私が学生の頃は、卒業論文指導のための時間、というのは決まっていなかった。
だから、私は、テーマを決める時と、提出した時としか、論文のことで先生と直接お話をしたことがない(修士論文も同じだったなぁ)。
学部時代の指導教官だった長谷章久先生は、当時教養学部長だったので、学部長室に出かけていって、説明させていただいたのを憶えている。メインに扱う『井関隆子日記』は当時出版されたばかりで、先生もご存じなく「僕の文も買っといてくれよ」と言われ、私が生協に注文した。
長谷先生をはじめ、埼玉大学時代の日文の先生たちとの思いでも、語り出すと長くなるので、また別の機会にしよう。とにかく、私のいまは、あのとき、そこにいたこと抜きに語れない。
さて、いま、人文学部では、「課題研究」という、卒業研究指導の時間が時間割として組まれていて、卒業論文とは別に単位にもなる。
それぞれシラバスも公開しているので、比較してみるとかなり面白い。
私の「課題研究」シラバスの特徴は、最終報告会までを射程に組み込んでいることで、他のシラバスでは、明記してる例は案外少ない。
一部抄出。こんな感じ。
[キーワード] 卒業研究 論文 発表
[授業の目標] 悔いのない卒業論文を書き、恥ずかしくない口頭発表をするためにできるだけのことをしよう。
[授業計画]
……
<卒論提出>
14 梗概の作成・口頭発表資料の作成(講義・宿題)
15 口頭発表の技術(講義)
16 口頭発表の技術(演習)
昨日(13日)、日本言語文化専攻の卒業論文発表会を聴きながら、この人達は、何のために、誰に向かって発表してるんだろう、と言う疑問が消えなかった。
手前味噌だが、ウチの二人はそういう意味で抜きん出ていたと思う(中身はともかく)。
論文の中身、その扱っている対象についての知識は必ずしもみんなが共有しているわけではない。
しかし、それでも、卒業研究として、何と、どのように向き合ってきたのか、と言うことは、伝わる。
それにしても、配付資料は論文からの引用で、それをほぼ読むだけの発表を、誰が聴く気になるだろうか?
社会に出て、どんな職業に就くことになっても、人前で話すことはほぼ不可欠だ。
長い論理的な文章を書く方がよほど希だろう。
だから、卒業研究は、口頭発表を含むプログラムでなければならない。
論文作法の本紹介した時に取り上げなかった二つの本もまた、私がゼミや概論で必ず取り上げるある種の必携本である。
一つは、東大教養学部の『知の技法』。
今手元にないのでうろ覚えだが、最終章が、論文と口頭発表の作法だったと思う。
この章の冒頭に書かれている“議論”に関する短い文章は、やはり、肝に銘じておくべきだろう(後で引用します)。
もう一つは、学習院の言語技術の会が出した『実践 言語技術入門』。
学習院高等科で非常勤をしていた時、たまたま専任の先生の机の上にあった内部資料をみつけてねだった本が、単行本になって出回っている。木下是雄門下の伝統のもとに、汎用性の高い優れた教科書ができた。
そして、この本も、口頭発表にページを割いている。
論文をまず、オープンにすること。
他者に向かって書く。
そしてそれを、口頭で発表する。
そのとき、配付資料にはどんな情報が必要で、板書やプロジェクターを使うならどうするか、何分かかるのか。
そういう諸々の体験を、他者に向かってしておくことまでを、大学生のウチにやっておかないと。
ほんと、やばいとおもうよ。
さてさて、日付かわりまして、2/15になりました。
“卒論ミュージアム☆”いよいよ本日です。
マスコミの食いつきも良く、今のままで行ってくれれば、立ち見が出そうな勢い。
同僚は誰も来てくれないけどね。
ま、知らない人が多いほど嬉しい。
この会は、あっぱれ会を始めた時、門前塾が動き出した時に匹敵する一歩になるようにも思っている。
中身の問題じゃなく(と逃げ道を作っておくけれど)、昨日の発表会全体の低調さ加減を一つの基準点として、そこから浮かび上がる問題点を、現時点でどこまで克服できるのか。
すくなくとも、今のままじゃいかん、という地点にいて、動き始めたことを、まず評価したい。
