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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

遅咲きのスイセン

2025年03月01日 05時28分07秒 | 余話

冷え込みが続いていたが、連休明けから気温も上昇を始め、ここ数日は最高気温が10度を越えるようになった。ようやく春らしくなった模様だ。こうなってくると気がかりとなるのがスイセン、何せ村を代表するような花であり、観光資源としてのスイセン畑も存在する。気がかりなので少し覗いてみた。例年だと1月が満開期、しかしながら今冬はイレギュラーで、以前にもレポートしたかと思うが、チラホラ咲きだったのだ。

スイセンは冬場の花、基本的に耐寒性は高いかと思う。冷え込みの今冬とあっても、左程の開化のズレは無いだろうと楽観していた。年にもよるが、早ければ年末で満開、遅くとも1月には全般の開化となるのが通例だ。今冬のように3月を迎える頃に満開となるのは異変に近い。

例年に無い積雪量やスイセンの遅咲きなど、どうも某かの異常事態のようで気がかりだ。天変地異の前触れで無ければよろしいのだが。多少の不安を抱えていると、まるで心中を見透かしたかのように火災保険の期間満了の警告が来た。子狸が加入してるのは火災のみ、地震の特約は無い。東南海地震の発生はほぼ間違いなく近年中だとか聞くのに。

さて季節は本日より弥生3月、村のスイセンも遅まきながらの満開のようです。現場は奉建塔の手前、耕作放棄地を活用してのスイセンの植え込みです。越前海岸のように大量ではありませんが、それなりに開化しています。時間が許せば是非にお訪ねを。車の駐車は、「道の駅ちはやあかさか」に。現場までは徒歩で10分弱程度の距離でしょうか。

 

 

 


巣立ちの跡

2025年02月20日 05時22分08秒 | 余話

農園の周囲には小さな森が広がっている。たいした面積でも無いのだが、それなりの小動物や野鳥などが生息しているようだ。気を付けていると某かの痕跡が有り、彼らの生活を覗き見することが出来る。今回はとある野鳥のお住まい探索を。種別は不明だが、恐らくはガラ類かと思われる巣跡が残っていた。昨春、子育てを行ったマイホームの跡かと思われる。注意深くチェックすると、産着に相当するのか柔らかい資材を多く集めているようだ。野鳥なりに経験的に良好な環境作りに励んだのであろう。それにしても現場は子狸の野小屋から数メートルの距離、危険だとは思わないのだろうか。

ご多分に漏れず樹種は常緑広葉樹のようだ。推測するに枝分かれも多く、隠れ用の葉も繁り、巣作りしやすい環境なんだろう。子狸の野小屋から近いとは言え、他の樹木に遮られて直接の目視は出来ない。ある意味、子狸の存在を番犬代わりに利用してるのかも・・・・・・そんな想像すらしてしまいますね。

当地にも野鳥の来訪は日々ありますが、種別は限定的なようです。主に見られる野鳥は、モズ、ヒヨドリ、イソヒヨドリ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、シジュウガラ、ヤマガラ、ムクドリ、メジロ、ハシブトカラス、サギ、等々でしょうか。何処でもお馴染みのスズメやツバメはほぼ見当たりません。この時期シベリアから飛来して飛び回っていたジョウビダキも姿を見なくなりました。

落葉広葉樹が多い、いわゆる里山林であればもう少し多様な存在と遭遇出来るのでしょうが残念です。常緑針葉樹を主体とする森では彼らも住みにくいのでしょう。里山の復活が望まれますね。

 

 

 


地元の名峰

2025年02月17日 05時20分35秒 | 余話

地元には名峰金剛山が存在する。標高は1215メートル、無論、大阪府下で最高峰だ。但し残念な事に山頂は御所市の所属のようで、府下最高地点は少し手前の村内領域の模様だ。多くの登山者を誇り、毎日日参する猛者達も少なく無い。実は仲間の一人も取り憑かれたようで、駐車場まで契約して日々直行している。つまり登山の合間の農作業なんだ。村の中心部は役場付近だが、役場周辺からは山頂は望みがたい。少し場所替えが必要で、何処をポイントとするかによって風景が異なってくる。画像は子狸の通勤路からのワンショット。撮影位置はご想像にお任せしましょう。

農園からも望めたら有り難いのだが、見えるのは葛城山だ。こちらも名峰と言えるが、金剛山に比べると少し女性的かな。稜線の描き出すラインが優美で穏やかな曲線なのだ。山頂も平原状でツツジの名所でもある。金剛山と異なり山頂の宿舎も営業中で泊まり込みの山行きも可能だ.それとロープウエイも稼働中なので、足下が困難な方も登頂可能かと。

