春は花咲く野辺に、秋は星降る夜に・・・

ー春秋、徒然なるままに・・・

最終寄港地ベニス

2007-11-18 14:23:30 | Weblog

10月7日ヴェネチア(イタリア)へ入港。

 

 入港予定は13時だったが、早く10時過ぎに入港。
 9時ごろから、海上に浮かぶヴェネチアの街並みがあちこちに見えてくる。
 下船すると海上タクシー(10人乗りほどのモーターボート)で、サンマルコ
 広場
に上陸する。 
 広場からサンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、ガラス工房を見学、
 リアルト橋でショッピング。

 

ヴェネチアは
  「水の都」といわれ、100以上の小島からなり、その間を運河が巡り、
   橋で繋がれた街。
    かっては「アドリア海の女王」と云われた海運国家として栄え、
   貴族や商人の 館が美を競った。
  大運河ぞいに並ぶ建築群はまさに栄華の名残を思わせる。
   ヴェネチアは周辺の潟と併せて世界遺産に登録されている。

 

                ヴェネチア遠望
     
      夜が明けて、海上に遠く美しい島上の街並みが姿を現す。

 

  サン・ジョルジョ・マッジョーレ島          観光用ゴンドラ
  
 島に建つ教会の塔。               海上に係留されて客待ち顔。  
 ここには10世紀から
  修道院があったが、現在の教会は
 16世紀に建てられたもの。 

 

     カナルグランデ(大運河)           リアルト橋
  

 元は潟を蛇行して流れていた川で     カナルグランデに架かる最も 
 あったが、ヴェネチアの島々が街に    有名な橋。
 形成されていく時に、それに沿って     木製の橋から16世紀に現在の
 家々が建てられて深くなっていった。    石橋に。
                           橋の中央の通りに店が並び
                           その両側が通路。
 

 

     サン・マルコ広場前        サン・マルコ広場
  
 奥に見えるドゥカーレ宮殿。宮殿の前の塔の上部の青銅
 馬像(コピー)は13世紀ヴェネチアの十字軍がコンスタンチノーブル
 から持ち帰ったものといわれている。
  右の写真は右にドゥカーレ宮殿、奥にサンマルコ寺院。

 

               サン・マルコ大聖堂
     
     9世紀エジプトから運ばれた聖マルコの遺体を収めるために
      建てられた。何度も大火にあい、再建、修復されている。

 

                 サン・マルコ大聖堂      
         
      正面入り口、ギリシャ様式。        内部天井。

 

        ため息橋              運河の脇のレストラン
  
 左はドゥカーレ宮殿の裏側、右は牢宮。ドゥカーレ宮殿で裁判の結果
  有罪となった者はこの橋を渡って牢宮に連れられた。
 この橋を渡る時、囚人は小窓からこの世の見納めと嘆いた。

 右写真:運河に沿ってカフエやレストランが並ぶ。

 

       サンマルコ広場            時計台       
  
   奥に有名な時計台が見える。    星座のある時計(入り口の上)。

 

          時計台                  サンマルコの鐘楼
   
  一番上は青銅の鐘つき像。         煉瓦の鐘楼で約100mの高さ  
  下は羽のある獅子像。           1912年に突然崩れるまでに
   折から正午を知らせる鐘の音       約1000年建っていた。
      お腹グー!              昔の設計のもとに再建
                           この鐘の音を背に帰船。

 

 

           ヴェネチアのサンライズ
    

   10月8日の朝エメラルドプリンセス号の19階のデッキから、
   朝の風が冷たい中7時から待機してその瞬間を撮影!


 

10月8日  10時30分下船。
      
   
12時35分AZ1454(アリタリア)ヴェネチア空港からミラノへ。
    15時35分AZ876でミラノから空路成田へ。
  

 10月9日(水) 10時30分成田到着。
                 日本は一気に秋が深まり、涼しい。
 
  

  「地中海・エーゲ海・アドリア海クルージング」にお付き合い頂き
        ありがとうございました! 謝、謝!!
 


