
どうも、こんにちは。
17日の前祭・山鉾巡行、今年は仕事の都合で見に行けずに残念でしたが。
ただ前祭に巡行した山鉾のいくつかを巡りましたので、ここで紹介していきたいと思います。
今回は、そのうちのひとつ「占出山(うらでやま)」を紹介します。
シリーズ前回、「霰天神山(あられてんじんやま)」のある場所から、錦小路(にしきのこうじ)通りを東へ。
室町通りと交わる交差点を越えていくと、山が立っています。

この時、まだ御神体はまだ載っていませんでした。
山の立っているすぐ近く、通り沿いの一角に、御神体が祀られている場所が。
中に入って見ます。

中には山や御神体に飾るものが展示されています。



こうして見ると、豪華絢爛という感じが。
その中に、作り物の鮎が。

この鮎が、「占出山」では重要なアイテムのひとつです。
そもそも「占出山」とは何かと言いますと、神功皇后(第14代天皇・仲哀天皇の皇后)にまつわる伝説をテーマにした山です。
住吉大神の神託により、朝鮮半島の新羅・百済・高句麗の3国を攻めて朝貢を約束させたという「三韓征伐」の伝説。その際、備前国松浦川(びぜんのくにまつうらがわ)で鮎を釣って、先勝の兆しであるとした場面が、この山で表現されています。
ガラス窓の内側にも豪華な飾りが。

「歌仙」(※柿本人麻呂など有名な歌人)や、日本三景「宮島」「松島」「天橋立」を描いた飾りが、大事そうに展示されています。
その中に、御神体が腰に付けるらしい刀が。

なんと「国宝」です。
しかも、何と!
長刀鉾の長刀や、名刀「子狐丸」などを作った歴史上の名匠・三条小鍛治宗近の作品です!(※三条小鍛治宗近については、シリーズ第84回と第123回でも少し触れています)
御神体、神功皇后の人形が祀られている場所です。

神功皇后は妊娠中した状態で戦いに赴き、その後無事に出産した故事から、古くから安産の神としても信仰されています。
お腹に「月延石」や「鎮懐石」と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとも言われています。
そんなことして身体や胎児は大丈夫だったのか、という疑問もありますが。
ここでは、安産の腹帯や御守りも授与されています。
そして、御神体の神功皇后ですが……。

残念、顔等がよく見えません。
しかしこれも仕方がないかな、とも思います。
本来、神道などでは神様・仏様の姿を直接見るのは不敬とされているそうですので。
山鉾巡行の時以外は、姿を晒すことはしないのでしょう。
以下の写真は昨年の記事からですが、山鉾巡行の時の姿です。


同じく祇園祭の山鉾のひとつ「鈴鹿山」(※シリーズ第121回参照)のように、女性武人の堂々たる風格を感じさせます。
ところでこういうこの種の神話や民族の英雄伝説についてですが。
史実との整合性という点で疑問に思わざるをえなくなる部分が時々あるのです。
例えば、有名なアーサー王伝説ですが、その中でアーサー王がルキウスというローマー皇帝を倒し、イタリアをも領土に加えるというエピソードがありますが。「ブリテンの王アーサーが、あのローマ帝国にも勝って全ヨーロッパの王になったというのは史実にあるのか?」という疑問が。
神功皇后の「三韓征伐」にしても。
神功皇后の時代、つまり古代の日本が朝鮮半島の3国や、新羅の背後にも控えていたであろう大国・唐にも打ち勝って、半島の3国に朝貢をさせたなどというのは、史実にあったのか、という疑問が。
むしろ史実で日本は、天智天皇2年(663年)の「白村江の戦い」で、唐・新羅の連合軍に大敗していたりして……。
つまり、「三韓征伐」でも「アーサー王伝説」でも、この種の英雄伝説は、今で言う民族主義やナショナリズムのような感情によって創られたか。あるいは脚色された部分があるような気もするのですが、いかがでしょうか。
もっとも、そういう部分も含めて神話や伝説に触れ、その背景についてあれこれ思いや想像を巡らすのも楽しく、興味深いものです。
それでは、今回はここまで。
次回も祇園祭の山鉾についてとりあげたいと思います。
また次回。
*祇園祭のHP
http://www.gionmatsuri.jp/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm



