ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ペテルブルク滞在100日目

2005-12-12 19:21:05 | Weblog
Патница 9 Декабря, 2005
Сегодня мой сотый день в Петербурге. Когда я ждал автобус на остановке у Невы, я видел много льда на реке. Я был удивлен, что они были красивые.
Потом я ходил на Московский вокзал обедать и смотреть поезда. Я проводил скорый поезд на Москву который отправился в 16:00. Много люзей было в поезде. В следующую патницу я тоже поеду вечерним поездом.

2005年12月09日
ロシア滞在100日目
【今日の写真:ネヴァ川に浮かぶ流氷。】

今日の主な動き
08:42 出かける
08:49 マヤコフスカヤ駅
09:01頃 バシレオストラフスカヤ駅
09:11 学校
12:39 文学部の建物
13:01 ネヴァ川沿いのバス停から7番のバスに乗車
13:08 カザン聖堂前で降りる
13:13頃 日本センター
14:56 ネフスキー通り駅
15:03 マヤコフスカヤ駅
15:12頃 モスクワ駅のレストラン
16:32 「シンドバッド」(国際学生証を発行する店)
17:26 帰宅

 朝、携帯電話の目覚ましを再三無視し続けた結果、マナーモードになっているためアラームが作動する度に振動で少しずつ動く携帯電話は、ついに机から落っこちた。今は朝出かけるときもまだ真っ暗。そのためか自然に起きる時刻がだいぶ遅くなってきている。
 今朝の朝食はコーンフレークみたいなものと、ハムチーズサンドのトースト。食べ終えてからぐずぐずしているうちに、またしても出かけるのが遅くなってしまった。

 10分ほど遅れて学校に着いたが、教室は開いておらず、クラスの人は誰も来ていなかった。こんなこともあろうと思って廊下の椅子で待っていると、韓国人のヘヨンに続いて先生がやって来た。先生によると、珍しくメトロがストップしたらしい。

 午後、国際学生証(ISIC)というものを作りに行く。私はどういう仕組みなのかさっぱり分からないが、世の中には国際学生証というものが存在するそうで、レストランや本など、いろいろな物が割引になるともっぱらの評判。ペテルブルクにいる分にはペテルブルク大学の学生証で十分だが、ヨーロッパ旅行の際、フランスやイタリアではロシア語が読めない人も中にはいるかもしれないと思い、念のため作っておくことにした。

 ネヴァ川沿いにある文学部の建物に、ISICを発行する店があると聞いていたが、そこに行って警備のおばちゃんに聞いてみると、既に移転していて、今はメトロのボスタニヤ広場近くのソヴィエト通りにあるとのこと。ソヴィエト通りならマヤコフスカヤ駅や家からも近く、帰りに寄れる。先に日本センターに行くことにして、ネヴァ川沿いのバス停へ向かう。
 今日初めて見つけたのだが、ネヴァ川には流氷が浮いていた(【今日の写真】参照)。川が完全に氷結するというのにはほど遠かったが、大小の白い氷の塊が大量に流れていた。幅の広いネヴァ川だが、流氷が流れていくのを見ていると、意外に流速が速いことが分かった。寒々とした光景だったが、冬らしくて素敵である。バスを待つ間、メモをとる手が冷たくて、だんだん指先の感覚がなくなってくる。147番のバスを待っていたが、私がバス停に来てから5分後くらいにやって来た7番のバスもネフスキー大通りに行くことが分かり、7番のバスに乗車した。

 昼食は後にして、先に日本センターでインターネット。その後モスクワ駅へ向かい、先日「ベントー トリ テリヤキ」を食べたのと同じレストランで今日は「トンカツ ベントー」を注文。230ルーブルと、いつもの昼食よりは高めだったが今日は滞在100日記念なのでそれもあり。
 駅という場所は、私にとってとても魅力的な空間。日本でもロシアでもそれは変わらない。レストランで昼食を終えた後、しばし案内放送を聞いたり、電光掲示板を見たりする。駅の放送を聞くと、「これから出かけるんだ!」という感じがする。ちょうど16時発のモスクワ行き159列車「オーロラ号」が出発する時間だったので、見送りに行こうとホームに出る。