アドリア海を終日航行

2007-11-18 11:34:32 | Weblog

10月6日はアドリア海を終日航海

   昨5日15時40分、ギリシャ、ピレウス港を出航して、
   夜間イオニア海を航行。
    夜が明けてアドリア海へ入り、終日航海。 穏やかな海面を
   滑るように 最後の寄港地(終着港)ヴェネチアへ向かう。
   
    船内を少しご覧下さい。

    19Fデッキ風景                 プールサイド
   


      青空映画ステージ         ジャグジーあり
   


        アスレチック              ミニゴルフ
  

今日の船内はショップのセールでお土産を買う人などで大騒ぎ!
そして下船の為の下船説明など・・・
カバンのハッケージなどなど・・・・大忙し!
最後のホーマルの日、夕刻よりドレスアップ、
船内はとても華やかな雰囲気でーす。


     ドレスアップした私(・_・")?          マイハズバンド
         
           船上最後のディナー、正装で!
 

   ショータイム、そしてシャンパンウォーターフォールパティー
 ナド・ナドで最後の楽しい夜はふけて行きました。
  ○Oo。.(T¬T)/~~~オヤスミナサイー 


オリンピック発祥の地アテネ(ギリシャ)2

2007-11-17 18:24:20 | Weblog

10月5日

     オリンピック発祥の地アテネ(ギリシャ)1の続きです。

 

                 アテネの市街                             アテネの下町
       
     アクロポリスの丘から展望する市街。           曲がりくねった露地に
                                                            商店がひしめき、活気づく
                                                            観光客がひと息つく。

            
        アテネの下町                             下町ネコ
                
         イコン(聖像画)を売る店。  ここでもネコがのんびり、ニャア~!
      正教会は偶像ではなく、
      イコンを信仰する。

 

             アテネ(ギリシャ)のサンセット
       

      やっと帰船しました。暑い一日でした、お疲れさん!

      17時45分ピレウス港を出航してイオニア海を
       越えて、
アドリア海へ・・・・!


 
 


オリンピック発祥の地アテネ(ギリシャ)1

2007-11-16 15:34:28 | Weblog

10月5日早朝5時アテネ(ギリシャ)ピレウス港に入港しました。

 夜が明けると晴れ渡った空に陽がギラギラ、暑くなりそう。
  観光は午前中はアテネ南端のスィニオン岬のポセイドン神殿。
 午後はアクロポリスの丘のパルテノン神殿へ。

          

                  朝陽に映えるエメラルド・プリンセス号
      



アテネは、

    かっての都市国家ポリスの歴史を受け継ぐ政治、経済、文化の中心で
    ギリシャ共和国の首都。
    
   
アテネの名前の由来は知恵と戦争の神「アテナ」をこの土地の守護神に
    したことに始まる。
    市の中心から放射状に伸びる道路網、ファショナブルショッピング街、
    下町の細く曲がった道、エネルギッシュな市場など現代のアテネが過去
    の築いた遺跡の中に見事なハーモニーで溶け込んでいる。

   
ポセイドン神殿は、
    アテネの約70㎞南にあるスニオン岬に、紀元前444年建てられた
    ドーリア式の神殿である。岬の突端に白い大理石の15本の柱は
    均整が取れ、その姿は美しい。

             ポセイドン神殿                                ポセイドン神殿
    
        神殿の建つスニオン岬               海神ポセイドンは知恵と戦いの神 
        眼下にエーゲ海を眺望               アテナと守護神を争ってやぶれたが
                                                   この地に祀られて海をよく制し
                                                   崇拝された。
 

 

            ポセイドン神殿                                 ポセイドン神殿 
      
  柱は元34本あったと伝えられるが     柱は典型的なドーリア式である。
  現在は北側に6本と 南側に9本だけ。

 

            オリンピック・メーンスタジアム
      
     2004年、21世紀最初の夏期オリンピックがオリンピック発祥の
     この地で開催された。
     
…アクロポリスの丘へ向かう途中、立ち寄り。

 

