LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

8年ぶりのブダペスト。来た理由は・・

2010年03月09日 | 中欧日記
3/9 ブダペスト【ハンガリー】

乗ろうと思っていた04:56発列車ではなく昨日宿を予約したことにより10:00発にしたため7時半起床。外は雪が降っていた。。


【宿の窓から】

9時、雪の中服を着込んで歩く人々に混じってザグレブ駅へ。


【サグレブ中央駅】

10:15。15分遅れで発車。ほとんどガラガラで6人用コンパートメントを2人で独占し横になって眠りに眠る。景色はのどかで退屈な田舎の景色が延々と続く。途中大きなバラトン湖が見えた。



17:30 懐かしのブダペスト駅到着。前回はスロバキア・ブラチスラヴァからこの駅に来てプライベートルームの客引きのおばさんについて行ったな。。


【ブダペスト東駅】

今回予約した宿はここからそう遠くないので20分ほど歩いてその宿へ。レセプションでは日本語ぺらぺらのハンガリーお姉ちゃんがやさしく迎えてくれ(この宿は日本人所有らしい)部屋へ入る。すんばらし~~~~。びっくりした。購入したアパートをそのまま貸し出していると思われるのだが住んでた我が目黒の豪邸!?より広い。新しく清潔で何でも揃っている。なんと洗濯も無料でやってくれるとのこと。ブダペストではゆっくりしようと3日予約したのだがこれなら1週間滞在してもいい!!いや1ヶ月でもいい!!!


【見えてないが奥がキッチン、あと寝室、バスルームがある。1泊29ユーロ。こんなにコストパフォーマンスいいとこはなかなかない。このまま沈没するか。。】

今回のヨーロッパツアーの基本ルールとして過去行ったことあるところは行かない、というのがあるがここハンガリーのグヤーシュは思い出話聞いた相棒が是非食べてみたいというので連れてきた。ただそれだけの理由で(笑)。ハンガリーのパプリカ料理はなんでもおいしい。なかでもグヤーシュは本当おいしいのである。

到着後いきなりグヤーシュ出すのも悔しいので今晩は中華。今回の部屋はキッチンも冷蔵庫もあるのでスーパーに寄って買出し。部屋に戻ってきてテレビ見ながらWIFI。部屋がいいとほんと癒される。。


【中欧の中でもハンガリーは一歩抜けだしている印象】

さぶいよ、ザグレブ。。

2010年03月08日 | 中欧日記
3/8 ザグレブ

バスの中ではほとんど眠れないまま朝6時クロアチアの首都ザグレブ到着。(ちなみにこのバスの運転手の一人の態度が最悪で頭にきた)晴れてはいるが滅茶苦茶寒い。スキー場を思わせる切れそうな空気。トラムで鉄道駅前まで行きブダペスト行き列車の時間を確認し近くのユース(ユースのくせに今回のヨーロッパツアー最高値)にチェックイン。

近くのマクドで朝食とってイェラチッチ広場から青果市場、工事中の聖母被昇天大聖堂、トカルチツェヴァ通り、屋根のモザイクが印象的な聖マルコ教会、石の門と回り地元有名ケーキ店でそんなにおいしくないケーキ(でも値段は120円ほど)をいただく。


【イェラチッチ広場】






【聖母被昇天大聖堂】


【聖マルコ教会】


【これが見かけほどおいしくないケーキ】

想像以上に何も無いザグレブと眠れなかった夜行バスの疲れを取るため宿に戻り3時間ほど昼寝。

駅でブダペストまでの切符を買った後、夜のザグレブを散歩し晩御飯にまたおいしいチェヴァプチチ(こっちのメニューにはチェバピと書かれていた)を平らげWIFIカフェに行き明日からのブダペスト3泊分の宿をネパールで会った田中夫妻に教えてもらったブッキングドットコムで予約。なかなかこのサイト使える。現地着いて飛び込みで探すととかく高くなりがちなので今後大都市に行くときはあらかじめ安いところを予約して向かおうと思う。1泊50、60ユーロとかありえない。。

サラエヴォは想像以上に美しい

2010年03月07日 | 中欧日記
3/7 夜行バス(サラエヴォ-ザグレブ)

7時起床。モスタル鉄道駅へ。既に駅には大勢の若者が。。まさかと思ったが同じサラエヴォ行きにビール片手に乗ってきて最初から大騒ぎ。知能低そう。。

08:00モスタル発車。車窓からは雄大な大自然のパノラマ。滅茶苦茶美しい。だがその感動は入れ替わり立ち代わりコンパートメントに入ってきて大声で喋る猿のような奴らにぶち壊される。