だから、私は、テーマを決める時と、提出した時としか、論文のことで先生と直接お話をしたことがない(修士論文も同じだったなぁ)。
学部時代の指導教官だった長谷章久先生は、当時教養学部長だったので、学部長室に出かけていって、説明させていただいたのを憶えている。メインに扱う『井関隆子日記』は当時出版されたばかりで、先生もご存じなく「僕の文も買っといてくれよ」と言われ、私が生協に注文した。
長谷先生をはじめ、埼玉大学時代の日文の先生たちとの思いでも、語り出すと長くなるので、また別の機会にしよう。とにかく、私のいまは、あのとき、そこにいたこと抜きに語れない。
さて、いま、人文学部では、「課題研究」という、卒業研究指導の時間が時間割として組まれていて、卒業論文とは別に単位にもなる。
それぞれシラバスも公開しているので、比較してみるとかなり面白い。
私の「課題研究」シラバスの特徴は、最終報告会までを射程に組み込んでいることで、他のシラバスでは、明記してる例は案外少ない。
一部抄出。こんな感じ。
[キーワード] 卒業研究 論文 発表
[授業の目標] 悔いのない卒業論文を書き、恥ずかしくない口頭発表をするためにできるだけのことをしよう。
[授業計画]
……
<卒論提出>
14 梗概の作成・口頭発表資料の作成(講義・宿題)
15 口頭発表の技術(講義)
16 口頭発表の技術(演習)
昨日(13日)、日本言語文化専攻の卒業論文発表会を聴きながら、この人達は、何のために、誰に向かって発表してるんだろう、と言う疑問が消えなかった。
手前味噌だが、ウチの二人はそういう意味で抜きん出ていたと思う(中身はともかく)。
論文の中身、その扱っている対象についての知識は必ずしもみんなが共有しているわけではない。
しかし、それでも、卒業研究として、何と、どのように向き合ってきたのか、と言うことは、伝わる。
それにしても、配付資料は論文からの引用で、それをほぼ読むだけの発表を、誰が聴く気になるだろうか?
社会に出て、どんな職業に就くことになっても、人前で話すことはほぼ不可欠だ。
長い論理的な文章を書く方がよほど希だろう。
だから、卒業研究は、口頭発表を含むプログラムでなければならない。
論文作法の本紹介した時に取り上げなかった二つの本もまた、私がゼミや概論で必ず取り上げるある種の必携本である。
一つは、東大教養学部の『知の技法』。
今手元にないのでうろ覚えだが、最終章が、論文と口頭発表の作法だったと思う。
この章の冒頭に書かれている“議論”に関する短い文章は、やはり、肝に銘じておくべきだろう(後で引用します)。
もう一つは、学習院の言語技術の会が出した『実践 言語技術入門』。
学習院高等科で非常勤をしていた時、たまたま専任の先生の机の上にあった内部資料をみつけてねだった本が、単行本になって出回っている。木下是雄門下の伝統のもとに、汎用性の高い優れた教科書ができた。
そして、この本も、口頭発表にページを割いている。
論文をまず、オープンにすること。
他者に向かって書く。
そしてそれを、口頭で発表する。
そのとき、配付資料にはどんな情報が必要で、板書やプロジェクターを使うならどうするか、何分かかるのか。
そういう諸々の体験を、他者に向かってしておくことまでを、大学生のウチにやっておかないと。
ほんと、やばいとおもうよ。
さてさて、日付かわりまして、2/15になりました。
“卒論ミュージアム☆”いよいよ本日です。
マスコミの食いつきも良く、今のままで行ってくれれば、立ち見が出そうな勢い。
同僚は誰も来てくれないけどね。
ま、知らない人が多いほど嬉しい。
この会は、あっぱれ会を始めた時、門前塾が動き出した時に匹敵する一歩になるようにも思っている。
中身の問題じゃなく(と逃げ道を作っておくけれど)、昨日の発表会全体の低調さ加減を一つの基準点として、そこから浮かび上がる問題点を、現時点でどこまで克服できるのか。
すくなくとも、今のままじゃいかん、という地点にいて、動き始めたことを、まず評価したい。
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