アクロポリスの丘の途中にある遺跡

           ヘロデス・アティコス音楽堂
  
     
アクロポリスの丘の途中にある。富豪アティコスが
      寄贈した音楽堂で5000人収容。
     かってはぶん捕った船の帆や柱でつくった天井があったという。
     1961年に改修され、現在は夏のアテネ・フエステバルに、
     演劇や音楽が上演されている。

 

 

パルテノン神殿は、
    アテネの守護神アテナを祭ったこの神殿は紀元前438年に完成した。
    小高いアクロポリスに聳える姿は街のシンボルである。
    パルテノン神殿の美しさの秘密はその建築設計にあるといわれる。

 

    

                                   

                                 パルテノン神殿
            
    
基壇は幅約31m、長さ約70m、高さは約10,5m。正面と後ろは
    8本づつ、両横から見ると17本づつ計46本の柱が取り巻いており、
     正面と後ろには更に内側に6本づつ柱が立っている。 
     内陣は壁で囲まれており4部屋があるという。

                               
                              パルテノン神殿
           
     神殿の建築は目の錯覚による効果を上手く取り入れていて、例えば
    建物の安定感をだすために柱はすべて内側に傾斜、床も真ん中を
    少し高くする感じで弧を描き、四角の柱は光の加減で細く見えるの防ぐ
    ため少し太めに作られている。
    また柱はそれぞれ10~11個の円筒を積み重ねているが、柱が
    やせ細って見えないように真ん中にふくらみ(エンタシス)をもたせている。
     エンタシスはシルクロードを通って東へ伝わり、法隆寺など
   飛鳥・奈良時代の寺院の柱にも使われ

 

                        パルテノン神殿              アテナ立像
               
     現在は白亜の神殿であるが、かっては外も内も彫刻も色鮮やかに
   塗られていたという。(この写真はシチリア島のシラクーサ博物館の
   もの。古代ギリシャ期には、神殿はこんな風に彩色されていた)

     神殿の内室にはフエディアス作のアテナ立像が安置されていた。
   このアテナ像は顔には象牙、兜や甲冑には黄金を使い、高さは
   10mほど。この像の複製がアテネ国立考古学博物館に展示されて
   いる。なお像の安置された内室と壁をはさんだ裏側にパルテノン
   (処女)という部屋があり、神殿の名前はこの部屋の由来からきて

   という説がある。

 

 アクロポリスの丘の北側
 
              エレクテイオン
   
  
アクロポリスの丘の北側ぎりぎりに建つ神殿である。
   エレクテウスは大地の神といわれ、ポセイドンの別名でもあった。                 
   ここはアテナとエレクテウスの聖域だったようである

  屋根を支える柱は6体のコレー(乙女)像。カリアディディスと呼ばれ、
   1体は大英博物館に、他の5体は大気汚染で破損がひどくなったの 
   でアクロポリス博物館で展示されている。従ってこれは複製。

 

                   遺跡ネコ
         
    神殿の下にも遺跡ネコ。観光客をしりめにのんびりアクビ、ニャア~!


 


 


        


クサダシ(トルコ)入港

2007-11-11 11:47:16 | Weblog

10月4日予定より早く11時クサダシに入港
   港にはトルコの旗がひらめいていました。

     

  クサダシはトルコの中でもヨーロッパ的雰囲気をもったエーゲ海
  屈指のリゾート地であり、遺跡観光の基点になっている。

 

先ずは聖母マリアの家

 キリストが十字架に架けられた後、聖母マリアは聖ヨハネと共に
 
エフエソスを訪れ、余生を過ごしたと伝えられている。
  この地が発見された当時は、基盤と壁の一部が残っていただけで
 あったが、今は修復され、石造りの小さな家が建てられている。
 
      聖母マリアの家への道       道端に聖母マリアのブロンズ像。
   

 

    5,6人入ればいっぱいになるほどの小さな家。入り口も1人づつ
      

 聖母マリアの家の内部 内部は撮影禁止のため画像で紹介。
  
 祈りを捧げる人は後を絶たない。
 キリスト教の信者の方にはとてもありがたい所。 ”アーメン合掌”

