コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

正義を行う責任

2008-10-04 23:27:08 | 
レジナルド・ローズの「12人の怒れる男」が私にとって特別な一冊であった、と言う話は前に書いた。
その、21世紀ロシアバージョンを、今日観てきた。
2時間40分。シドニー・ルメット版より1時間以上長い。
その理由は観れば判る。

冗長ではない。
緊張感は持続する、と言うか、後半の方が緊迫感があるし、笑いもあって飽きさせない。
編集、画面構成、象徴的な材料……。
ストレートなローズ・ルメット・フォンダチームとは、映画に向かう姿勢が全く違う。

前の記事で私は、「アメリカの美点」という、かつてあった(かも知れない)、今はギャグにしかならないような何かについて書いた。

50年後のロシア。
ここに描かれているのは、ロシアの汚点の数々。
しかし、数々の汚点を抱え込んで生きる人々の中に在り続ける正しい心への希望を示す。
40年前も、40年後も、きっと何もかわらない。
しかし、ひとりでも、ちょっと待てよ、と口にしたら、状況は変わるかも知れない。性悪説の中の性善説。

信じるしかないね。


なぜ長いのか。
殆どすべての陪審員が自分や近親者のことを語る。それらは、ロシアの生々しい今に繋がっている。それらのことが、個々の人間の判断基準を決定づけている。

ニキータ・ミハルコフは、完璧な論理性を持った原テクストに、かなり大きな穴を開けつつ、全く別のメッセージを被せて見せた。

あんまり長々と批評をする気はない。
ロシア語を理解するのは無理なので、吹き替えでもう一回観たい。
裁判員制度もはじまることだし、ルメット版含め、多くの人に観て欲しい映画でした。


気になったこと。
プログラム、ネタバレ多すぎ。
いくら原作が有名だと言っても、もう観てない人だって多いだろうし、実際12人が正確に対応しているわけでもない。終盤の意外な展開まで書くことはないと思うぞ。

そうそう、沼野充義先生が、解説の中で、チェチェンの少年をののしる言葉が「アメリカや日本の映画ではとても使えないような言葉」なのだと書いている。字幕は規制されている。

日本の映画やドラマなどでは、差別問題を扱ってもそう言う言葉を使わないようになってしまった。かつては使っていたので古いドラマの再放送では音声が抜ける事がある。
しかし、現実にそう言うことが存在する以上、それは表現されて然るべきではないのか、と改めて思った。

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2 コメント

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過剰規制 ()
2008-10-05 01:52:19
自主的な過剰規制が課されるようになって久しいですね。古本を読んでいると、手持ちの新版と表現が異なる部分があるのは良くあることです。原作者はこの世を去っているので無断で改変しているわけですね。遺族の了解は取っているかもしれませんが作者に無断ならそれは無断改変でしょう。
ATOKの辞書ですら差別用語が言葉狩りされるんですから困ったものです。文化というものに理解が無いんでしょう。
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ATOK! (コニタ)
2008-10-05 06:42:55
困るねぇ。

江戸~近代だったら普通に使われていたような言葉も変換できない。
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