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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

農作業と水

2023年10月04日 05時29分43秒 | 耕作放棄地

農作業に水が必要不可欠なのはご存じかと思う。水田稲作や畑作の違いを問わない。従って、これが隣国のように砂漠化や干魃のような事象が続くと農業は困難となり、ひいては食糧自給が不可能とも為りかねない。隣国は「食料自給大国」のように見えるかも知れないが、実は「食料輸入大国」、この点は記憶に留めておいた方がよろしいかと。さて肝心の水だが、多くは「天水」頼りだ。雨乞いの儀式など、伝統文化が存在するのはその最たる証拠でもあるだろう。降りすぎても災害の可能性に結びつくが、降らないと栽培物が枯れ果てる恐れが生じてくる。

天候をうまくコントロール出来れば良いのだが、そうそう都合良くはいかない。天のご機嫌次第なのだ。従って、「貯水」との概念が生まれてくる。歴史を鑑みると、弘法大師ゆかりの満濃池を始めとする溜め池群や貯水ダム或いは水路の開削など工夫をこらしてきた。発想は今も続き、貯水や水路による導水で天水を補っている。我々の農園も同様だ。近くまでは用水路の設備があって、流量は十分とは言い難いが一定の水量は流れている。分岐点を操作して程よく流し、畑の片隅に設けた小さな溜め池へと水を導入している。

無論、畑の片隅だから畑全体の散布には満足できない配置だ。そこで彼方此方に貯水タンクを設け、ポンプとホースで繋いでいく作戦、手間暇は掛かるが何とか対応している。これが用水路が遠いと、かような手法も取れず、バケツリレーともなりかねない。水田稲作など不可能であろう。

子狸の現状を画像でご紹介しようかと思う。小さな溜め池までは、用水路から埋設した送水管に頼っている。貯まった水をポンプで搬送するのは上述の如し。風呂桶を再利用した貯水タンクに溜め込み、折々に使用している。仲間達も利用するので数日で空っ穴、何度もの搬送が必要となってくる。バケツリレーでは無いので早々手間は取られないのだが、多少の時間配分は必要だ。

我々の農園はまだしも用水路に近いので、多少の工夫で水の利用が可能だ。これが五木の子守歌では無いが、文字通りの「天からもらい水」であれば、農作業は困難で栽培品目も限定されてくるでしょう、水の存在が何と有り難いこと、水源地帯の外国人への売却など売国行為でもありますよ。法で規制する必要性ありでしょうね。

 

 

 

 

 

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