ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ペテルブルク案内記13-3日目:ペトロパブロフスク大聖堂とイサク聖堂-

2006-07-13 20:01:07 | Weblog

【写真:アレクサンドル2世とその后の石棺。ペトロパブロフスク大聖堂にて。(29/06)】

 警察署で証明書を受け取り、遅めの昼食はモスクワ駅構内で。今回ロシア出入国はいずれもバスを利用するHは長距離列車を見る機会がないので、昼食後ホームに案内し、ロシアの鉄道の雰囲気を見てもらった。構内に掲げられている巨大な長距離列車運行図は西端がベルリンになっており、Hは気に入ってくれたようだった。

 モスクワ駅からメトロに入り、次の観光地ペトロパブロフスク大聖堂へ向かう。この聖堂は昨日散策したペトロパブロフスク要塞の中にあり、要塞内で最も重要な建築物とされる。聖堂の上の尖塔の高さは122.5mあるが、聖堂の広さはそれほど大きくなく、意外とこじんまりとした印象を受ける。内部は歴代皇帝の霊廟となっており、ピョートル1世からニコライ2世まで、モスクワのクレムリンに安置されているピョートル2世を除く18世紀以降の皇帝がここに眠っている。
石棺はほとんどが白い大理石製のもの(写真奥)だが、その中にあってひときわ際立つのがアレクサンドル2世とその后の石棺(写真手前の2つ)。これらは、農奴制廃止(農奴解放令を発令=1861年)に対する感謝としてウラルの工場労働者が作ったもので、ウラル産の碧玉と薔薇輝石で出来ている。
 その真贋が一時期論争になったが、1918年にエカテリンブルクで銃殺された最後の皇帝ニコライ2世とその家族の遺骨は、1998年にここに埋葬された。
 近代にあって歴史を動かし、あるいは歴史に翻弄されながら皇帝という宿命を生きぬいた役者達が一同に会する神聖な場所が、ペトロパブロフスク大聖堂である。

 今回の観光最後の見学地はイサク聖堂。キューポラ(天井の円い屋根)を持つ聖堂の中では世界で4番目に大きいこの聖堂は、19世紀の最傑作建築物の一つとされ、かつてロシア帝国第一の聖堂だった。
 建築や美術について私は詳しくないのだが、建物の内外にある彫刻、絵画などの豪華絢爛な装飾を見れば、この聖堂の偉大さを理解することは難しくない。
 ここにもとんでもなく高い外国人料金(聖堂内部の入場料と展望台の入場料計450ルーブル)が設定してあり、最も安いロシア学生料金(同75ルーブル)と比べて6倍もの差があるのがナンセンスだが、ここは聖堂内部、展望台ともに観光客は必ず訪れるべき場所であろう。
 ここの展望台からは、ペテルブルク市内を360度見渡すことが出来るのだが、残念ながら今日は私達が訪れた時間が遅かったため展望台に上ることは出来なかった。

  


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