 

 次はエフェソスの遺跡へ
  紀元前11世紀にイオニア人が建設した良港の都市国家であったが、港が
  土砂で埋まったり、伝染病が発生したりしたため、山間部に遷都した。 
 
  ここで街は再び繁栄し、人口25万人を越える大都市に発展した。 
 街には野外劇場、図書館、体育場の他売春宿や公衆トイレの跡などが
 見られ、当時の繁栄ぶりが伺える。

 紀元前4、5世紀後頃の面影か…。    猛暑の中、訪れる観光客。
  

 
     トラヤヌスの泉、紀元2世紀    ハドリアヌスの神殿、紀元2世紀
    

         大理石の道路          勝利の女神ニケのレリーフ
  

  
         遺跡のネコ           水洗式の公衆トイレ
  
 遺跡には不思議とネコがいる!?     坐ってする下を水が流れる。 


 
       セルススの図書館          売春宿への抜け穴
  
   紀元前135年の建設         図書館へ行くと云って家を出た
                         男達はこの抜け穴から売春宿へ
                         通ったという。
 
 
        大理石通り                  大劇場
  
  図書館と大劇場をつなぐ道。         紀元前3世紀に建設。

                   海への道
      
       当時は貿易で莫大な富を得た。
        今は、海は遠く後退して、当時の面影なく、風蕭々

 

 エフェソスの遺跡は足元が大理石で綺麗ですが滑りやすく
 スリップ注意!!遺跡観光も大変で<(; ^ ー^) マイッタマイッタ...
  
  出口でざくろジュースで一息入れて皮屋へ

 

        皮のファッションショーに参加
       
   
久し振りに昔を思い出して、日本人のお客様の為に・・・
   飛び入りで遊んでみました。

           夕方現地ガイドさんとティタイム

       
        カプチーノはトルコでも美味しい
        トルコのタバコは強くて(;`O´)oダメーーー

         さぁ!夜はアテネに向かって出航!


イスタンブール(トルコ)

2007-11-10 11:01:51 | Weblog

10月3日イスタンブールの街並みが見えてきました8時入港

             朝焼けのイスタンブール船上より撮影
      
    

      ブルーもスク                 トプカプ宮殿
   

  
  

  イスタンブールは

イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市。
その中心を貫くボスボラス海峡は黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいます。
イスタンブールは、かってローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都でした。そのため過去の遺産が数多く、
宮殿、教会、博物館、偉大なるモスクなど美しい自然と共に魅了されます。


 

     8時30分上陸、イスタンブール市内観光。

             
              ブルーモスク全景 
       
      優雅な6つの尖塔をもつスルタンアフメット・モスク。
      1609年~1616年に建築。 ブルーモスクとは内部の壁が、
       美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから。

       
      
      回廊                回廊下     

    
直線と円形が調和する回廊。信徒は回廊の水場で手足を清めてモスクに入る
 

   私達も靴を脱いで(靴入れの袋を下さる)中に入る。
  w( ▼o▼ )w オオォォ!! 感嘆に値する素晴らしさ!
                    (ノ゜⊿゜)ノびっくり

       

        天井                  床の絨毯

       
 唐草模様が連続して織りなすドーム。     床に敷きつめられた絨毯は
                            遠くエチオピアから運ばれて
                            来た物。

 
 モスクの中は大勢の人が右往左往して居るが、塵一つなく本当に、
 美しい祈りの広間の感じ・・・!!これは写真では伝えようがない。
 

  
  
    次は隣のアヤソフィアに移動。
  
                  アヤソフィア
      
       アヤソフィアは「聖なる知恵」の意味。
       東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の
        時代に東方正教会の大聖堂。現在は博物館。

     
       天井               モザイク画
   
 一見モスクに見えるが      4世紀から教会として15世紀からは 
 キリストとマリアが、        モスクとして使われてきたこの建物には
 画かれている。           到るところにモザイクが見られる。
 

 トプカプ宮殿                    

      オスマントルコ大帝国の支配者が居住していた宮殿。
       中は広大な面積。現在は博物館

    
                 
