goo blog サービス終了のお知らせ 

ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2019年6月2日 ソークラテースの思い出

2019-06-02 | 長い本を百分の一に圧縮

190602_ソークラテースの思い出


 クセノフォーン『ソークラテースの思い出』岩波書店 1953年


 クセノフォーンは、今から2400年ほど前のギリシア人だ。

 最近、この人の書いた『アナバシス』(小アジアで、1万人のギリシア人傭兵がペルシアから逃げる話)を読んだ。
 
 この人は、ソークラテースの友人で『ソークラテースの思い出』という本も残している。

 これを読んでみよう


・・・・

 p.21

 「ソクラテスは、国の認める神を信奉せず、かつ、別の神を導入した罪を犯した。また、青年を腐敗させている」という罪で死刑を宣告された。

 私(クセノフォーン)は、ソクラテスのことをよく知っている。

 私はソクラテスの友人で、彼とはよく話した仲だ。

 彼が、私に語ったことをここに記載し、ソクラテスは無実だということ証明したい。

・・・・

 p.34

 ソクラテスはこう言った。

 「もし牛飼いが、牛の数を減らせば、それは良くない牛飼いだ。

 もし、国の指導者が市民の数を減らし、質を低下させたら、それは指導者がよくないからだ」

 これを聞いた指導者はソクラテスを呼び出し、こう言った。

 「おまえは、若い者と話してはならない」

 ソクラテス「若いものとは、何歳までの人間か?」

 「30歳までのものをいう」

 「もし、買い物をするとき店員が30歳以下であったら、話してはいけないのか?」

 「ソクラテス、君は、分かり切っていることをたずねる癖がある。そんなことはかまわない」

 「では、若い者に道を尋ねられたら、返事をしてはいけないのかね」

 「そんなことはいい。しかし、だめなのは、牛飼いの話だ。牛飼いの話をしてはいけない」

 ということだったので、指導者が牛飼いの話に怒っているのが分かった。

 ・・・・

 p.47

 〔日本の戦国時代のように、古代ギリシアでは少年愛というものが普通に行われていた〕

 ソクラテスは、クリトーンの息子のクリトブーロスが、アルキビアデースの美しい息子に接吻したということを聞いて、クリトブーロスのいる前で、クセノフォーンにこうたずねた。

 「クセノフォーン、君はクリトブーロスが思慮深い人間と思っていたかね」

 「思っていました」

 「では、これからは、そう考えるのはやめたまえ。快楽に時間を費やし、有益なことに使うべき時間を失うということは、正気とは思えない」

 ・・・・

 p.161

 アテナイに、テオドテーという美しい女がいた。

 承知させることができれば誰とでもつきあう女だった。

 ソクラテスの弟子の一人が「言葉を絶した美人だ」というと、ソクラテスは「それでは実際に見学するしかない」といった。

 テオドテーは、絵描きのモデルになっていることろであった。

 ソクラテスは弟子たちに言った。

 「諸君、彼女が彼女の美しさを見せてくれたことに対し、我々が彼女に礼をいうべきであろうか? 
 それとも、見せることが、彼女の利益を増やすならば、彼女が我々に礼をいうべきであろうか?。彼女は、我々の称賛を獲得し、我々は煩悩の虜になり彼女の崇拝者となった」

 テオドテー「まあ、そうであれば、私のほうが、皆さんに見ていただいたお礼をしなくてはなりませんね」

 ソクラテス「テオドテー、お前は地所をもっているかね?」
 
 「もっていません」
 
 「それでは、家作(収入のあて)はあるのだろうね」
 
 「ありません」

 「それでは生活の資をどこから手にいれているのかね」

 「世間の方で私のお友達になって、よくしてくださろうという方があれば、それが私のくらしの道なのです」

 「それはすばらしい財産だ。
 ところで、おまえさんはお友達が蠅のように飛んでくるのをただ待っているだけなのかね。それとも、何か工夫をするのかね」

 「どうして、良い工夫が、見つけられますか?」

 「それは女郎蜘蛛なんかより、容易にできるよ」

 「それでは私に、何か罠(わな)をはるようにすすめるのですか」

 「そんな簡単な方法で獲物を捕らえられるとは考えてはいけない。

 兎狩りをるときでも犬が必要だ」

 「では私はどうしたらいいのでしょう」

 「犬のかわりになる人間を一人、手に入れればよろしい。
 その人が、美人の味のわかる人間どもを嗅ぎまわって探し出し、お前さんの網の中に追い込むだろう」

 「それなら、あなたが協力者となって、友だちを捕らえさせてくれないんですか?」
 
 「もちろんそうするよ。お前さんが、私を説き伏せられるならば、の話だが」

 「ではどうしたら、私は、あなたを説きふせられましょうか」

 「それは、自分で探して、自分で工夫することだ」

 「それなら、それを教えていただくために、ときどき家に来てください」

 「だがね、テオドテー、私には暇がないのだ。
 可愛い娘(弟子たちのこと)がたくさんいて、私を離さないのだ。
 こういうことは、たくさんの惚れ薬や糸車がなくてはできないことだよ」

 「その糸車を貸してください。最初にあなたを引き寄せますから」

 「実のところ、私はおまえさんに引き寄せられるつもりはなんだ。
 おまえさんが私のほうに来るのを望むよ」

 「行きますわ」

 「歓迎するとも。 
 但し、私の家に、お前さんより好きな娘(弟子のこと)がいなければ、の話だがな」

 ・・・・

 ソクラテスは、難しい話ばかりをしていたわけではなく、くだけた話もしていたのだ。

 

