京都の闇に魅せられて(新館)

大阪平野・大念佛寺「幽霊博物館」 @ 京都妖怪探訪(507)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 今回は特別編。
 先月(2017年8月)27日、京都府から少し離れ、大阪市平野区の古刹、大念佛寺を訪れました。
 この古刹では年一回、8月の第4日曜日、この寺に伝わる十二幅の幽霊画と、幽霊が遺したとされる片袖と香盒(こうごう) とが公開されるという「幽霊博物館」が開催されるのです。

 JR大和路線「平野」駅から。






 駅前の道をそのまま南へと歩き続けますと、大念佛寺が見えてきます。






 途中にある「馬場口地蔵」という小さな地蔵堂が。





 このお地蔵さんは古くから、大念佛寺への参詣口に立っていたそうです。


 山門から入ります。
 「幽霊博物館」の幟が立っています。









 まずは礼儀として、本堂を訪れご本尊に礼拝を。





 この寺は大治2年(1127年)、比叡山天台宗の僧・“聖応大師”良忍が、四天王寺に立ち寄った際、夢で聖徳太子のお告げを受け、鳥鮠綛トの発願により創建したのが始まりだと伝えられています。


 せっかくですので、境内を散策していきます。


 “聖応大師”の聖廟でしょうか。






 行基が創ったと伝えられる毘沙門天像が祀られている「毘沙門堂」。





 「地蔵堂」。
 
 




 “伝教大師”最澄の作と言われる聖観音像が祀られている「円通殿(観音堂)」。






 奥の方のには 八大龍王が祀られているお堂もあります。





 鳥鮠綛トを祀っている「霊明殿」。






 他にもいろいろあったのですが、きりがないのでこの辺にしておきます。



 「幽霊博物館」は、本堂横に立つ「瑞祥閣(ずいしょうかく)」で開催されていました。





 中は撮影禁止でしたので、その様子をここにお届けすることはできませんが。
 まず、幽霊が遺したとされる片袖と香盒(こうごう) と、それにまつわる話を描いた「片袖
」の絵巻物が展示されていました。
 元和3年(1617年)6月3日、箱根権現参拝していた巡礼者が、山中で幽霊に遭遇します。
 「私は摂津の国、住吉宮の神職をしている松太夫の妻です。ここで命を落とし、地獄に墜ちて苦しんでおりますので、摂津の国大念佛寺の道和上人に供養していただけるようにお願いします」
 その幽霊はそう言って、その証拠として巡礼者に自分の着物の片袖と香盒とを手渡します。それがこの片袖と香盒だという話です。
 巡礼者から伝言を受けた松太夫は、これこそ妻の形見に違いないと、大念佛寺の道和上人に供養を願います。供養は夜通し行われ、妻の幽霊は成仏して消えた、と伝えられています。
 その実物をここでお目にはかけられないので、大念佛寺HPこちらをご覧いただければ。
 その後は、寺に伝わる十二幅の幽霊画が。
 産婦の幽霊「姑獲鳥(うぶめ)」。
 『船弁慶』に登場する平知盛の亡霊。
 菅原道真の亡霊。
 『番町皿屋敷』のお菊さんに小幡小平次など。
 まさに「怨霊オールスターズ」。
いずれも観ているだけで気持ち悪いというか。不気味さとか、各人の怒りや無念さなどといった負の感情が伝わってくるようです。
 これらを観られただけでも、わざわざ大阪平野まで来て良かったです。


 今年も無事、「幽霊博物館」は終了したようです。
 また来年ですね。






 今回はここまで。
 また次回。




*大念佛寺へのアクセス・周辺地図はこちら




*大念佛寺のHP
http://www.dainenbutsuji.com/




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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