 今日は英語の放送もあり、発車2分前の放送が英語でも流れた。ロシアに来て最初の頃は、英語の放送があるなんて親切だなと思っていたが、最近はあまり良い感じがしない。ロシア語の美しい響きにずかずかと割り込む英語の音声に、違和感さえ感じる。私にとって神社のような聖地、モスクワ駅に、「俺は世界の共通語だ。文句あるか!」と言わんばかりに英語が踏み込んでくるのはあまり歓迎できない。例えはおかしいかもしれないが、神社のど真ん中にキリスト教の十字架があるほど不自然である。神社には神社を象徴する各種オブジェクトがあるわけで、モスクワ駅におけるそれはやっぱりロシア語の放送だと思う。
159列車には今日もたくさんの人が乗車していた。ゆっくりとホームを去っていく列車の姿を見ながら、来週の金曜日には自分もここからモスクワへ向かうのだということを思い出した。
    
 ソヴィエト通りはモスクワ駅からも近い。文学部の建物にいたおばちゃんは、シンドバット(ISICを発行する店)の移転先の通りや建物の番号まで教えてくれたので、すぐに見つけることが出来た。
 シンドバットでは、学生証と写真を提出し、名前や大学、学部、住所などを用紙に記入するだけですぐにISICを発行してもらえた。きらきらしていてなかなか良いデザイン。表面の項目名は、なぜか英語、フランス語、ロシア語の3カ国語で書かれていた。英語があるのは仕方ないとして、なぜフランス語もあるのだろうか。もしかしてこれは全世界共通のフォーマットなのかな。だとすればその中にロシア語が入っているのは大変素晴らしいことだと思った。
 ところで、大学名の欄には、"SPb St.University"と書かれていた。SPbというのはサンクトペテルブルクの略だが、その次の"St"の意味が最初理解できなかった。サンクトペテルブルクは英語で"St.Petersburg"と表記する。ここで"St"とは「聖なる」という意味なので、てっきり「サンクトペテルブルクの聖なる大学」ということかと本気で考えてしまった。これはきっと間違いに違いない、訂正してもらわなければと焦ったが、よく考えれば"St"はStateの略。「聖なる大学」ではなくて「国立大学」なら話は分かる。よりによってSt.なんて略すものだから、ペテルブルクの名称と類似して紛らわしい。聞く前に自分で気づいて良かった。
 
 夜、今日の日記をロシア語で書いてナジェージュダに見てもらう。「モスクワ行きの列車を見送った」という意味で”Я проводил скорый поезд до Москвы…”と書いたところ、ナジェージュダや、その場にいた親戚にかなり大笑いされた。何でも、доという前置詞を使うと「モスクワまで走って列車を追いかけた」という意味になるそうである。「モスクワ行きの」と言いたいときには”на Москву”としなければならないそうで、危うくとんでもない日記になるところだった。

 日本の家族、先生、世界各地に散らばった大学の友人、ロシアのホストファミリーやここで出会った人々、多くの人に支えられて、私のロシア滞在もついに100日目を迎えた。 ロシア語以外にも日々学ぶことは多いし、歴史や法律などの本も読んでいるが、学校の授業でロシア語だけを学び、明けても暮れてもロシア語という1つのことだけに没頭するのは、小学校以来の私の学習歴の中で初めてのことである。来たときに比べればだいぶ進歩したとはいえ、まだまだロシア語マスターへの道は長い。1つの言語を習得するということは、大変な努力を要するということを痛感している。

 文学部や外国語学部などでロシア語を専攻する人達の学問を否定するつもりはないが、私にとってロシア語は、音声や言語学の領域まで踏み込んで専門的にやるものではない。しかし将来何を専門にするにせよ、外国語の1つや2つは教養として、使えるようにしておく必要があると思う。ペテルブルクで出会ったヨーロッパ出身の学生は母国語の他に2カ国語、3カ国語というのがごく普通。母国語と英語だけしか使えないという人に会ったことはいまだかつてない。そんな彼らを見て、私の考えは間違っていないということを確信している。

 この100日間、今まで知らなかったことを知り、考えもしなかったことを考えることができた。その一端は、これまでのブログでも紹介してきた。私を支えてくれる人達への感謝と、何事からも学ぶ謙虚な姿勢を常に持ち続けながら、一歩一歩、歩みを進めていきたい。 
   
   


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