10:30 サラエヴォ到着。ここで1泊しても良かったが何故かすぎにでもここを離れたくなり隣のバスターミナルで今夜10時のクロアチア・ザグレブ行きチケット購入。荷物を預け外に出る。


【内戦中ジャーナリスト達はこのホリデイインから情報を発信し続けた】

駅前から1番トラムに乗りバシチャルシァへ。ここは1914年6月18日当時ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人に狙撃され第一次世界大戦の引き金となった場所である。


【この橋の左側で事件は起きた!!】

オリンピックからわずか7年後に泥沼の内戦に突入しここだけで1万人もの死者を出した街は近くの山々が雪をかぶっていることもあり表面上はそんなことを感じさせること無くとても美しく見えた。だが国立図書館を筆頭にその辺の建物には至る所に戦争の跡が残っていて当時の熾烈さを想像させる。




【この穴は銃弾によるもの??】

お昼はたくさんの客が入っていたレストランにはいり皆食べてた料理を指差す。ボスニアを代表する料理(というほどのものでもないか・・)のチェヴァプチチ(ソーセージの肉をパンにはさんだもの)をいただく。久々の肉で激うま。付け合せの千切りオニオンもいい味出してるし。


【うますぎるぜ!チェヴァプチチ】

おなかが満足したところでサラエヴォ冬季オリンピック施設近くの墓地を見に行く。



街自体は小さく夜10時のバスの時間までかなりあったのでWIFIカフェに入ったり、おいしいチキンの晩御飯を食べたりして時間をつぶし午後9時前バスターミナルへ戻ってきた。サラエヴォの街は7時を過ぎるとほとんど人通りが無くなり怖くなるほど寂しくなる。

でもサラエボ来てよかった。できればゆっくり1泊したかった。


【今も燃え続ける聖火】

22:00 ザグレブに向けバス発車。

ボスニア入国。世界遺産「モスタル旧市街のスターリ・モストと周辺」

2010年03月06日 | 中欧日記
3/6 モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ】

7時起床。8時ドブロヴニク発モスタル行きバスに乗る。バスは今日も晴れた空の下アドリア海沿いを走ってゆく。今日のアドリア海も蒼い!!!夏はどこも海水浴客でにぎわうんだろうな。。今はこんなにガラガラだけど。。





10時にはボスニア・ヘルツェゴビナ入国(出国、入国スタンプ共に無し)。11時モスタル到着。晴れてはいるもの明らかにドブロヴニクより寒い。バスも降りると、はい今回もプライベートルームお誘いのお出迎え。バス停から3分のアパート。古いアパートの外観にビビルが中はそうでもなく部屋レベルは今までで一番高い。前々回、前回のような独立したスペースではなく、2LDKのうちの1室を貸してもらうことに。

12時。世界遺産「モスタル旧市街のスターリ・モストと周辺」の散歩開始。ここは15,16世紀のオスマン朝期に発展した町。スターリ・モストへ直行。




【ネレトヴァ川にかかる1556年建造のアーチ型の美しい石橋で1993年11月に紛争で破壊されその後再建されたとのこと】

たまたま入ったPIZZA屋のピザは超うまかった。期待しないでうまいものに出会うと感動するな~。食べきれないと思ったサイズを2人で一気に平らげた。



6時頃ライトアップされたスターリ・モストを見てアパートへ帰る。今日は宿を取らずそのままサラエボに行っても良かったかな・・という感じの規模の小さな世界遺産であった。。この町では久々に乞食を見た。人の表情、様子、雰囲気、建物、生活感からちょっと貧しさを感じる。。

3日連続の人の家。ここは小さなストーブもあり暖かくベッドシーツも気持ちいい。

これがドブロヴニクだ!Life is GOOD !!