トプカプ宮殿の門 
      

   
         宝物              タイルの壁画 
        

  
       タイルの柄               日本の有田焼
  
 
宝物は4部屋に飾られて、警備兵に守られ撮影禁止。
 ダイア・エメラルド・ルビー等、各種類の大きな宝石が、玉座は元より
 あらゆる物に使われている。

 目を見張る。これぞ宝物といえる品々。始めてみた\(◎o◎)/!
 (⌒▽⌒;) オッドロキー

  

  金角湾を背にー
  かって
王達は角(つの)状の湾に落ちる美しい陽をどんな想いで
   眺めたことであろう・・・・              
   
                                   見晴台


  トプカプ宮殿の王や后達に思いを馳せている内に帰船の時間が
  迫ったので慌てて、かの有名なバザールに出かけた。

 
                  
 バザール風景
       
       掘り出し物は・・・・ヽ(~~~ )ノ ハテ 

 

             

             イスタンブールのサンセット 
                    
      
      18時、エメラルド・プリンセス号は サンセットと共に、
     夢多いイスタンブールを後に出港してゆきます。

    
              いつか、また来たい街 イスタンブールよ!!


残念!! ミコノス島(ギリシャ)

2007-11-09 16:11:12 | Weblog

10月2日ミコノス島(ギリシャ)入港予定
   
  しかし入港予定の7時はとうに過ぎても、海は白波も立ち、
  荒れ模様、やはり港に接岸できず、テンダーボートも下ろせないとの事で
  残念ですが、またもや寄港できずに次の港へと向かう事になりました。

    

     ガッカリしてロビー・ティルームに休む人たちの船内風景    

    

             

               有名なミコノス・カトミリの風車          

         
        2004年6月の地中海・エーゲ海クルーズの時の写真 

            

 

           サントリーニ島のスライドショー ←クリックしてd(^-^)ネ!
       
       
2004年に撮影した写真をPDFでスライドショーにしたものです。
       ミコノス島に近い大変美しい島です。
       ご覧になった後は「戻る」で戻って下さい。

 

 サントリーニ島】
 サントリーニ島はミコノス島と並んで、エーゲ海で最も人気のある島です。
 火山の大噴火によって島の中央部が海中に没して、古来よりアトランティス
 大陸沈没の伝説があります。

 この島の街には、おしゃれなホテルやレストラン、カフェバーがあり、
 ことに白い鐘楼や青いドームの屋根はコバルトブルーの空や海に映えて、
 まさにメルヘンの世界です。

 

 

今日も終日航海になりそれぞれ思い思いに船内で過しましたが、
本日のディナーは16デッキのイタリアンレストラン、サバティニー
です。

    「 サバティニーはイタリアの代表的レストランです。
    パリ・ニューヨーク・東京等各国にあります。 東京は青山にあります。」

 

           サバティーニの食事風景
    
    すこぶる美味しいイタリヤ料理に舌鼓して・・・
     予は満足・満足!! 最高

   

    明日は待望のイスタンブール(トルコ)に入港だ!!

 


フォーマルの夜

2007-11-06 17:40:41 | Weblog

 10月1日終日航海
  
  
エメラルド・プリンセスは地中海からメッシーナ海峡を通ってエーゲ海を
  
航行してギリシャに向かっております。
  

  今日は船長のウエルカムパーテーがあって、夜はドレスコードが、
  フォーマルの日です。
  夕方から装いも新たに船内は華やかになりました。

 
    
   テーブルのみなさん”おめかし”してこれからディナーでーす。 
 
  
 
 食事の後は船長さんのご挨拶があり、シャンパンが振る舞われました。
    ショーを楽しまれる方・ダンスに・バーで一杯の方
    
静かに音楽に聞きほれる方・お買い物にそれぞれ楽しんでいました。

     
          カジノで頑張る方も      カジノ風景

   

  夜遅くまで船内は賑やかな雰囲気で各国の方が入り乱れて、
  日本では見られない国際的な雰囲気でした。
    
         w(゜o゜)w オオー!これこそ外国船の船旅

   

