京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(231):瀬田の建部大社(後編)





 前回の続きで、日本神話上名高い英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として祀った、瀬田の健部大社の記事です。

 今回は、境内の面白スポットのいくつかを、つらつらと紹介していきます。


 ちょうど、七五三の時期だったこともありまして、こういうものも飾ってありました。






 菊の花を観賞した後は、境内を散策。


 摂末社。全部で八つ、本殿を取り囲むようにして建ち、日本武尊の家族や家臣達を祀っているそうです。





 父である景行天皇とその皇后、日本武尊本人の妃や子供たちが祀られているそうです。
 しかし神話・伝説においては、日本武尊は父・景行天皇から恐れられ、疎まれていたはずですが。
 現在では、果たしてこの親子は和解しているのだろうか、と気になるところです……。



 重要文化財にも指定されている、県内最古の石灯籠。





 「文永七年庚午」と彫られており、西暦で言えば1270年です。
 当時は、日本を危機に陥れた元寇(1274年の「文永の役」)直前の時期でした。また1274年(文永9年)には、北条氏一門の内紛も起こっています。
 内憂外患で不安が広まった時代に、国家安泰を祈願して創られたものだったのかもしれません。



 これは……。すみません、何だったかど忘れしました(汗)。





 これもまた、何か面白い遺稿だったと思うのですが……すみません、忘れてしまいました。
 どなたか教えてくださるとありがたいです。



 これは、「お食い初め石」を納めている場所です。





 この社で分けられている「福石」を持ち帰り、「子供が一生食べ物に困らないように」「丈夫な歯が生えますように」との願いを込めて、生後100日後に「お食い初め石」として添えるというものです。
 こういう儀式が行われているのも珍しいですね。
 しかし、何故この健部大社で?



 宝物殿。





 わりと新しい建物です。
 狛犬・唐獅子ではなくて、新しいライオン像が守っているところも珍しい。









 境内の摂末社のひとつ「八柱神社」。





 この狛犬・唐獅子の顔がなんともかわいらしい(笑)。









 境内の摂末社「武富稲荷神社」。











 朱い鳥居のトンネルは、独特の雰囲気がありますね。
 ほとんどの神社の摂末社にも稲荷が祀られています。もちろんここでも。
 稲荷信仰の広がりには、いつもながら驚かされます。

 
 武富稲荷を守る狛犬と唐獅子。かなり古いもののようですが、現代の漫画にも出てきそうな、わりとデフォルメされた感じの作品です。








稲荷社の象徴ともいうべき、神の使いの狐。








 
 境内にある檜山神社遙拝所。





 やはり瀬田にある檜山神社をここから拝めるという場所なのですが、ここで私が注目したのは、その前に立つ小さな石燈籠です。

 



 この石燈籠はなんと「キリシタン燈籠」です。
 つまり、キリスト教が禁止されていた時代に創られた石燈籠です。
 案内板には、「大伴氏と関係の深いラテン語の三文字が刻まれた下に南蛮服をまとい靴をはいた西洋人の姿が見受けられる」とあります。
 この写真では「ラテン語の三文字」はわかりませんが、燈籠の下の部分を見ますと、確かに「南蛮服をまとい靴をはいた西洋人の姿」らしきものが刻まれています。

 これと同型のものが、北野天満宮の三光門脇にあるそうです。
 確か、シリーズ173回で、北野天満宮の三光門を訪れましたが、見落としてしまったようです……。

 健部大社の境内には、この他にもいろいろと面白いスポットがあります。
 もし訪れたら、探してみるといいでしょう。


 健部大社を後にして、今回はここまで……と、いきたいところですが、あと少しオマケの話でも。
 (※記事本文はここまで。あとは本当にオマケみたいな話ですので、無視してくださっても結構です)







*瀬田建部大社へのアクセス・周辺地図はこちら



*建部大社のホームページ
http://takebetaisha.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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 日本武尊もそうですが、神話に登場する英雄は、必ずしも善良で格好の良いことばかりとは限りません。
 むしろ、乱暴だったり、理不尽なこともしたり、まただらしない、格好の悪いところもあったりします。
 ここでちょっと世界各国の神話上の英雄たちと我らが日本武尊との、「ダメな行状」を見ていきましょう(笑)。