2010年03月05日 | 中欧日記
3/5 ドブロヴニク
久々にゆっくりな朝。11時過ぎ、外に出て空を見る。神は見放さなかった。晴れ。目の前のバス停から旧市街ピレ門へ。城壁に上がり一周。









時間を追うごとに空が青くなりアドリア海も蒼くなる。城壁の白にオレンジ色の屋根が映える。これぞイメージどおりのドブロヴニク!頭ん中を世界遺産のイメージソングが繰り返し繰り返し流れて止まらない。




【上に見える山が後で登るスルジ山】





2時間近くかけてゆっくり一周した。晴れていなかったらきっとイメージの違うドブロヴニクのまま去ることになったと思う。晴れてよかった。。

城壁巡りで満足した後は絵葉書でも良く見る上からの景色を見ようとスルジ山を上がる。なかなか取付き口がわからず人に聞いても要領を得ない。たまたま入った小さな入り口が正解であった。1時間ほどかけてジグザグ道を上がっていく。







ここにはかつてケーブルカーで山頂まであがることができたが(今ケーブルカー復旧中らしく工事している姿があった)1991年のクロアチア独立戦争時に旧ユーゴによって破壊されてしまったとのこと。上がるにしたがって街が眼下に広がってゆく。8~16世紀に増改築を繰り返して建造された城壁に囲まれた旧市街全体が見えてくる。すごい。すごすぎ。さすがアドリア海の真珠!!!

1時間ちょっと歩いて412mの山頂到着。ドブロヴニクから船で3時間の距離にイタリアがあるらしいが、その地まで見えてそうな絶景であった。


【山側もすごい!】





山を降りて再度旧市街へ行き高級カフェ(値段はたいしたことない)でコーヒーとケーキで締め。

バスで宿まで戻り自炊。今日のメニューはツナパスタ+ソーセージ。うまい。夜、また雨がしとしと降りだしている。。ほんと今日晴れてくれてよかった。。。。。Life is GOOD!!

クロアチア・ドブロヴニク到着

2010年03月04日 | 中欧日記
3/4 ドブロブニク【クロアチア】

7時過ぎ起床。外に出る。雨。ははは、こんなもんだよね、強く願ってもうまくいかないときもある。雨の中バス停へ。

08:30ドブロブニク行きバスに乗る。客は他に3人のみでガラガラ。車窓からは晴れていたら美しいであろうアドリア海と小さな町並みが雨にぬれたガラス越しに見えた。1時間ほどでモンテネグロ-クロアチア国境へ。

クロアチア入国の際最初は車の中で待っていた他の3人が呼ばれどこかに消えて1時間弱。その後彼らは戻ってくることは無かった。。何があったのか知る由も無いが結局彼らを置き去りにしてバスは出発。客はとうとう私達2人だけの貸切状態。しばらく走ると一目でドブロヴニクだと分かる城壁で囲まれたオレンジ色の旧市街が見えてきた。。感激。

13時前到着。バスを降りるとすぐ客引きおばあさんがお出迎え。バスターミナルのすぐ目の前の家。部屋もキッチンも清潔で問題なし。ここで2泊することにした。陽気な2人のおばあさん(ガーラとサーニャ姉妹)にお茶を入れてもらって一息。

13時半、弱くなった雨の中待ちきれないように家を出る。まずは歩いて旧市街まで。生憎の空模様だがここはドブロヴニク。そんなことは関係ないとばかりにシャッターきりまくり。明日1日あるので今日はおおまかに旧市街を歩いてスーパーで買出しをして戻ってきた。







最近温かいものを全く食べていないので自炊。スパゲティ・ボロネーゼ+ソーセージ。うまくてハラパン。部屋は暖房器具が無くて寒く備え付けふとんにくるまって眠った。

世界遺産「コトルの自然と文化-歴史地域」

2010年03月03日 | 中欧日記
3/3 コトル【モンテネグロ】



夜中何度スーパーマリオ1号のベッドからはみ出た腕を下から足で蹴り上げたか。。全く意に介せず一晩中ウシガエルは泣きやまず。それでもどうにか数時間は眠り朝6時半には通路に出て寒い中窓を開けてカメラを片時も放さず景色を楽しむ。さすが有名バール鉄道。数え切れないほどのトンネルを抜けるたび美しい山岳風景に心奪われた。(早朝何時か忘れたがパスポートチェックに係官が来てスタンプ押して出て行った)









09:00 モンテネグロ共和国の首都ポドゴリツァ駅到着。駅の目の前にあるバスターミナルに行き09:38発のバスで世界遺産の街「コトル」へ向かう。車窓からは青いアドリア海とプドヴァの街が見えてきた。旧市街のオレンジ色の屋根がよりヨーロッパを感じさせる。
11:40コトル到着。宿を探しに行くか、とバスターミナルを出ようとしたときプライベートルームいかが?と声をかけてきたサンドラさんについていく。(コトルはホテル代が高いので声かけてくれるのを待っていた・・)弟トニー、お母さんソニアの歓迎を受ける。早速作ってくれたお母さんのクレープ7枚で腹ぱん。こういうのは断れなくて困る。

