年度末である。
恒例になっているのだけれど、この時期になると卒業祝賀会問題でひとこと言いたくなる。
来年だか再来年だか、今使っているセンチュリーホテルが使えないんだそうで、それなら本当に見直しをするチャンスなのだけれど、どうも反応が鈍い。
この話は、前にも書いている。
前の記事を見ていただくのも申し訳ないので、もう一回書く。
卒業式の日に、ホテルなどで宴会をする「謝恩会」というのは、私学では随分前からあった。私の頃は、我が埼玉大学では無かったと思う(だから、毎年、卒業式後は先生のご自宅に集合して、朝まで御馳走になるのが慣例だった)のだけれど、今はどうなんだろう。
静岡大学人文学部の場合、「祝賀会」という名前なのにはそれなりの理由がある。
主催者が、学生ではないのだから、「謝恩」はおかしい、とか。
さて、しかし、経費は学生が入学時に支払った「学生厚生会費」から出ている。
教員は、一銭も払っていない。
学生にとっても、楽をしてホテルで飲み食いできるのだから、ありがたい話、と言うことなのだけれど、どうもに不公平感が消えない。
就職などの事情でその日、出席できない人に返金されるわけではないし、入学時に何か理由があって厚生会費を払ってない人も、出席してしまっているケースがあるらしい。
一昨日の会議で、卒業生の出欠確認があったのだけれど、さて、人数を確定したら、それでホテルに払う料金が変わるんだろうか。
もしそうなら、ちゃんとチケットを作って、正確に入場者をチェックするべきではないのか。
実際には、留年する学生や、見送りに来た下級生が入り込んでも、全く注意されない。
他学科の学生が移動するので見分けがつかない、と言うこともあるし。
そのくせ(これも随分前に問題にしたことだけれど)、非常勤講師の出席は学科会で拒否される。
学生たちが、本当に自分たちの卒業を祝って欲しい人がいるのに、呼べない。
一昨年だったか、去年だったか、ホテルにお召し替え用の部屋まで取ったという。
これも不公平じゃないのか。
そんなことに使うお金があるなら、非常勤を招待すればいい。
こういう細かい情報は、学生たちに知らされていない。
何が問題なのか判らないまま、有り難がって盛り上がって、帰る。
もうこんな茶番はやめにしましょうよ、と、10年以上言い続けてきたけれど、賛同者は一向に増えない。
だから、私はもう行きたくないのだけれど、それなりに祝いたい人もいるしね。
こんなんでいいのかな。
09年度から静岡大学は、半期の授業を「15週+試験」、完全実施するのだそうだ。
それで授業の質、教育効果は上がるんだろうか。
入試科目の統一、わかりやすさの追求による受験生確保、と言う方向も、抵抗しようのない形で進行中。
それで、一緒に学びたい学生を招き入れることができるんだろうか。
教員の業績評価を数値化する作業が本格的に始まった。
私も結局提出したけれど、これで良かったとは思っていない。
理念よりも数字あわせ。
どんな教育をしていくのか、と言う議論を全く置き去りにして、当座の数字を繕っても、必ず崩壊する。
長期的なビジョンを立てられない大学に未来はないぞ。
言語文化は、学部内、学内でも、少数派の、そういう見識を持った学科だと思っいるのだけれど、最終的には長い物に巻かれてしまう。
学生は、気づかないし、不満があっても愚痴を言う以上の行動には出ない。
これは、大学だけの問題ではなくて、今の政治状況と全く同じなのだよね。
決められていることを、適当にこなし、イヤなら少しだけ違反していればやり過ごせる。見つかったら謝ればいい。
ルールを変える運動なんて、面倒だ。
それが、とんでもない未来を作り出す事になると、どうして想像できないのだろう。
うごけうごけ。
今年は、ちゃんと戦おう。
恒例になっているのだけれど、この時期になると卒業祝賀会問題でひとこと言いたくなる。
来年だか再来年だか、今使っているセンチュリーホテルが使えないんだそうで、それなら本当に見直しをするチャンスなのだけれど、どうも反応が鈍い。
この話は、前にも書いている。
前の記事を見ていただくのも申し訳ないので、もう一回書く。
卒業式の日に、ホテルなどで宴会をする「謝恩会」というのは、私学では随分前からあった。私の頃は、我が埼玉大学では無かったと思う(だから、毎年、卒業式後は先生のご自宅に集合して、朝まで御馳走になるのが慣例だった)のだけれど、今はどうなんだろう。
静岡大学人文学部の場合、「祝賀会」という名前なのにはそれなりの理由がある。
主催者が、学生ではないのだから、「謝恩」はおかしい、とか。
さて、しかし、経費は学生が入学時に支払った「学生厚生会費」から出ている。
教員は、一銭も払っていない。
学生にとっても、楽をしてホテルで飲み食いできるのだから、ありがたい話、と言うことなのだけれど、どうもに不公平感が消えない。
就職などの事情でその日、出席できない人に返金されるわけではないし、入学時に何か理由があって厚生会費を払ってない人も、出席してしまっているケースがあるらしい。
一昨日の会議で、卒業生の出欠確認があったのだけれど、さて、人数を確定したら、それでホテルに払う料金が変わるんだろうか。
もしそうなら、ちゃんとチケットを作って、正確に入場者をチェックするべきではないのか。
実際には、留年する学生や、見送りに来た下級生が入り込んでも、全く注意されない。
他学科の学生が移動するので見分けがつかない、と言うこともあるし。
そのくせ(これも随分前に問題にしたことだけれど)、非常勤講師の出席は学科会で拒否される。
学生たちが、本当に自分たちの卒業を祝って欲しい人がいるのに、呼べない。
一昨年だったか、去年だったか、ホテルにお召し替え用の部屋まで取ったという。
これも不公平じゃないのか。
そんなことに使うお金があるなら、非常勤を招待すればいい。
こういう細かい情報は、学生たちに知らされていない。
何が問題なのか判らないまま、有り難がって盛り上がって、帰る。
もうこんな茶番はやめにしましょうよ、と、10年以上言い続けてきたけれど、賛同者は一向に増えない。
だから、私はもう行きたくないのだけれど、それなりに祝いたい人もいるしね。
こんなんでいいのかな。
09年度から静岡大学は、半期の授業を「15週+試験」、完全実施するのだそうだ。
それで授業の質、教育効果は上がるんだろうか。
入試科目の統一、わかりやすさの追求による受験生確保、と言う方向も、抵抗しようのない形で進行中。
それで、一緒に学びたい学生を招き入れることができるんだろうか。
教員の業績評価を数値化する作業が本格的に始まった。
私も結局提出したけれど、これで良かったとは思っていない。
理念よりも数字あわせ。
どんな教育をしていくのか、と言う議論を全く置き去りにして、当座の数字を繕っても、必ず崩壊する。
長期的なビジョンを立てられない大学に未来はないぞ。
言語文化は、学部内、学内でも、少数派の、そういう見識を持った学科だと思っいるのだけれど、最終的には長い物に巻かれてしまう。
学生は、気づかないし、不満があっても愚痴を言う以上の行動には出ない。
これは、大学だけの問題ではなくて、今の政治状況と全く同じなのだよね。
決められていることを、適当にこなし、イヤなら少しだけ違反していればやり過ごせる。見つかったら謝ればいい。
ルールを変える運動なんて、面倒だ。
それが、とんでもない未来を作り出す事になると、どうして想像できないのだろう。
うごけうごけ。
今年は、ちゃんと戦おう。
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