 

 なお、この画像は今月2日の記事にも使った、アニメ『Fate/Zero』に登場したギルガメッシュの画像です。

*古代メソポタミア神話のギルガメッシュ
 世界最古の叙事詩とも言われる『ギルガメッシュ叙事詩』の主人公である英雄王。王と女神との間に生まれ、あらゆることに優れた能力を発揮しましたが、それゆえに傲岸不遜な暴君と成り果ててしまいます。市民から妻や娘を奪って自分の欲望を満たし、さらに城壁の工事のために男たちに強制労働を強いたため、国民は塗炭の苦しみを味わうことになります。
 エンキドゥという親友を得て、フンババという怪物を退治する辺りから、英雄らしい活躍をするようになりますが。
 なお、有名なアニメ、アニメ『Fate/Zero』や、『Fate/stay night』などの『Fate』シリーズに敵役としてギルガメッシュは、まさに初期の傲岸不遜な暴君そのものというキャラで描かれています。

*インド神話のインドラ
 インドの神話では有名な英雄神で、日本仏教でも帝釈天の名で知られる仏尊でもあります。
 しかし神話上では、乱暴だったり、理不尽だったり、とんでもなく好色だったり、情けない姿を見せたり等、ダメダメな姿も見せています。
 あまりに乱暴で多くの人を殺したために恨みを買い、トラブルを招いてしまったり。
 英雄神として有名なわりには無様な敗北をしたり、また敵を倒すために汚い手を使ったりもしています。
 人妻など他人の女にも手を出すほど好色で、あまりに好色なために「身体に1000の女陰をつけられる」などという情けない罰を受けたこともあるそうです。


*日本神話のスサノオ
 日本人にはご存知の方も多いでしょう。まず最初に、神としての仕事をせずに「死んだ母に会いたい」などと泣いてばかりいて、父イザナミに愛想をつかされ、さらに姉アマテラスの優しさをいいことに高天ヶ原でも傍若無人に暴れ回って、ついに犠牲者まで出して、世界全体の危機まで招いてし、追放されてしまいます。
 八岐大蛇(やまたのおろち)退治から、ようやく英雄らしいことをしますが、古今東西の神話上の英雄の中でも、特にダメダメなうちの一人(苦笑)。


 で、日本武尊も。
 まず最初に、いきなり実の兄を惨殺して、父・景行天皇に恐れられ、疎まれる。
 熊襲タケルと出雲タケルをだまし討ちみたいな方法で倒す。
 生理中の女性(ミヤズヒメ)と無理矢理に性交する。
 最期の戦いでは、慢心から信じられないようなミスをしてあっけなくやられてしまう。
 等々。

 さすがにこうした話は、健部大社のホームページ「日本武尊物語」コーナーなどには、とても載せられないようですが(苦笑)。

 こうして見ていくと、神話上の英雄達って、必ずしも格好良いだけでない。
 また、必ずしも「正義の味方」というわけでもなく、汚いことや理不尽な行為もやらかしたりしています。
 しかもこの傾向は、一国・一民族だけでなく、古今東西の神話・伝説上の英雄に共通に見られるようです。
 これは何故なのか?
 よく言われるのが、「人間的な欠点も多くあるがゆえに英雄と彼らの物語はより人々の心をとらえているのだ」という説です。
 それは確かにその通りでしょうが、結果論でしょう。
 その理由のひとつに「その神話や伝説などが創られた古代と、後世と、現代とでは価値観や倫理観なども大きく違っているから」というのがあるからではないか、と思います。私が考えるに。
 
 例えば、熊襲タケルや出雲タケルを騙し討ちのような手口で倒した日本武尊のやり口ですが、現代とか鎌倉時代等なら「卑怯千万」などという批判も受けるかもしれませんが、古代社会ならば「戦いには計略や騙し討ちもあって当たり前」という価値観だったのかもしれません。
 それでやられた熊襲タケルも、その間際に日本武尊の勝利と実力を認めています。