   今日も楽しい一日が過ぎて行く・・・ξ・◇・ξ/~~~ オヤスミー

 

 

 


世界三大美港の ナポリ

2007-11-04 14:30:41 | Weblog

9月30日(日) ナポリ入港。
  
  昨夜7時に出航、波はモデラートで滑るように朝7時にナポリ港へ。
  朝から強い日射しで暑くなりそうε-(´o`;
   バスでナポリ市内を観光しながら、ポンペイの遺跡へ。
 
日曜日で道路はスイスイ。
 
 
ナポリは、
 南イタリア最大の都市で、世界三大美港の一つ。 カンパーニア州の州都。 
 ベスビオ火山の噴火によって火山灰に埋もれたポンペイの遺跡や風光明媚な
 カプリ島及びソレントの観光地に近く、南イタリアの観光の拠点になっている。
 紀元前7世紀に古代ギリシャがネアポリス(=ナポリ)という町をつくり、その後
 ローマを始め、各国の支配を受けた。度重なる外国支配により、様々な文化
を融合し、独自の文化と処世術にたけたナポリ気質を生み出している。

                

        夜明け、サンライズにベスビオ火山のシルエット。  

 

    ナポリ港                夕暮れのナポリ港                

 

美しい港ナポリ、感動!しました。
海岸よりナポリの高級住宅地を臨む。

 

          「卵城」                    ヌゥーボー城
 
  
     サンタ・ルチア港の城。          13世紀、アンジュー家の城。
     基礎にに卵が埋め込まれ
     この卵が 割れるる時は
    ナポリも滅ぶという伝説がある。

 

 ポンペイは、
  ナポリから車で30分ほどのところ。
  約1900年前ベスビオ火山の噴火により一瞬にして士の灰に閉ざされた
  街です。
  道には水を運んだ鉛管や轍の跡、道路標識が当時のまま残されています。 
   また、ジュピターの神殿や悲劇詩人の家、浴場や商家など数多くの遺跡が 
   生々しく残っています。

             

                           紀元2世紀に造られた大劇場

        
         5000人収容。この他にも1000人 収容の小劇場も。


        市街の街路            車道の手前の凹は轍の跡

  
  
  石畳の両側は一段高い歩道
  中央の車道は低くなって
  雨の水はけがよくしてある。                       

   

              フォロ(広場)の中央                       フォロの西側の柱廊。

     
      正面にジュピターの神殿跡があり
      取り巻く
   東、西、南に回廊があったという。

  

        フォロの東側柱廊        貯水槽フォロの東側柱廊

       
     家に入ると床が四角に掘られて雨水受けになっている。
   屋根は木材で出来ており、天井は雨が入るように開けられていた。

 

                     居室に残る彩色の壁画

                  

    
             数多くの壁画が綺麗に残っております。

 

   浴場冷水、温水、熱水浴があって        水道管
     男女別になっている              道路側にひかれた鉛管。
   隔壁には 管を通して暖房の跡も。 
  
  

    

      パン屋                     酒屋
                                     
 小麦を挽く大きな石臼             円い凹はワインの壺が
ロバや奴隷(市民の半分は奴だった)     入れられていた跡。
に挽かせたのであろう。
   
  


           娼婦の館                 うずくまる人

                                
   壁画が鮮やかに数多く残っている        火山灰に埋まって                    
                               そのままの姿で。                              

            
                     全員集合
       

      皆さんお天気も良く石畳に跳ね返る日は40度近く、ほんとに
       暑い一日でした(~Q~;)。 お疲れさん!(;^_^…
   
  私は35年以上前に始めてヨーロッパ旅行をした時に、ポンペイの遺跡に
  
参りましたが、こんなに整備されていなかったように様に思いました。
  記憶もハッキリしていないので頑張って観光しました。
  再びくる事はないような気がして・・・

  19時船はナポリ港に別れを告げて、メッシーナ海峡
  
(イタリアのブーツの先)を通り地中海をギリシャに向かって航行します。
  明日は終日航海です。

   
   ナポリよ!サヨーナラー(_´Д`)ノ~~.。・:*:・゜`☆、。・:*:・゜`★*

      

   


旅はローマへ!