与えられた部屋は2ルーム4ベッド。キッチン、バス、トイレつき。建物も内装も古いけど十分。2階にサンドラさん家族5人が住んでいる。

13:30 15分ほど離れたコトル旧市街を散歩。旧市街の背後の山に沿って城壁が全長4.5キロにも渡って築かれている。結構急な登りを1時間近く。上がるにしたがって景色が開けてゆく。





上から見下ろすコトルの街、コトル湾は美しいの一言。頂上はまるで空中都市。ここはヨーロッパのマチュピチュ(行った事ないけど)か!?ちょっと石段を踏み外すとまっさかさまに落ちていきそうでちょっと恐怖感あるほど。白い空が恨めしい。夏は真っ青な空に蒼い海、緑の山々、オレンジに光る屋根が迎えてくれるはずなのに。。あと3ヶ月遅れてヨーロッパ来れば良かった(これはトルコ入ったときからずっと思ってる・・)。それでもこの景色には十分感激した。



下に降りてカフェで休憩。ご年配ツアーご一行様の姿は見えたもののほとんど観光客の姿はみえず、ここも例に漏れずお店のほとんどがまだ開いていない。結局晩御飯を食べる機会を逃しスーパーでポテトチップ買って帰る羽目に。



最近ハードスケジュールが続いているのでここコトルで2泊してもいいかな、と到着したときは思っていたが、今日ほとんど見て回れたので明日ずっと来てみたかったクロアチア・ドブロヴニクまでのバスチケットを買って宿に戻ってきた。

明日はとうとうTBSの世界遺産を見て以来ずっと夢見てたドブロヴニク。寺尾聡のナレーションが未だ頭に残ってるほどだ。今回の旅で行くことをあらかじめ決めていた数少ない場所のひとつ。今日のコトルの景色とダブらなきゃいいけど。。あと夏に来ればよかった・・とも思わなくていいほど青い空の下で見てみたい。明日だけは綺麗に晴れて欲しい。

では夜行列車でモンテネグロへ行ってきます

2010年03月02日 | 中欧日記
3/2 夜行列車(ベオグラード-ポドゴリツァ)

ベッドは4つ埋まっていた。ひとつはここで働いているおばあさん。残りの1人、セルビア男がとにかく臭った。部屋に充満する臭気に気が触れそうになる。夜中何度ドアを開けようと思ったか。。気にすべきはイビキだけではなかった。。これだからドミは嫌いだ。。


【宿の窓からのベオグラード駅前】

11時のチェックアウトまで宿でゆっくりしてベオグラード散歩へ。昇天教会を見た後、行列のできるパン屋でおいしいミートパイ。



ガイドブックに載っていたNATOによる空爆跡は探したが見つからず。セルビア正教の中心的教会である聖サヴァ教会。



教会前の公園は天気が良かったのもあって子供連れがたくさん日向ぼっこ。

途中お腹いっぱいにかかわらずおいしそうなハンバーガーを発見。パンは硬かったが肉はおいしかった。

その後、国会議事堂、



ソフィアと同じ教会名だと思っていってみたら何でもなかったアレクサンダー・ネフスキー教会、ぐるぐるまわす器具から煙をかけてもらったセルビア正教大聖堂、昨日に続き再度訪れたカレメグダン公園でポップコーン食べて、これまた再訪の北京飯店(テイクアウト)でおいしい晩御飯。



午後8時頃宿に戻りネットさせてもらい荷物を拾って21時半、すぐ目の前の駅へ。暗いプラットホームには汽車が既に入線していた。幽霊列車かと思うほどのボロ列車にびびる。1コンパートメント6ベッドのうち下2つが私たち、中段はスーパーマリオじいさん2人、上段は空き。





22:15 ほぼ定刻で発車。ウルサクお喋りしていたじいさんも23時過ぎにはベッドに横になりうち1人が豪快なイビキを掻きはじめた。こっちも耳栓して必死に眠ろうと頑張る。。

ベオグラード到着。セルビアの人々は優しい

2010年03月01日 | 中欧日記
3/1 ベオグラード

朝6時起床。7時バスターミナルへ向かう。昨夜Kさんの部屋に居候していたS君は急遽スコピエ行きのバスに飛び乗りこっちは予定通り07:30発ベオグラードへ向かう。なんかまたどこかで会いそうな気もする。。

