連続ツイート第1486回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「思い」について。
入場するために、日本武道館の前の列の中にいたら、料理評論家の山本益博さんがいらした。49年前のビートルズの来日公演のときには、北海道に住んでいて、高校生だったのだという。ものすごく行きたかったが、行ったら退学だと言われた。「49年越しのリベンジですよ」とおっしゃって、笑った。
49年前に果たせなかった思いを果たそうとチケットを握りしめて列に並んでいる山本益博さん。思いが募るのか、自然と前傾姿勢になる。同行している方を、まったく振り返らない。「このままはぐれたら、入れなくなる。でも、山本さんは、気にしていない」と笑った。山本さんは、夢中になっていた。
席に着いた。湯川れい子さん(@yukawareiko )のお姿が見えた。となりは、クリス松村さんだった。『ヘイ・ジュード』の時に、ポールが、「男子だけ」「女子だけ」と聴衆に歌うことを促したときに、隣のクリス松村さんは、小さな声で恥ずかしそうに「女子だけ」コーラスに参加していた。
2時間余りのコンサートは、本当に夢のようで、スターというのは、こんなに多くの人を幸せにできるのだなあ、そのために、尋常ではない努力をするのだなあと改めて感じた。ポール・マッカートニーという人は、永遠の青年のようであった。名曲の数々が、心のど真ん中に、ずどーんと届いた。
1966年のビートルズ来日公演の際には、ぼくは3歳だった。今や教科書にも載っているビートルズ。しかし、当時は不良視されていた。「古典」になった楽曲は、この宇宙に誕生したばかりの元素のようにピカピカと光っていた。その来日公演の武道館にかけつけた人たちは、本当に伝説である。
人間は、自分たちが経験したことがない新しい何かに出会うと、とにかくもう興奮してしまって、黄色い声で叫んでしまったり、飛び跳ねたり、時には失神してしまうものだろう。1966年のビートルズ来日公演の音声を聞くと、観客の叫び声がもう胸に迫ってしまって、それだけのことだったのだとわかる。
コンサートの途中で、ポール・マッカートニーが、「この前の武道館に来ていた人」と挙手を促した。湯川れい子さん(@yukawareiko )をはじめ、何人かの方が手を挙げた。ぼくはスタンディング・オベーションをした。あなたたちは、伝説の一部です。100年に1度しかないくらいの。
ポール・マッカートニーの姿に、1966年のビートルズ来日の残像を重ねることができた人は幸せだったろう。「アイ・ラブ・ユー・ポール」という声があちらこちらから飛ぶ武道館で、ポールは水も飲まずに歌いきった。ほんもののスターとして。勇気をもらった者たちは、それぞれの人生にかえっていく。
以上、連続ツイート第1486回「スターは多くの人を幸せにできる。そのために尋常ではない努力をする」をテーマに、8つのツイートをお届けしました。
3/2放送スマスママで台詞覚えの話の時剛くんが「人の所読んでないよ」と発言。前に聞いたことあるその理由はとても頷ける考え方。もし誤解されたら残念と思って「成田離婚」番宣時の話をツイートしたら、多くのRTとファボいただき感謝です。 pic.twitter.com/a3ooDZbjhe
「あすなろ会」について語る93年の西島さんの記事発見!
「拓哉はムードメーカーという感じかな。」
「一度筒井と拓哉の家に遊びに行ったんですよ。」
「待ち合わせ場所にタクシーが止まってたから「ウイ~ス」って乗ったら、そこにいたのは(稲垣)吾郎くんで。拓哉が連れてきてくれてた。」
「拓哉はね、俺と似ていてボーッとしてんの(笑)。
俺が楽屋で煙草を吸っていたら、知らない間に拓哉が俺のすぐ後ろに来てて、同じように下向いてボーッと煙草を吸ってるの。
そのとき、なぜだかこいつっていい奴じゃんってピンと思ったんだよね(笑)。」
(93年の西島さんの記事より)
学習ノート「ジャポニカ学習帳」を製造・販売する学用品メーカー、ショウワノートは、歴代の表紙の人気投票を、アマゾンジャパンのウェブサイト内で始めました。投票上位のノートは特別仕様で復刻し、仕事上で話題として使えるものにするそうです goo.gl/Yf3Gf2
いよいよスタート「池田修三木版画展 象潟まちびと美術館 ようこそ」。「町そのものが美術館、暮らす人たちが学芸員」というコンセプト、わくわくします!深夜バスでずいぶん早くに着いちゃった担当Kがレポートします。 pic.twitter.com/TOgthDPSrM
会場となるのは、木版画家池田修三さんのふるさと、秋田県にかほ市象潟町。メイン会場は象潟郷土資料館ですが、旅館、お土産屋、本屋、ケーキ屋、銀行と町のいろいろなところで修三さんの作品と出会えるのが、象潟のすんごいところなのです。(そして美味しいものもいっぱい!ふふふ)