ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ヴィバルグ ~大国の狭間で揺れた街へ~

2005-12-06 19:47:14 | Weblog

Суббота 3 Декабря, 2005
Сегодня я ездил в Выборг. Я был второй раз в Выборге. Но когда я ездил первый раз, был там только 30 мин. Поэтому сегодня я первый раз гулял по городу и ходил в Выборгский замок.
Выборгский замок был основан щведами, в ходе их третьего крестового похода в 1293г. Там есть высокая башня. Когда я поднялся на башню, я мог видеть весь город и финский залив. Вид был очень красивый. Потом я смотрел выставку в музее и узнал историю Выборга.
Мне очень понравился Выборг. Я хочу поехать туда ещё раз.

2005年12月03日
ロシア滞在94日目
【今日の写真:ヴィバルグ城】

今日の主な動き
06:50頃 起床
07:17 出かける
07:20 マヤコフスカヤ駅
07:29 レーニン広場駅
07:33頃 フィンランド駅
07:50 急行7017列車 バルチカ(「バルト海の意」)号でフィンランド駅発
09:27 ヴィバルグ着
09:45 駅前のカフェ
10:44頃 ヴィバルグ城 城内の棟や博物館を見て歩く
14:57頃 ヴィバルグ駅
15:58 急行7038列車でヴィバルグ駅発
17:39頃 フィンランド駅着
17:59 レーニン広場駅
18:04 マヤコフスカヤ駅
18:22 いつもの薬局
18:26 帰宅

 今日は先月5日にも出かけたフィンランドとの国境近くの街、ヴィバルグへ日帰り旅行をしてきた。

 前回は行きはバス、帰りは普通列車だったが、今日は1日4本往復しかない急行列車に乗ろうと思い、7時50分発に間に合うように家を出る。
 フィンランド駅構内には大きなクリスマスツリーが飾られていた。先日列車時刻がいまいち分からずさんざん苦労したおかげで、どの窓口で切符を買えば良いのかは分かっていた。128ルーブルで買った急行の切符は、普通列車のレシートのような切符とは比べものにならないほど立派。先日購入したモスクワ行きの列車の切符と同じデザインで、複写式。「ヴィバルグ行き」と言っただけなのに指定席だった。全車座席指定なのだろうか。
 列車のドアのところで切符を見せ、乗車。座席は通路をはさんで2列席と3列席で、私の席は3列席。私の指定席は3列席の一つで、既に窓側に男女2名がいたので、その隣、通路側の席に座る。車内はだいぶ空席があった。
 7時50分、列車はまだ真っ暗闇の中、フィンランド駅を発車した。急行列車はフィンランド駅を出ると、途中停車駅はウデーリナヤ、ゼレノゴルスクの2駅のみ。ウデーリナヤ発車後に検札があり、複写式になっていた2枚目の切符が回収された。1枚目のきらきらした模様が入っている方は手元に残ったので嬉しかった。車内で少々居眠りすることを試みるが、どこからかすきま風が入っているようで、足下が寒かった。

 所定より2分遅れて、1時間37分ほどでヴィバルグに到着。ようやく夜が明けてきたのだが、空は鉛色で相変わらず薄暗く、おまけに寒い。なんだか観光という気分ではなかった。が、来てしまったことには仕方ないので、ひとまず駅の構内へ。
 駅の壁にあったスチームヒーターで暖まろうと思ったが、ぬるくてあまり暖かくない。とりあえずその辺のカフェで朝食をと思い、外へ出る。駅を出て左には小店が集まっている建物があり、その一角にカフェらしきものがあったが、立食のようだったのでそこへは行かず。
 また駅前に戻り、今度は駅の右側の24時間営業のカフェへ。薄暗い天気のせいもあってか、そのカフェがあまりに陰気に見えたので、思わず入り口の前で立ち止まってしまった。一瞬躊躇した後ドアを開けると、中には女性の店員一人と、警備の人と思われる男性一人がいて、話をしていた。
 カウンターのプラスチックケースの中にあったパイについて私が質問すると、店員はフルーツのパイだと教えてくれた。が、どんなフルーツかは知らないという。不思議な店だなと思ったが、そのパイ2つと紅茶を注文。
 私が食べているうち、2人、3人と後から客が入ってきた。
 カフェの中には猫がいて、始めはここの飼い猫なのかと思っていた。ところが、しばらくして警備の人らしき男性、猫の首の皮を片手でむちゃっとつかみ、ドアを開けて外へ放り投げたではないか。猫は着地に失敗したようで、大怪我かと思ったが、そそくさと走り出した。こんな寒い所では、カフェに侵入したくなる猫の気持ちもよく分かる。