 また、「他人の妻や恋人などを奪ったり、寝取ったりする英雄」の話にしても。
 古代社会では「富者や権力者などは複数の妻を持つ」とか、「他人の妻や恋人だろうが、権力者が女性を召し上げる」などというのも当たり前のように行われていた。
 そんな当時の現実も反映しているのではないか。
 もちろん、「(後世や現代の倫理観から見て)良いか悪いか」などという話は別として。


 もうひとつ。神話上の英雄たちが、しばしば理不尽だったり、だらしない行為に及んでしまう理由。
 それは、神話上の神々がしばしば残酷で理不尽な行為をするのと同じような理由。
 つまり、多神教の神々というのは、大自然を象徴・反映する存在であるから。
 大自然というのは、人間に恵みをもたらすだけでなく、多くの災厄をももたらす理不尽な存在でもありますから、その象徴である神々も同じように理不尽だったり残酷だったりする。
 ギリシャ神話などの神々を見ても、人間に対してかなり残酷なことをしています。
 スサノオやインドラなどの英雄神も、また日本武尊やギルガメッシュのような神の血をひく英雄たいもまた、人間に対して理不尽な行為に及ぶこともあるのか、などと考えてしまいます。
 いや、むしろ自然発生した原初の多神教の神様というのは、元々そんなものだったのかもしれません。
 むしろ、「神様=絶対正義・完全な善の体現者」みたいになったのは、ゾロアスター教やキリスト教などの一神教が生まれて以降ではないのか、と。
 我々現代人は、西欧的な一神教の価値観・善悪観に影響されすぎてしまって、本来自分たちの歴史文化の根底にあったはずの多神教的な価値観を理解できなくなってしまっているのかもしれない。
 最近では、そのように思い始めています。


 子供の頃、絵本や紙芝居などで知った神話を、原典あるいは原典に近い形で読んで、スサノオや日本武尊などの英雄が、英雄らしからぬ乱暴をしたり、えげつない行為をしたりするのを知って、ショックを受けたことがありました。
 当時の私にとって、英雄(=ヒーロー)といえば、ウルトラマンやスーパーマンのような「正義の味方」だったので。
 また、ほぼ同じ頃にギリシャ神話を読んで、神様たちが人間に対しておそろしく残酷な仕打ちをするのを知って、またショックを受けたこともありました。
 当時の私にとっては、神様・仏様といえば「信じて敬うもの」「人間を守ってくれるもの」というイメージでしたから。
 それ以来、「神様や英雄が、人間に対してしばしばえげつないことをするのは何故か?」などという疑問をずっと抱き続け、時折思い出しては考えてきました。
 それについて考えていると、「正義とは何か?」とか「善悪とは何か?」などという、あらゆることの根本的問題にも通じそうな、そんな気もしてきました。

 後に、左翼思想・運動にはまって、そのあげくに挫折して、自分の価値観を喪失しそうになってしまった時期が、私にはありました。
 また、学業、就職、恋愛などあらゆることに失敗・挫折し、自分の価値観どころかアイデンティティーも見失いそうな、そんな自己喪失の危機とも言うべき状況に陥ったこともありました。
 そんな私が立ち直れたのは何故か。
 神話や伝説上の英雄や神々、妖怪たちのことを通して「正義とは何か?」とか「善悪とは何か?」などという問題について考え続けてきたことが、その時に役立ったのではないか。
 今から思えば、そんな気もしてくるのです。

 つまり。
 極端にいえば。
 今の私があるのは、神話・伝説上の英雄や神々、そして妖怪たちのおかげでもあったわけですね(笑)。


 古代神話の英雄を祀った霊場を訪れ、英雄や神々、妖怪たちに思いを馳せながら、ついつい昔考えていたことを思い出してしまいました。

 
 さて、ここまで読んでくださった読者の方。
 専門の研究者でもない、ただ趣味道楽で「霊場魔所めぐり」「妖怪スポットめぐり」をやっているだけの者の戯れ言に、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。


 それでは、今度こそ今日の記事を終わります。
 また次回。




*瀬田建部大社へのアクセス・周辺地図はこちら



*建部大社のホームページ
http://takebetaisha.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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