昨日は学生達の(そして私の)ネガティブな側面を書いた。
その最後の方に、
「それを超えて、うまくいってるな~、と思うことも今沢山あって」
と書いたことについて少々。
形になってこないので余り紹介していないのだけれど、現在、言語文化学科活性化プロジェクトが進行中。
これは、言い出しっぺが私なので、“顧問”みたいな形で関わっているが、基本的に、学生有志の活動。
色々じれったいこともあるのだけれど、現在一番活発に動いているのは、webサイトで教員を紹介するための材料作り。
学科教員にアポを取って、複数の学生が個々の教員の研究室でインタビューを行っている。
私も取材された。
他の教員の具体的な内容はまだ詳しく知らないけれど、仄聞するところだけでも、同僚たちの私の知らない素顔が垣間見えるようだし、担当した学生達の、“土産話”の愉しそうなこと!
webサイトがどうとかプロジェクトだとか言い出すとたいそうな話のようだけれど、これは気持ちだけあればいつだって出来たようなことだ。
それをしてこなかった。
なんでだろう。
もう随分前のことだけれど、新入生セミナーの中で、一年生に学科教員スタンプラリーをやらせたらどうか、と言う提案をしたことがある。
一年生は、全部の教員の研究室で必ず話をしてくる。で、ラジオ体操のカードよろしくスタンプを集めるわけだ。
これは学科会で却下されたけれど、似たようなことをした教員もいるし、これからでもやったらいいと思っている。
コンパだのなんだのは最近流行らなくて人が集まらないし、まんべんなく交流できるわけではないから、学生同士の親睦にはなるかも知れないけれど、教員と学生の交流にはあんまり向いてない。
特に一年生は教員との距離がうまくつかめない傾向にあるし。
だから、一年生の内に、アポ取って研究室に行って話をして、紙にまとめる、と言う作業をしたら、多分、立派なフィールドワークになるし、教員にとっても学生にとっても、ちゃんと“顔が見える”関係が築けるんじゃないのかな、と。
今回、“活性化プロジェクト”の学生達を見ていて、その予想が正しかったことを実感している。
参加している学生達は、最初は授業を受けたことのない教員の所に行くのを怖がっている風もあったけれど、行った後では本当に愉しそうに個々の教員のことを語る。
まだ教員の感想を聞く機会がないのだけれど、学生達が伝えてくれる教員たちの表情を思えば、みんな嫌がるどころか、大いに楽しんでいるのだと思う。
正直の所、webサイトや広報誌という“形”はもういらないんじゃないのか、とさえ思う。
こういう交流が、次は職員に及び、それぞれが、人と人として向き合うことが出来れば、無視できない仲間になる。
お互いの関係で手を抜くことも出来なくなる。
そうやって、この場所の空気が心地よい緊張感を持続できるようになれば、授業も、成績も、就職も、きっとみんな、良いように回っていくのだ。
“有志”たちは、壁を越えてくれた。
というより、元々壁など無かったんだ、と言うことにちゃんと気づいて行動してくれた。
それは、多分、主に“静岡の文化”での体験を通して、他者と直接向かい合うこと、仲間と何かを作り上げることの重大な意味を体感している事によるのかもしれない。
彦星先生から過分のお言葉を戴いて冷や汗ものなんだけれど、私が、というのではなく、そういう体験を通過したことは、実際大きな意味があるんだろう。
昨日書いた愚痴の元になった学生達には、まだ、そういう壁が見えている。
私は意地悪だから、その壁に漆喰を塗り込めているかも知れない。
それでも、そんな物は壊してしまえるエネルギーを、みんな持っているはずなのだ。
情報意匠論の発表会には間に合わなかったけれど、この先、実際に成果物を仕上げていく過程で、そのことに気づいてくれたら良いな、と思う。
どんな発表会になりますかね。
楽しみですね。
例年の通り、私は“ダメ出し親父”で行きますよ。
その最後の方に、
「それを超えて、うまくいってるな~、と思うことも今沢山あって」
と書いたことについて少々。
形になってこないので余り紹介していないのだけれど、現在、言語文化学科活性化プロジェクトが進行中。
これは、言い出しっぺが私なので、“顧問”みたいな形で関わっているが、基本的に、学生有志の活動。
色々じれったいこともあるのだけれど、現在一番活発に動いているのは、webサイトで教員を紹介するための材料作り。
学科教員にアポを取って、複数の学生が個々の教員の研究室でインタビューを行っている。
私も取材された。
他の教員の具体的な内容はまだ詳しく知らないけれど、仄聞するところだけでも、同僚たちの私の知らない素顔が垣間見えるようだし、担当した学生達の、“土産話”の愉しそうなこと!
webサイトがどうとかプロジェクトだとか言い出すとたいそうな話のようだけれど、これは気持ちだけあればいつだって出来たようなことだ。
それをしてこなかった。
なんでだろう。
もう随分前のことだけれど、新入生セミナーの中で、一年生に学科教員スタンプラリーをやらせたらどうか、と言う提案をしたことがある。
一年生は、全部の教員の研究室で必ず話をしてくる。で、ラジオ体操のカードよろしくスタンプを集めるわけだ。
これは学科会で却下されたけれど、似たようなことをした教員もいるし、これからでもやったらいいと思っている。
コンパだのなんだのは最近流行らなくて人が集まらないし、まんべんなく交流できるわけではないから、学生同士の親睦にはなるかも知れないけれど、教員と学生の交流にはあんまり向いてない。
特に一年生は教員との距離がうまくつかめない傾向にあるし。
だから、一年生の内に、アポ取って研究室に行って話をして、紙にまとめる、と言う作業をしたら、多分、立派なフィールドワークになるし、教員にとっても学生にとっても、ちゃんと“顔が見える”関係が築けるんじゃないのかな、と。
今回、“活性化プロジェクト”の学生達を見ていて、その予想が正しかったことを実感している。
参加している学生達は、最初は授業を受けたことのない教員の所に行くのを怖がっている風もあったけれど、行った後では本当に愉しそうに個々の教員のことを語る。
まだ教員の感想を聞く機会がないのだけれど、学生達が伝えてくれる教員たちの表情を思えば、みんな嫌がるどころか、大いに楽しんでいるのだと思う。
正直の所、webサイトや広報誌という“形”はもういらないんじゃないのか、とさえ思う。
こういう交流が、次は職員に及び、それぞれが、人と人として向き合うことが出来れば、無視できない仲間になる。
お互いの関係で手を抜くことも出来なくなる。
そうやって、この場所の空気が心地よい緊張感を持続できるようになれば、授業も、成績も、就職も、きっとみんな、良いように回っていくのだ。
“有志”たちは、壁を越えてくれた。
というより、元々壁など無かったんだ、と言うことにちゃんと気づいて行動してくれた。
それは、多分、主に“静岡の文化”での体験を通して、他者と直接向かい合うこと、仲間と何かを作り上げることの重大な意味を体感している事によるのかもしれない。
彦星先生から過分のお言葉を戴いて冷や汗ものなんだけれど、私が、というのではなく、そういう体験を通過したことは、実際大きな意味があるんだろう。
昨日書いた愚痴の元になった学生達には、まだ、そういう壁が見えている。
私は意地悪だから、その壁に漆喰を塗り込めているかも知れない。
それでも、そんな物は壊してしまえるエネルギーを、みんな持っているはずなのだ。
情報意匠論の発表会には間に合わなかったけれど、この先、実際に成果物を仕上げていく過程で、そのことに気づいてくれたら良いな、と思う。
どんな発表会になりますかね。
楽しみですね。
例年の通り、私は“ダメ出し親父”で行きますよ。
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