこに、ロシアの現在は、未来は、どう描かれているのだろう。
三谷幸喜版はともかく、日本でこの作品をリメイクしたらどうなるだろう。
在日? 外国人労働者? ハケン??
親殺しや無差別殺人のニュースを毎日のように読まされる今、教育現場まで汚職まみれの今、「日本の美点」はあるのかどうか。
裁判員制度と陪審員制度はえらく違う物のように思う。
色々考えたい作品。
リメイク版には黒人俳優が出ていたように思う。5番なのかな。
ロシア版も、相変わらずMEN=男達だ。
いつか、「12人の怒れる人々」にならないかな。
そうそう。
この記事を今日書いてしまおうと思ったのには理由がある。
BS2で、今夜(というか明日未明)「カプリコン・1」をやる。
この映画も、私に「事実認識」を考えさせた一本だ。
いま、「プログラム」を観たら78年、京成ローザでみたらしい。
30年前だ。あの辺も変わったよな。
強いアメリカの欺瞞。
観られる環境にある人は是非。
チープだけどね。
別件。
伽藍、佐藤さんの「ゴドーを待ちながら」、観ました。
この話はまたあとで。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます