ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

アフガン侵攻のつめあと

2005-12-12 19:18:11 | Weblog
Четверг 8 Декабря, 2005
Мы почти закончили учебник грамматики. Сегодня преподаватель сказал, что у нас будет контрольная работа на следующей неделе. 
Мне надо повторить грамматику, особенно глоголы и падежи. Это не так легко, но я люблю изучать русский язык. я хочу получить хорошую оценку.

2005年12月08日
ロシア滞在99日目
【今日の写真:クリスマスの(?)飾り付けを修理する人々。大学の通りにて。】

今日の主な動き
08:48 出かける
08:55頃 マヤコフスカヤ駅
09:06 バシレオストラフスカヤ駅
09:16 学校
12:27 バシレオストラフスカヤ駅前のマック
12:55 バシレオストラフスカヤ駅
13:04 ガスティニードヴォル駅
13:13 日本センター
14:41頃 映画館”Дом кино”「阿修羅のごとく」を鑑賞
17:16 帰宅
18:14頃 夕食
 
 毎日、昼食をどこで食べるかということは一個の問題である。授業終わりが近くなると、午後の予定やその時の気分に合わせて、いつ、どこで何を食べるか考える。
 今日はテレモークでブリーニーを食べようと思っていたが、授業後外に出るとあまりに寒かったので屋内で食べられるマックに行く。マックやテレモークは早く昼食を済ませたいときに最適。10分や20分程度で食べ終わる。時間があるときはレストランで1時間というのも良いが、今日は午後に日本映画祭最後の映画があるので少し急ぐ。

 最後の映画は「阿修羅のごとく」というタイトル。日本センターで偶然会った東洋大学のロシア人と、関西出身の日本人と一緒に映画館へ行った。音声は日本語、字幕はロシア語だったので、日本人にとっては分かりやすかった。
 映画の中に米沢牛が登場し、とてもびっくり。しかし残念なことに、登場人物の一人が米沢を「山梨」と間違えてもう一人に「山形」と訂正されるという面白くないネタに使われており、米沢出身者としては極めて遺憾だった。米沢は山形新幹線の全列車が停車する町なのに、それを山梨と間違えるネタにするとは、なんともいただけない。
 映画自体は大変面白かったが、あまりに複雑な、ドロドロとした人間模様が描かれており、最後の映画にしてはテーマが重かったように思う。

 今日は夕食後も映画を見ることになった。ホストファミリーのセルゲイが、DVDで「9 РОТА」(”рота”とは「中隊」という意味)を見ようと誘ってくれたので、一緒に鑑賞することに。
 セルゲイの説明によると、この映画は、1979年に始まるソ連のアフガニスタン侵攻末期の様子を描いた作品だという。もちろん容赦ないロシア語の嵐でほとんどまともに聞き取れなかったが、ロシア語の字幕もあり、時々セルゲイが説明を加えてくれたので映像と合わせて大要をつかむことはできた。
 映画はカザフスタンのフェルガナで志願兵らが訓練を受ける場面から始まった。セルゲイが軍に入隊したのも79年で、彼はカザフスタンではなくモスクワ近くで訓練を受けたそうだが、映画と同じようなかなり過酷な訓練だったそうである。が、「そのおかげで今の健康がある」とセルゲイは笑っていた。
 映画の場面が進むに連れて、悲惨なシーンが登場し始めた。血なまぐさい殺し合いが繰り広げられる戦場。子どもまでが銃を持ってソ連兵を射殺するシーンもあり、衝撃的だった。私が生まれたのは1984年だから、私が生まれた前後に、アフガニスタンではこんな戦闘が展開されていたというわけである。

 セルゲイがアフガニスタンへの派遣要員に志願したという話は以前も聞いたが、今日も彼は「私はアフガニスタンに行きたかったが、私の(所属していた)所からは誰もアフガンへ行けなかった。」と言っていた。しかし映画のような悲惨な戦場に、彼はなぜ好んで行きたかったのだろうか。そのことを映画が終わってから聞いてみると、「全部が映画のような(悲惨な)場面というわけではない。」とのこと。確かに映画には、一連の軍事行動の中でもかなり激しい戦闘シーンが描かれているのであろうと思った。さらに、セルゲイが軍にいたのはアフガン侵攻の比較的最初の段階。国の行く末を案ずる若者が、始まったばかりのアフガニスタンにおける戦いの、最前線で貢献したいという気持ちは容易に理解しうる。
 ただ、その結末たるやここに記すまでもなく、「多くの死傷者が出た。」とセルゲイは言った。命はとりとめたものの、足や腕を失って帰ってきた若者も少なくないという。そういえば、時々街の通りやメトロの車内で、片足がなかったり、腕がなかったりする人々を見かける。皆男性で、私ははじめ、第二次世界大戦で負傷した人かと思っていたが、中には比較的若い人達もいるから不思議だった。そのことをセルゲイに話すと、「アフガニスタン侵攻の際にそうなった人達かもしれない。」とのこと。

 アフガニスタン侵攻は今から20年も前の出来事。戦闘は終わり、ソ連は崩壊し、新世紀を迎えた。しかし負傷した人々の傷は一生癒えることはない。今日の映画やセルゲイとの話を通して、今まで私にとって単なる歴史の一項目でしかなかったアフガン侵攻が、ぐっと身近に感じられた。
 悲惨な戦闘は、今なお世界各地で起こっている。戦争自体は長く続かなくても、戦いの最前線で負傷した人の苦しみは何十年も続く。街で見かける、手足を失った人達の姿と重ね合わせてそのことを思うと、非常に悲しくなる。
  



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