京都の闇に魅せられて(新館)

宝刀「鬼切」 @ 京都妖怪探訪(430)





 どうも、こんにちは。
 最近、日本刀がブームになっておりますが、皆さんは「鬼切」「鬼切丸」とか「髭切」とか呼ばれる、宝刀をご存じでしょうか。
 源氏の象徴とされ、源氏の英雄たちが鬼や妖怪を斬ったとも伝えられる、歴史・伝説上有名な宝刀でもあります。
 現在は、菅原道真の霊を祀る京都・北野天満宮が所蔵していますが、その刀がこの度開催の「宝刀展」で公開されました。
 それだけでも驚きですが、なんと……限定的にではありますが、撮影も許可されましたので、読者の皆様にもその姿をここでお届けすることができました。
 『京都妖怪探訪』シリーズとしては、このような貴重な機会を逃すわけにはいきません。
 是非ともこの喜びと興奮も、読者の皆様とも分かち合いたいと思います。


 今月(2016年2月)末頃の北野天満宮の参道。





 北野天満宮の記事は本シリーズで何度もとりあげましたので、今回はアクセスは省略します。
 アクセスについてはこちらを。


 そろそろ梅の季節。
 毎年恒例の『霊場魔所の梅花』シリーズの記事を書くため、梅園を観に来たのですが。





 同時に「宝刀展」も開催されていました。
 これを見逃すわけにはいかないと思いまして、950円を払って「梅園」「宝刀展」の共通券を買います。
 梅園など、北野天満宮の梅を観るのもいいですが、今回は「宝刀展」と「鬼切」の話にしぼっていきたいと思います。


 楼門を抜けて。






 赤目牛象の前を通り。






 そして「宝刀展」の会場・宝物殿の前に。
 ここでも梅が咲き誇っています。









 ところで宝物殿入り口にこういうものが。





 やはり最近の日本刀ブームには、あのゲームの影響があるようですね……。


 入り口付近にこんな看板が。





 何と!
 スマホ・携帯でのみという制限付きですが、撮影が許可されるというではありませんが。
 最初、「本当か?」と自分の目を疑ったのですが。
 秘蔵の宝刀が公開されるということだけで凄いことだと思うのですが。その撮影が、私のような一般人にも許可されるとは、驚きというか、信じられないというか……いや、まさしく夢のような話です。
 「この機会を逃してはいけない。これは、『京都妖怪探訪』シリーズで、宝刀の姿を伝えよという、天神様の思し召しに違いない!」などという実に厨二病的な、都合の良すぎる解釈をして、臨みます。



 この太刀は、現在でも使えそうな見事な刀身です。






 刀身だけでなく、鞘も見事なものも。













 こちらは薙刀のようです。






 こういう変わった刀身も。






 甲冑類も奉納されていたようです。






 そしてこれこそが宝刀「鬼切」だそうです。





 「鬼切」「鬼丸」「髭切」「友切」「獅子ノ子」などいくつもの2つ名を持ち。
 源氏の象徴として、いくつもの歴史や伝説などに彩られた宝刀。

 元々は、平安時代に源満仲(みなもとのみつなか)が、「膝丸」という刀と共に作らせた刀だったと伝えられています。
 作者については諸説あって、詳細は不明だそうです。

 渡辺綱など源氏の英雄が手にし、羅生門(もしくは一条戻り橋)の鬼の腕を斬ったというエピソードは有名です(このエピソードはシリーズ第147回でとりあげています)。
 また渡辺綱が斬った鬼の正体は、あの伝説上の大鬼・酒呑童子の腹心「茨木童子(いばらぎどうじ)」であるとも、「宇治の橋姫」であるとも言われています(橋姫については、シリーズ第183回第184回とりあげています)。

 これ以外にも、この宝刀には以下のような不思議なエピソードが残されています。

①罪人で試し切りをしたところ、髭まで切れたので「髭切」と名付けられた。

源為義(みなもとのためよし)の頃には、夜毎に獅子の鳴くような声で吠えたので「獅子の子」と名付けられた。

③「膝丸」の代刀として作られた刀「小鳥」を切ったことから「友切」とも名付けられた。

④源頼朝・義経兄弟の父である源義朝が、当時「友切」の名だったこの宝刀を持っていたにもかかわらず負け戦続きだったので、「この剣の力も失せたのか」と嘆いていた。が、「それは“友切”などという名が悪いからだ。剣の名を髭切に戻せばいい」と八幡大菩薩のお告げがあったので、名を「髭切」に戻した。その後、その子・源頼朝に引き継がれ、源氏に勝利をもたらした。


 伝説・伝承の上だけではなく、現実の歴史上でもこの刀は、実に波瀾万丈なエピソードに彩られています。
 鎌倉幕府成立後は、将軍家の宝刀として大事に社へ奉納されていましたが、幕府重鎮・安達 泰盛(あだちやすもり)の手に。その後、幕府執権・北条貞時の手に。
 鎌倉幕府が滅亡すると、幕府を倒した新田義貞の手に。次に、新田義貞を討った斯波高経(しばたかつね)の手に。室町幕府を開いた足利尊氏が引き渡しを要求しましたが、高経はこれを拒否。
 その後、斯波氏の子孫である出羽国の戦国大名・最上氏に継承されましたが、明治期質屋に流れる羽目に。それを滋賀県令(知事)を務めた籠手田安定(こてだやすさだ)という人が取り戻して最上氏へと返還しましたが、最上氏は二度と流出することの無い様、北野天満宮へ奉納し、現在に至ります。


 ところで。
 羅生門か一条戻り橋で空を飛んだ鬼に連れ去られそうになった渡辺綱が、鬼の腕を切り落として落ちたその場所が、ここ北野天満宮だったと伝えられています。
 そして助かった渡辺綱が、「助かったのは天神様のご加護があったから」だと謝意を込めて奉納した燈籠が、現在でもここの本殿前に残っています。
 それが、シリーズ第174回でも紹介したこの燈籠です。
 





 そして渡辺綱がこの燈籠を奉納したこの神社に後世、その時鬼の腕を斬ったという宝刀も奉納されました。
 何やら、不思議な因縁のようなものすら感じます。



 日本刀には、様々なエピソードを持つものがあって、面白い。
 日本の妖怪や怨霊、寺社などだけではなく、刀についてもっと勉強してみるのも面白いのではないか、と思い始めました。
 そういえば今回も、もっと事前に予習とかしていったら、もっといい記事が書けたかもしれないなあ、とも思えてきます。


 ただ、それでも。
 歴史・伝説上も名高い宝刀を目にし。
 さらにその撮影を許され、こうしてその姿を読者の皆様にもお届けできる。
 日本刀に関しては勉強不足でも、妖怪オタクでオカルトマニアの私からすれば、それはもう夢のような話です。
 アーサー王伝説の聖剣「エクスガリバー」や、キリスト教伝説の聖槍「ロンギヌス」などの伝説に名高い遺産をこの目で見ることができたような、私にとってはそんな感じです。
 誇張では無く本当に、この上なく喜ばしいことでした。
 もちろん道真公には、この貴重な機会を与えてくださったことを、心より感謝しましたよ。


 なお、この「宝刀展」は来月(2016年3月)末頃まで開催されているそうです。
 つまりそれまでは皆様にも、この宝刀をご自身の目で直接観る機会があるということです。








 それでは今回はここまで。
 また次回。





*北野天満宮へのアクセス・周辺地図はこちら




*北野天満宮のHP
http://www.kitanotenmangu.or.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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