実は子狸も足繁く金剛山に通っていた。冒頭の仲間である「千早の忍者」氏とも山道で良く出会ったものだ。彼は現在も継続中だが子狸は途中でポシャってしまった軟弱児である。まあそれはともかく、金剛山や葛城山のおかげで良質の水資源に恵まれている。山の清水を母体として美味しい米が取れるのだ。米は水が命、新潟の魚沼産コシヒカリが高い評価なのも水のおかげであろう。ちなみに当地の産米はヒノヒカリと言うブランド、お試しあれ。

以前は金剛バスを利用して、近鉄富田林駅から役場前を経由して登山口へと言うのがメジャーなルートだった。金剛バスの営業中止で、南海河内長野駅から登山口へとメインルートが変わった模様だ。金剛バスに頼り切っていた者としては寂しい限りである。限界集落とまでは言わないが、村内も高齢者中心の構成だろう。人口も減少気味なようだ。未だ自治体消滅の議論にまでは至って無いので、多少はマシなのかも。名峰金剛山も地元民の存在あってこその名峰だろう。害獣中心の社会では名峰も廃れてしまうかも。

 

 


生まれ在所は

2025年01月16日 05時07分58秒 | 余話

村を代表するような人物と言えば、何と言っても楠公さんであろう。14世紀中頃に活躍した人物で、後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に活躍した武将でもある。出自については諸説あるようだが、当地では村の生まれと広く信じられている。生まれ在所が現在の「道の駅ちはやあかさか」付近と伝承されており、発掘作業の結果、掘を巡らした武家屋敷跡が出現したとか何とか。現地には楠木正成公生誕地と記した記念碑も存在する。村にとっては唯一といっても良い偉人なのであろう。

誕生地と伝承される現場を訪ねてみた。屋敷跡とも目される現場は神社風の構成となっており、石造の立派な記念碑が建立されている。周囲には道の駅の建物や構築物それに村の資料館やホールなどが存在する。特筆すべきは村立の資料館であろう。楠公さんにまつわる各種の資料が収集・展示されている。入館料は確か200円だったかと思うが、来訪者も少ないのでジックリと見学可能だ。但し写真撮影は禁止なので必要とあらばメモの実施を。無論、各種のパンフレット類は揃えてはあるのだが。

楠公さんの夫人は久子女史といって、近傍の甘南備村生まれの方だそうな。車で10分~15分程度、楠公さんの通学先でもあった観心寺への道中にある。何度か訪ねたが、サクラの綺麗な丘の上に屋敷跡が残っていた。通学の途中で夫人を見初めたのかどうかは存じないが、そんな推測も生まれるような景観でもあった。夫人との間には3人の息子が生まれたようだが、長男の正行は四條畷の合戦で討ち死にしたのはご存じかと。

湊川の合戦で楠公さんが討ち死にし、その後長男も討ち死にし、悲嘆に暮れた久子女史は近くの楠妣庵観音寺に隠棲し祈りの日々を過ごされたとか。最も異説もあって飛騨国まで落ち延びられたとかの見解もあるそうな。

 

 

 


水仙畑は咲き始め

2025年01月13日 05時27分39秒 | 余話

観光立村は村の寄って立つ柱の一つでもあるのだが、確たる目玉が存在する訳でも無い。希少な存在がいわゆる楠公さん関連であろう。楠木正成公を基点に関連分野を紐付けていく・・・・・・・といった手法が施策となるだろうか。今回はその一つであるスイセン畑のご紹介を。楠公さんを顕彰する施設に「奉建塔」なるものが設置されているが、その周囲にあるのがスイセン畑である。休耕地を活用したようだが、相当数のスイセンが植え込まれている。村の貴重な観光資源の一つでもあるだろう。

スイセンの開花期は冬場、つまり今時分だ。植え込まれているのはニホンスイセン、白と黄色のツートンカラーの見慣れた花でもある。満開の時期だろうと推察し、寒いなか訪ねてみた。車でだと「道の駅ちはやあかさか」が駐車に便利だろう。現場は道の駅から徒歩で5~10分程度、駅前の緩やかな車道を上れば良い。

訪れて見てビックリ、花々が満開かと予想していたのに皆目見当たらない。微かにあちらにポツリ、こちらにポツリ、といった程度だ。毎年のように訪ねているがこんな現象は初めてだ。年により開花期は多少変動するが、1月頃の開花が多いようだ。年によっては年末に満開となる場合も存在する。

昨年は夏場が異常に暑かった.熱中症の可能性を危惧しつつ農作業に勤しんだものだ。異常気象の一端かと思えたが、その影響を今も引きずっているのだろうか。少ないながら開花してるのも存在するので、本番はこれからだと期待したいのだが。開花期は大まかに把握して1月~3月の三ヶ月程度であろう。残るは二ヶ月半余り、上述のように今後の開花に期待を寄せたいと思う。梅花や桃花の方が先んずる事は無いかと思いたいが、どうだろか。

スイセンが咲き出すと次はロウバイの季節だ。白いスイセンから黄色のロウバイへと主役の交代とも成るが、色彩も次第に華やかになってくる。その次はピンクの桃花であろうか。