2007-11-03 20:49:44 | Weblog

  9月29日(土) チビタベッキヤ(イタリア)入港。
 
昨夜8時にラ、スペツィア(イタリア)港を出航、やはり海は荒れて波は高い。
朝7時にチビタベッキヤ(イタリア)港に入港、まだほの暗い。
        
下船して、バスで市内を観光、予定はコロッセオ、フォロ・ローマ
        サン・ピエトロ寺院の予定。

 私はローマは再三来ているし、同じ所の観光ばかりなので、下船しないで、
 船の中でゆっくりすごす事にした。
 多くの人が下船したので、船中はガラガラ、ショップも閉店。
 プール・アスレチック・サウナ・ビュウーティサロン・レストランは営業。
 
日本から持ってきたパソコンで、メールを打つのに挑戦する事にした。
 
5階のパソコンルームに出かけて説明どうりにシーバスカードを、
備え付けのパソコンに入れて、ネームとIDを取る。
これが英語の苦手な私には一苦労\(^^;)...マァマァ
 
自分のパソコンのインターネットをクリックすると、画面が変わって、
ネームとIDを聞いて来る。
ネームとIDを打ち込むと接続画面が出て、コンテンツをクリックすると、
下にドルで金額が0.02$と出てきた。
 
接続出来たのかと心配しながらniftyの画面を出してみる。
繋がったと喜んで、
メールの送受信をクリック、溜まっていた20本近いメールが入って来た。
次に始めに出た画面を出すと金額が出る。
この間5.6分のような気がしたが、6,50$と出てきた。
慌ててロングアウトをクリックして、接続を解除した。

カウンターで聞いていたのは、1分0.50$だったが・・・(・_・")?
 
友人は1回毎に金額を調べなかったので、下船の時の請求書でビックリ
したから気を付けるようにと言っていた事が良く解った。
 
         ←船のパソコンルームでの私
 早速お部屋に戻って写真付きメールを書いた。
停泊中の船からは接続時間が掛かるので、出航してからの方が良いのでは
との事で夜になって送信したが余り金額は変わらなかった。
 
  ローマ観光
                             サンピエトロ寺院 
           
          2004年6月の地中海・エーゲ海クルーズの時撮影          
 
 
コロッセオは、
  古代ローマ最大の建造物で高さ50m、周囲527mの円形競技場。
  ヴェスパシアス帝が紀元72年に着工し、息子のティトウス帝が紀元80年に
   完成させた。
  1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式と異なる様式。 
  ここで劔闘士とと猛獣の死闘が繰り広げられたのは有名。
 
 
                          
             コロッセオ外観 高さ50m、4階建て。 
             
 
 
 
コロッセオ内部 5万人収容。                  コロッセオ猛獣の部屋
日射しの強い時はテントで覆った。         競技場にはセリ上げで上げられた。
     
 
   
             柱頭 ドーリア式                           柱頭 イオニア式
          
 
フォロ・ロマーノは、
  帝政ローマ時代に政治、経済、宗教の中心だったところ。
  ジュリアス・シーザー等将軍が凱旋パレードを行った聖なる道。
  またブルータスがシーザーを刺した元老院、戦士カストールを、
  祭った神殿などがある。

 
                  フォロ・ロマーノ ウェヌスとローマ神殿(柱の部分)
                
 
 
  アントニウスピウスと            
  その妻に捧げられた神殿。        シーザーの遺体が火葬に伏された場所。
       
 
 
  
  カストルとポリュスの神殿の柱。            コンスタンティヌス帝の凱旋門。  
       
 
 
コンスタンティヌス帝の凱旋門。コロッセオを出て前方にフォロ・ロマーノを望む
     
           今回の写真は観光に出かけた主人が撮影したものです。
     
   エメラルド・プリンセス号は19時ナポリに向かって出航