昨夜は2時頃までネットしほとんど寝てなかったので車内で爆睡。時々目を覚ますと車窓からは田舎の(貧乏くさい)ヨーロッパだな~、という景色が広がっていた。

1時間半ほど走った9時(セルビア8時。 両国の間に時差1時間あり。セルビアは日本-8時間 )国境到着。ブルガリアの出国スタンプは押されたがセルビアの入国スタンプはなし。10時ニシュ到着し大型バスに乗換え。13:30ベオグラード到着。小雨の中宿へ向かう。ドミ部屋に荷物を置き早速街ぶら。

最初にベオグラード駅に行き明日のモンテネグロ・ポドゴリツァ行きのチケットを取る。この路線は車窓からの景色がいいらしいが、たまたま夜行が安い値段で出ていたのでクシェット購入。

さてセルビア・ベオグラード。ソフィアと基本的に何が違うかというと、まず人間が多く活気がある。町並みも人間もおしゃれである。物価は同じくらい。ベオグラードもそんなに大きな街ではないので歩いてカレメグダン公園まで行き戻ってきた。途中サンドイッチ、ヨーグルト、北京飯店で炒飯、春巻のランチ。

来るまで知らなかったがブルガリアもセルビアもキリル文字。なんと私はちょっと読めてしまうのである。大学時代第2外国語はロシア語(単位取りやすいといわれ選択)。もはやアルファベットしか覚えてないが、こんなところで役に立つと思わなかった。。でも今考えると中国語でもやっとけば100倍役に立ったのに。




【カレメグダン公園ではドナウ川と再会。中欧はドナウ無しには語れない】


【ミハイロ公の像と国立劇場】

今日のホステルは汚い外観のビル(エレベータはデストラップのようで怖い)だが中身はなかなか居心地良し。ほとんど言葉の通じない優しそうなおじいちゃん、おばあちゃんが迎えてくれた。8ベッドのうち4ベッドしか埋まってなくテレビ部屋はまるで友達の部屋に遊びに来たかのようである。


【6階にHOSTELとある】


【居心地OK!ずっとこの部屋独占中】

ここの宿のおじいちゃん、おばあちゃん、駅のカウンターのおじいさん、写真を撮ってもらった女の子、ソフィアからベオグラードまで一緒でニシュでの乗換時いろいろ手伝ってくれた女性・・なんかセルビアの人みんな優しい。。ユーゴ内戦で刷り込まれているイメージとはちょっと違う。。。

世界遺産「リラの僧院」

2010年02月28日 | 中欧日記
2/28 ソフィア

8時起床。今日は結構暖かい。

歩いて5番トラム乗り場へ。チケット売り場の場所を聞いたおばさんが降車場所のオフチャ・クペルについたときわざわざ親切に教えに来てくれ嬉しくなる。

S君も登場し10:20バス発車。今日は朝から天気もよく白い山々をバックに田舎の風景も美しく見える。12時過ぎリラの町に到着。


【ゆ~っくり時間の流れるリラ村。ソフィアより全然ブルガリアしてる】

午後1時ソフィアの南120キロにある世界遺産「リラの僧院」到着。





ブルガリア正教の総本山とも言うべき僧院で歴史は10世紀にまでさかのぼるらしい。ここにはたくさん(でもないか)の観光客が訪れていた。人の思いがその土地から感じられるような場所で来てよかったと思った。


【1833年の大火事でほとんど消失したがこのフレリョの塔だけは残った】


【ブルガリアはヨーグルトでしょ、やっぱり。濃厚な味。砂糖入れるとおいしい】

15:00バスに乗り17:30オフチャ・クペル到着。一緒に乗り合わせたロンドン駐在Kさんの計らいでタクシーで宿に戻る。

その足でバスターミナルへ明日のベオグラードまでのチケットを買いに行く。出発日3/1と記載されているのを見てビックリした。え!知らない間にもう3月。。会社辞めてはや11ヶ月。

夕食は4人でおしゃれなブルガリアンレストランへ。残っていたお金25レブで豪勢にディナー。4人それぞれ違うものを注文したが結局基本的な味付けは全部同じような気がする。。が久々に暖かいレストランでお喋りも弾み楽しいヒトトキであった。11時過ぎ宿に戻ってきた。