 朝食を終えたところで、目的地への行き方を探す。ホストファミリーやロシア人の友達からは、「きれいなお城がある」と聞いていたのだが、名前も場所も、駅から遠いのか近いかも全く分からない。先日来たときに買った地図を持ってきていたが、リュックから出して開くのは面倒だったので、マルシュルートカ乗り場へ行ってみる。「お城はこの番号に乗れ」みたいな掲示があればなあと思っていたのだが、その期待は見事に裏切られた。そこで、並んでいた客の一人、若い男性に「お城への行き方を知っているか?」と聞いてみる。すると連れの女性が指をさして、「あれがお城。歩いて5分だ。」と教えてくれた。女性が指を指した先には、確かにお城の頂上らしき物が見えた。

 意外にあっさり目的地を確定でき、しかも歩いて行けるということで気分は上向きになってきた。どんよりとした空に対しても、「こんな空がロシアにはぴったりだ。」と思うようになった。ヴィバルグ湾、ひいてはフィンランド湾につながる川沿いの歩道を歩いていく。積雪はあまりなかったが、歩道は凍結していてスリップしやすい危険な状態。何度もこけそうになりながら歩く。

 近づくに連れて、お城全体が形を現し始めた。絵本に出てくるようなハイカラなお城ではないが、石を積んだ城壁と高い塔が中世的な雰囲気を醸し出していた。駅から歩いて30分近くかかったから、あの女性の「歩いて5分」とは「5分で行けるほど近い」という例えだったのだろう。

 お城の入り口には「国立博物館 ヴィバルグ城」と書いてある石があった。城門をくぐって中へはいるが、不思議なことに人の気配がない。一体何事かと思っていたが、博物館の入り口のドアを見てその理由が分かった。博物館の開館時間は11時。私はちょっと早く着きすぎたようである。
 ドアを開けて中へ入ると、チケット窓口のおばちゃん、「まだ開いてないよ。」と私に声をかけてきた。私が「あと5分だね。」と確認すると、おばちゃん、「あと7分だ。」と言う。当時、私の時計で11時まではあと6分ほどあったから、私は約5分というつもりで言ったのだが、おばちゃんはわざわざそれを訂正して「あと7分」と言った。おもしろい人だなと思いながら、窓口の前で待つ。

 11時を1分ほどまわり、ちょうどおばちゃんが「あと7分」と言ったあたりの時刻にチケットを買う。チケットは学生料金で買えて、博物館が30ルーブル、塔に上るのが20ルーブル。窓口の隣の部屋に荷物を預け、先に塔へ行くことにする。
 ところが、塔の入り口が分からず、別の建物(博物館の別館?)に迷い込んでしまった。そこの女性にチケットを見せて質問するが、いまいちよく分からない。すると側にいた男性が、「英語が話せるか?」と聞いてきて、英語で説明してくれた。係の女性もわざわざ入り口まで案内してくれて、ようやく塔に上ることが出来た。

 私は今日一番乗りの客らしく、塔には誰もいなかった。らせん状の階段をひたすら上る。鉄製の階段はきしむ箇所があって、大丈夫なのかなとちょっと不安に思いながら先へ進む。 階段の終点まで行くと、外に出ることが出来るようになっていたので、おそるおそる外へ出てみる。なんと美しい光景。ヴィバルグの街並みや、ヴィバルグ湾が一望できた。周りに山はなく、天気が良ければどこまでも見えそうである。ヴィバルグ駅から続く線路の先、はるか彼方に見えるのはフィンランドであろうか。この風景は素晴らしかった。預けたリュックの中にカメラを入れてきたことを後悔したが、十分に風景を目に焼き付けるべく、塔の周りを2周してから階段を下りた。

 塔の後に訪れた博物館では、ヴィバルグの歴史を知ることが出来た。主要な説明は何と5カ国語書き。ロシア語と英語の他の3つは、おそらくフィンランド語、スウェーデン語、ドイツ語と思われた。
 それによると、ヴィバルグの歴史はおおよそ以下のようである。

