「コメント・TB欄を全面開放すべきか否か?」
先に、私の結論(私の意見及び、このブログの運営方針)を言おう。
「ブログのコメント・TB欄を開放するのも、しないのも選択肢のひとつである。その選択は、各ブログの管理人に委ねられる」
私は基本的にコメント・TB欄を開放しているが、「好ましからざる相手」「ブログ運営上支障が出るようなもの」「明らかに攻撃や嫌がらせとしか思えないもの」などは、独断で削除させてもらっている。あまりにも悪質でうざいと判断したコメントやTBを送ってくる人も、独断で排除させてもらっている。その中でも特に悪質とした人たちを、晒しや名指しで非難などという強硬策を使ってまで追い出したこともある。
前回のエントリーを読んで下さった人なら、おわかりいただけることなのであるが、改めてここで言うのには、以下3つの理由がある。
ひとつは、最近各地で荒らしや嫌がらせとしか思えないようなコメントやTBを送りつけて、自分たちの気に入らないサイトを「多数と匿名の暴力」で潰そうとする人たちが増えてきたためだ。
ブログの持つ双方向性を悪用しているとしか思えないようなこの種の人たちの中には、管理人が書き込み禁止IP措置をとり、名指しで出入り禁止を言い渡しても、ストーカー変質者の如く、IPを変えてまで現れ、言論活動を妨害する。このような人たちに対し、改めてこちらの考えを明らかにしておくためだ。
ふたつめは、『喜八ログ』さんに対するお詫びと訂正のためである。
前回エントリーにて私は、「コメント欄規制をせずに、コメント欄閉鎖というダメージを受けてしまった」という例として、『喜八ログ』さんをあげたのだが、その後にいただいた管理人・喜八さんのお便りを読んで、私は喜八さんのコメント閉鎖の意味について誤解をしていたことに気づかされたのだ。というより、喜八さんの意図を正しく理解できていなかったようなのだ。
またお便りとその後に書かれた『喜八ログ』のエントリーには、この問題を考える上で非常に参考になり、また大変わかりやすいので、それらを紹介するという意味でもこのエントリーをあげる。
3つ目は、悪質荒らしの集中攻撃に遭いながら、「コメント削除・拒否」という決断に踏み切れずに苦悩しておられるブロガー諸氏に対して、「コメント削除・拒否」という選択に正当性を与えるための一助になれば、と思ったことである。
前回エントリーで、「悪意ある攻撃コメント者を排除(削除、書き込み禁止など)しようとせず、それどころか真面目に対応しようとした結果、深刻なダメージを受けてしまったブログの例」として、『喜八ログ』さんをあげさせてもらったところ、その後に喜八さんからお便りをいただいた。その一部をここで引用させていただく。
(以下、引用。赤字部分は筆者による)
>これは違います。
「深刻なダメージ」など受けていません。
私がしたのは自らのブログのコメント受付を停止しただけです。
記事を削除したこともなければ、ブログを閉鎖したこともありません。
>コメント欄を閉鎖することは別にダメージでもなんでもなく平凡な選択のひとつでしかありません。
私が(http://kihachin.net/klog/archives/2006/08/comment_1.html)で主張したかったのはそこなのです。
>冷静に考えると、私がつぶれたか否かは問題ではありませんね(笑)。
大事なのは「コメント欄閉鎖は敗北ではない」ということです。
攻撃者たちの目的はおそらく「言論封殺」にあるのでしょう。
彼らは言論戦・情報戦における「右派民兵」の役割を果たしているのだと私は思っています。
コメント欄を閉鎖するのは彼ら「右派民兵」にとって「都合がいい」戦場をなくすということです。
戦いは自分にとって「都合がいい」場所で行なえばいいのです。
「敵」の都合に合わせる必要なんかありません(笑)。
(以上、引用終わり)
まずは、喜八さんの意図を読み違えたことをお詫びしなければならないだろう。
それと同時に、喜八さんのご意見は実に明快であり、「コメント・TB欄を開放するべきか否か?」という問題を考えるにあたってとても参考になると思う。
更に最近、『喜八ログ』でもこの問題に対するエントリーをあげられたので、参考までに以下に紹介しておく。
*コメント欄について
http://kihachin.net/klog/archives/2006/08/comment_1.html
*続・コメント欄について
http://kihachin.net/klog/archives/2006/09/comment2.html
要するに、「コメント受け入れも拒否も、どちらかが絶対正しいとかいうものではなく、どちらも選択肢のうちのひとつに過ぎない」ということだ。
その選択は各管理人に委ねられる。というかそのために、コメント・TB削除機能やブラックリスト機能(特定のIPやISPを持つ人を書き込み禁止にする機能)を、ISPから与えられているのだろうが!
それでも中には、「ブログというメディアの真価は双方向性にこそある。コメントを受けつけないようなブログはブログとは呼べない!」などと主張し、コメント・TB拒否を認めない人たちもいる。
喜八さんはこのような考えを「厳格主義」と呼んでおられるが、そのような主張をする人たちにはだいたい以下3つのタイプの人がいると思われる。
(1)いかなる嫌がらせコメント・TBをも受け付ける本当に寛容な人
(2)荒らし被害の実際の怖さや知らない、あるいは甘く見ている人
(3)実は自分自身が悪質荒らし行為を行っているという人
きちんとした調査をして統計データーをとったわけではないから、あまり断定すべきではないかもしれない。だが、私が見た限りでは「厳格主義」の主張をする人の多くは、(3)のタイプにように思えるのだが……。
要するに、「攻撃を受ける側に責任を転嫁して、自分の荒らし行為を正当化したいだけ」なのだ。そのような人たちの言うことに、何故従わなくてはならないのか?
「厳格主義」にはひとつ、大きな穴がある。それは「悪意ある者の攻撃を前提としていない」ことである。つまり「性善説」が前提としてあるわけだ。しかし残念ながら現実には、何事も……もちろんネットでの言論活動も「性善説」ばかりでは駄目な場合もあるのだ。それは前回エントリーでも言ったとおりである。
というわけで、今後とも私は、独断でコメント及びTBを規制させてもらう。大量かつ執拗な荒らしに悩むブログ管理人さんにも、このやり方を勧めたい。
それを「言論弾圧だ」という批判もあるだろうが、それに耳を貸すつもりは悪いけどない。このサイトだけで完全な民主主義を実現しろと言われてもそれは無理だ。
というか、そもそも民主主義というものには、権利と同時に相互の責任がなければならないのだろうが。「サイトを開いて主張する者には責任があるから、その批判も全て受け入れなければならない」というのなら、サイトにイチャモンをつけて、第3者にも不快感を与えるような者の責任は問われないのだろうか?
少なくとも、「コメントやTBを削除された経験が何回もある」とか、「複数のサイトで、書き込み禁止処分をくらっている人」などという人は、まずは「サイト管理人よりも自分に問題があるのではないか?」と考えた方がいいと思うのだが、如何だろうか?
※なお、ここに使用されているアニメGIFバーナーは、『雑談日記』のSOBAさんが作成されたものです。
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