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京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(226):神泉苑・その4





 京都市街地の中に古くから遺る、数々の歴史と伝説に彩られたパワースポット、神泉苑を紹介する第4回目です。
 今回も、この庭園の各所をめぐりながら、そうした伝説のいくつかを紹介していきたいと思います。

 今回は「本堂」と「鯉塚・亀塚」を、有名な京都・祇園祭の元になった「御霊会」の話と共に。



 まずはシリーズ前回の続きから。
 善女竜王から法成橋を渡っていきますと、すぐそこに本堂が見えてきます。






 ここが本堂です。





 御池通り側の入り口から入ってすぐ正面のところに善女竜王社があるので、善女竜王社の方が本堂みたいに見えそうですが、こちら方が本堂です。
 聖観世音菩薩がご本尊として祀られているそうですが、中はよく見えませんでした。
 礼儀として、礼拝していきます。


 ご本尊の脇にはたくさんのお地蔵さん、つまり地蔵菩薩像が集められた箇所が。





 よくあるのが、「明治の廃仏毀釈の難を逃れて移されてきた」というケースですが、ここのお地蔵さんたちもそのクチでしょうか。


 ここで思い出したのですが、有名な京都・祇園祭の元になったという「御霊会(ごりょうえ)」が、初めて公に行われたのが、ここ神泉苑だそうです。

 御霊会とは、(特に権力闘争や政治的謀略などで)非業の死を遂げて怨霊となった人々を祀り、慰め、鎮めるために始められたという宗教的儀式です。
 当時、「疫病や天災などの災厄は怨霊や疫神などの仕業である」と信じられていました。

 貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われたそうです。
 崇道天皇(早良親王)、井上内親王(いのえないしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)など、権力闘争によって非業の死を遂げて怨霊になったと考えられた6名の霊を祀るために、神泉苑で祭壇が設けられました。この時、庭園の門が開放され、読経をはじめ、雅楽や舞踊などの芸能も演じられ、盛大に行われたと伝えられています。
 なお、この時祀られた6名の霊は、現在でも「上御霊神社」(シリーズ第56回なども参照)などに祀られています。
 貞観11年(869年)には、神泉苑の南端(現在の八坂神社・三条御供社の位置)に、当時全国の国の数であった66本の鉾が立てられ、祇園社から神輿が出され、これが現在の祇園祭の元になったと言われています。



 本堂の向かい側に立つ、「鯉塚」と「亀塚」。






 それぞれ、鯉と亀が彫られています。
 ここ神泉苑の池にも、たくさんの鯉と亀が居ます。







 
 神仏習合によって神道にも取り入れられた仏教の「不殺生戒(生き物を殺していけないという戒律)」に由来した、「放生(ほうじょう)」「放生会」という宗教的儀式があります。
 捕獲した生き物(魚や鳥獣)を自然に放して、殺生を戒めるというものです。
 ここ神泉苑でも、放生会が行われていたのでしょう。



 本堂、鯉塚・亀塚前から「平安殿」という建物の横を通って、北門を目指します。






 さて、記事がそこそこの長さになりましたので、ここで一旦切ります。
 神泉苑の記事はあともう1回続きます。
 それでは、また。
 



*神泉苑へのアクセスはこちら



*神泉苑の公式HP
http://www.shinsenen.org/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

小路@管理人
http://moon.ap.teacup.com/komichi/
>わ~い、お茶さん

 いつもコメントありがとうございます。
 「怨霊会」などというものがあったとは。一度、見てみたいものです。
 西欧の一神教の悪魔や邪神(ゾロアスター教のアーリマンなど)と違って、日本の多神教の疫神や怨霊などは「100%の絶対悪」でもないし、また「最初から悪だった」わけでもなかったり、「元は普通の神や人間」だったりする場合もある。
 さらに、怨霊信仰で怨霊や疫神を神として祀り、共存をはかろうともしている。
 そこが西欧の一神教的な発想と違って面白いと思います。

 ところで、心霊写真についてですが。
 幸か不幸か、私の場合はこういうシリーズを続けているにも関わらず、明確な心霊写真とわかるものは撮影したことはありません。
 ただ、「変な光が映っている?」とか、「墓石のシミとかが、人の顔みたいに見える?」という程度の写真なら撮ったことが何度かありますが……。
わ~い、お茶
こんばんは、御霊会と言うと私はやはり平将門公を思い出します。一時は栄華を極めながら最後は源氏に討伐され同じく非業の死を遂げました。神道にはこういった非業の死を遂げ怨霊となった人を神として祀り、その霊の
怒りを静める「怨霊会」と言うものがあります。聖書のように最初から闇から生まれた霊であるサタンの様に最初から出自が「悪」だったわけではありません。かの有名な崇徳上皇も政変に敗れた挙句幽閉されて憤死した訳ですから・・・そういえば昔心霊写真がブームになった頃その手の本に昔の貴族や武士の霊が祭壇の供物にかぶりついたり赤い目の生首が飛んでいるイラストが書いてあって文章よりもそっちの方が怖かった記憶がありますが・・・
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