 第三回十字軍の最中の1293年初夏、スウェーデンの東方進出の最前線として、この地に石の城が立てられ、"wiborg"と命名される。ヴィバルグの名前の由来は定かではないが、スウェーデン語、ドイツ語から翻訳すると、ヴィバルグとは、「聖なる要塞」という意味があるらしい。
 15世紀、ヴィバルグはフィンランド湾最奥の貿易の中心地として栄えた。この時期は、遠隔地交易が発達し、中・北欧でバルト海貿易が盛んになった時代であり、ヴィバルグもその貿易の一端を担っていたことになる。ハンザがノブゴロド(ハンザ同盟が外国においた4大商館の一つ)との直接貿易を禁じていた時代には、ハンザ同盟諸都市からの商人がよくヴィバルグを訪れた。
 1710年、北方戦争によってロシアの支配下となるが、1917年にフィンランド独立がソヴィエトに認められたことにより、ヴィバルグはフィンランドの都市になる。数年後にはフィンランド第2の都市になったが、この時でさえスウェーデンの文化は残り、公用語はスウェーデン語だった。
 第2時大戦後、ヴィバルグはソ連に占領され、ヴィバルグの人々は皆フィンランドへ引き揚げてしまった。そのためフィンランドでは、今日でもスウェーデン=ヴィバルグの伝統が多くの個人や組織の中に生き続けているそうである。
 スウェーデン人によって建設されたものの、その後ロシア→フィンランド→ソ連→ロシアというように、時代に翻弄されながら、帰属する国が変わってきたという歴史がヴィバルグにはある。

 スウェーデンの東進、それを阻止したいロシア、北ヨーロッパにも熾烈な争いがあったことを、ヴィバルグの歴史が物語っている。一方、フィンランド湾の要衝として、貿易による繁栄があったことは、中世のハンザ同盟を軸とする遠隔地交易の文脈に照らせばごく自然なことである。展示を見ながら、先ほど上った塔の上から眺めた港にたくさんの船が訪れ、商人達が活発に取引をする様子が、脳裏に浮かんできた。
 中世、近代のヨーロッパ史は西欧が中心になりがちで、私も中・北ヨーロッパにはあまりなじみがなかったが、北欧から歴史を概観する視点も非常に重要であることを痛感した。ヴィバルグは中世・近代における北ヨーロッパのプレゼンスを象徴する街であるといっても過言ではない。

 博物館を見た後、城内の小さなカフェで昼食を注文する。すると、後から入ってきた女3人組に声をかけられた。何事かと思って驚いたが、よく見るとなんとクラスの台湾人とその友達。こんな所で会うなんてすごい偶然である。休日に遠出、考えることは同じというわけか。
 テーブルは4人掛けでちょうど良かったので、一緒に食べる。彼女らはこれから博物館へ行くそうである。彼女らどうしは中国語で通じるが、私とはロシア語(一部分からない単語は英語)で話す。店員や他の客から見れば、外国人どうしが下手なロシア語で会話してるなんて、甚だ不思議な光景だったことであろう。

 帰る前に彼女らを博物館の入り口まで案内し、ついでに(どっちがついでだかは分からないが)もちろん記念写真を撮る。今日は一人だったので、お城をバックに写真でもと思い、準備がよいことに三脚を持ってきていた。そのことが幸いし、4人で記念撮影が出来た。

 帰り道、凍結した歩道を歩いていると、駅の近くでこけそうになった。私の前を歩いてきたおばちゃん、それを見て引き返し、氷がない車道の方へ行った。寒かったが、昼頃から日が射してきて、天気は少し良くなった。

 ところで、先ほどの台湾人らはヴィバルグへ来る際、列車の料金に学生割引があったと言っていた。そこで駅で切符を買う際に聞いてみると、学割があるとのこと。学生証を提示して切符を買うと、なんと半額の64ルーブル。日本円にして300円もかからずに、150kmくらいの距離を急行の指定席に乗れることになる。何と懐の深い国なのだろう。窓口のおばちゃん、私の学生証を見ながら、「あんたの名前はサトシというのか?日本人か?」と興味深そうにしていた。もちろん、外国人だからといって割引が取り消されたわけではない。
 もともとの鉄道料金があまりに安いので、学割なんて考えもしなかったが、半額になるなんてびっくり仰天。こうなれば休日毎に列車に乗りまくるしかない。

 15時57分ヴィバルグ発の急行で、ペテルブルクへの帰路につく。発車して間もなく、北の大地に夕闇が迫ってきた。
 今日はヴィバルグ城しか見なかったが、次に来たときは街の中を観察しよう。ロシア人の友達が、「ヴィバルグは、ロシアだけどヨーロッパみたいな街だ。」と言っていたことを思い出す。今日ヴィバルグの歴史を知り、その言葉の意味が理解できた。
 大国に運命を左右されながらも、確固たる存在感を歴史に刻んできた古都、ヴィバルグ。
その繁栄と衰退の一部始終を目撃してきたヴィバルグ城が、静かに街を見下ろしていた。 

 

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