ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

7 日本に近い街

2007-07-14 16:40:26 | Weblog

【写真:バス停で出会った大学生らと。 55262】
01.07.2007
 ジャスは数日間ウラジヴォストークに滞在した後、途中寄り道をせずにモスクワまで乗り通すという。日本から2泊3日の船旅をともにした友人をタクシーへ案内し、駅前で別れる。
 一人になった私はまず携帯電話のSIMカードを買おうと思い、電話の店を探す。電話の店は街中どこにでもあるが、1軒目は改装工事(?)中、2軒目は外国パスポートだとコピーをとる必要があるが、ここにはコピー機がないのでと断られ、3軒目は今担当の女性がいないからと断られ、4軒目でやっとSIMカードが手に入りそうな状況になった。が、ペテルブルクへの通話は安くても1分75ルーブルと言われ、SIMカードは断念。
 
 ところで、4軒目の電話家を出たところでバスを待っていた女性が、С днем города(街の日おめでとう)の小旗を持っていた。そこで私が「今日は街の誕生日か?」と聞くと「そうだ。」と言われた。偶然にも今日、7月1日はウラジヴォストーク147回目の誕生日だったのだ。
 その女性に、この旗はどこで手に入れたのか尋ねると、その辺でもらったらしく、私に旗をくれるというのでありがたく頂戴する。その女性は私に、「日本からか?」と聞いてきた。私が「そうだ。」と答えると、さらにどこの県から来たかと質問してきた。私が出身は山形だと言うと、彼女は聞いたことがあると言っていた。その後2,3言葉を交わして別れ際、その女性は日本語で「さよなら。」と言ったので「ありがとう。」と私が返すと、やはり日本語で「どういたしまして。」と答えてくれた。日本語を勉強していたのだろうか。その女性はバスに乗っていったのでそれ以上聞くことは出来なかった。

 その後駅の近くまで戻り、郵便局の中にあるインターネットカフェに入る。日本語が表示できるかどうかも怪しいので、日本語が入力できることなど期待していなかったが、なんと日本語入力が可能という。そのインターネットカフェでは、ロシア語、英語、日本語の他、韓国、中国語が使えるようだった。

 私が今夜乗る列車の出発時刻は現地時間の21時35分。インターネットを終えた時点で、まだ4時間近く時間があった。
 天気もよいので、街を散策。たくさんの船が港に停泊しており、さすが港町だけあるなと思ったが、つい最近まで外国人には立ち入りが許されない軍港の街だったという面影は、正直感じられなかった。街の誕生日のお祭りの雰囲気が、私がそれまで抱いていた閉ざされた軍港の街のイメージと正反対のものだったということも理由の一つかもしれない。港の周辺は傾斜もあって山も近いようだ。暇そうにしていた警官2人組に、どこか街全体が見渡せる場所がないかと聞くと、地名を教えてくれた。教えられた大きなバス停でバスを待つが、なかなか目当ての番号のバスが来ない。

 バス停をふらついていると、同年代らしい男に声をかけられた。「どこから来た?」「日本から。」最初は確かこんな会話だったと思う。私に声をかけてきた彼の名はジーマ、チェリャビェンスク出身の大学生で、他の学生仲間数名と一緒にいた。私たちはすぐに打ち解け、立ち話が始まった。
 ジーマは、ロシアはすごい国だろう、ロシア人(女性)は美しいだろうなどと誇らしげ。私はもちろん彼の言うことに反対ではなかったが、一緒にいた女子学生イーラは、「ロシアの女は不誠実неверныеだから、日本人の方がいいだろう?」と横槍を入れた。一緒にいた他の連中も、自分たちの飲んでいたビール『シベリアの王冠сибирская корона』を私に勧めながら、「日本のバイクはいくらするんだ?」「船の料金は?」など、興味深げに私にいろいろ質問してきた。私が日本語で彼らの名前をメモすると、皆次々に、日本語で自分の名前を書いてくれと言ってきた。私が彼らにあげた名刺にそれぞれの名前をカタカナで書いてやると、皆喜んでいた。
 彼らはとても友好的で、彼らとの話は大変面白かった。私は、街が見渡せる場所へ行くことを忘れて話をした。別れ際、彼らにそのことを話すと、「(街が見渡せる場所へは)乗換えが必要だし、今日は街が(お祭り騒ぎで)混んでいるし、あと2時間半後(の列車)には間に合わないといけないからやめといた方が良い」旨言われ、その場所へ行くことは諦めた。それよりも何よりも、同年代の彼らと知り合いになり、いろいろ楽しい話が出来たことが、ここでの一番の思い出だ。
 
学生らと別れた後、私も自分で『シベリアの王冠』を買い、再び散策。ウラジヴォストークでは、鉄道の駅と港が隣り合っている。近くの広場では、街の誕生日のためにステージが設けられ、実に賑やかだった。その広場には、どういうわけか日本の鯉のぼりも飾られていた。ステージで歌う人が、時折「ウラジヴォストーーーーク!!!」と絶叫するのが聞こえる。

 偶然声をかけた女性が少しでも日本語を知っていたり、インターネットで日本語が使えたりする。ウラジヴォストーク、日本海を隔てて対岸にあるロシアの街は、本当に日本に近い街なのだということを感じた。


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