 


2019年6月2日 セシル・チェスタトン『アメリカ史の真実』

2019-06-02 | 長い本を百分の一に圧縮

190531_セシル・チェスタトン『アメリカ史の真実』祥伝社 2011年




興味のあるところを抜粋




p.22


 昔、歴史上の重大事は、すべてチュートン人(ドイツ系民族)が成し遂げた、ということをいいたかった時代があった。


 それによれば、アメリカ大陸は、(ラテン系の)コロンブスではなくスカンジナビアのチュートン人が発見した、というものである。


 しかしそれは。ノルウェーからきた野蛮人が、アメリカ大陸の野蛮人に会ったというだけのことであり、重要性はない。




p.24


 17世紀、イギリスの植民地であったアメリカ大陸東海岸にあったのは、古代ギリシア・ローマの(キリスト教から見ると)異教の思想であった。


 古代ギリシア・ローマは奴隷がいた。




p.26


 ヨーロッパ人が渡来した新大陸では、本国ではキリスト教の布教によりほとんど忘れらていた奴隷制が、たちまちのうちに復活した。




p.46


 アメリカの南部では、綿花とタバコの栽培が行われた。


 西インド諸島では砂糖キビの栽培がおこなわれた。


 いずれも、労働力として黒人奴隷が求められた。


 アメリカ大陸の先住民族インディアンは、従順ではなく抵抗するので、つかまえてきて強制労働させることはできなかった。


 イギリスのホーキンズという者は、偉大な船乗りで、アフリカ西海岸から黒人を誘拐し、アメリカで売ればひと儲けでるかもしれないと最初に思いついた貿易商人だった。


 アメリカ北部には、大量の奴隷を必要とするプランテーション(広大な土地で作物を作る農場)が無かったので、奴隷は必要としなかった。




p.52


 1764年、イギリス本国は、アメリカ植民地に対し、印紙法(出版物に課税)をかけようとした。


 当時、イギリス国王はアメリカ植民地に、国王が発行した勅許状を持つ国王代理人を派遣し、そのような方法でアメリカをイギリスの領土だとしていた。


 1766年、イギリスは、アメリカ植民地の輸出品に関税をかけ、これをイギリスの収入にしようとした。




p.63


 アメリカ植民地の人間はこれに怒り、こう言い出した。


 これはその当時の最先端の思想と言われたフランスのルソーの思想にかぶれたものである。


 つまり、人間は生まれながらに自由であり、なんでも思う通りのことが出来る。


 これの権利は、神から与えたられた生まれつき得ている、権利である。




p.74


 アメリカ植民地とイギリス本国は戦いを始めた。


 戦いは、勝ったり負けたりしたが、最終的に、植民地側が勝った。


 1776年、植民地側は「独立宣言」を発表した。


 フランスとイギリスは、隣同士であり常に戦争を繰り返していた。


 フランスは、イギリスを弱体化するため、アメリカ植民地の方を応援した。




p.82


 1781年、イギリスは降伏した。




p.92


 アメリカは、奴隷のいない(奴隷をつかうような農場のない)北部と、奴隷のいる(奴隷を使わなければ作物を作ることができない)南部に分かれた。 
 
 最初にできたアメリカ憲法には、北部と南部の対立を避けるため(つまり憲法を成立させるため)、奴隷制の禁止については書き込まれなかった。


 <ルイジアナ>


 ルイジアナは、1762年、フランスからスペインに渡った。


 フランスのナポレオンはスペインに勝ったので、再度、フランス側に渡った。


 イギリスと戦争を始めようとして金が必要となったナポレオンは、1803年、ルイジアナをアメリカに売った。




 p.217


 1845年、アメリカはテキサスを併合


 1846年~1848年、メキシコと戦争


 アメリカがメキシコに勝ち、アリゾナ、ニューメキシコ、カリフォルニアがアメリカのものとなる。


 1861年~1865年、南北戦争




p.276


 北部は奴隷制廃止のため戦争をしたのではない。


 南部諸州を、アメリカ合衆国から分離させないため、戦争をした。




p.378


 アジア系移民の問題発生。


 アメリカの太平洋岸(カリフォルニア、オレゴン)に黄色人種の移民が増え始めた。




p392


 この本は、1918年、第一次世界大戦の終了まで書かれている。 




2019年6月2日 老人ホームで孤独死

2019-06-02 | 昼間のエッセー

190602_老人ホームで孤独死


 2019年6月1日 産経新聞 p.27





 老人ホームで孤独死


 91歳男性


 十数日気付かれず



 ・・・・



 伊藤守『だいじょうぶ たいしたことないから』



 p.35


 生きていることは、基本的に危ないことです。


 それを認めないとしたら・・・・・


 確かに問題かもしれませんね。




2019年6月2日 8050問題

2019-06-02 | 昼間のエッセー

190602_8050問題

 2019年5月31日 産経新聞 p.29


 「8050問題」

 八十代の親が、五十代の引きこもりの息子の面倒を見るのを「8050」問題という。

 ・・・・

 五十代の男へ


 27.

 どう思われる?

 誰もあんたのこと何とも思っていないよ。

 申し訳ないくらいに、あんたのことなんて見ていないよ。

 

 32.

 傷つかないようにしようとして

 つく傷の方がなお深い。

 もう傷つくのはいやだからね、

 亀のように甲羅を厚くして、防御するの。

 で、身動きとれなくなつていくわけ。


 伊藤守『今日を楽しむための100の言葉』第三巻