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GDPが日本を抜いた中国・・・

2010-08-19 | clipping
サーチナ|GDPが日本抜いた中国、目立つ「有頂天になるな」の論調 2010/08/17(火) 16:54
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0817&f=national_0817_140.shtml


  内閣府が16日に発表した日本の2010年4-6月期の名目国内総生産(速報値)は米ドル換算で1兆2883億ドルで、同期の中国のGDP(1兆 3369億ドル)を下回った。中国でも大きく報道されたが、「1人当たりでは、日本の10分の1に過ぎない」などと、「有頂天」になるべきでないとの論調が目立つ。

  多くのメディアが「中国のGDPは、1人当たりでは日本の10分の1」と紹介。経済参考報は、中国が経済規模で世界第2位になったことは「一里塚としての意義があるが、1人当たりのGDPでは米国や日本にはるかに及ばない」、「中国経済には解決せねばならない問題が山積み」との声が多いと紹介した。

  中国新聞社は、トウ小平が唱えた「韜光養晦(とうこうようかい)」、「永不称霸」の言葉は、今も現実的な意味を持つと論じた。「韜光養晦」は、「日の当たらないところで力を蓄える」の意で、「永不称霸」は「力ずくで支配権を握ることは、永久にしない」だ。

  中国新聞社は、GDPが世界第2位になったことで「1人当たりのGDPは、世界平均の5割程度。中国は得意がるべきでないし、(自らの経済発展に)酔いしれてはならない」(香港・文匯報)、「GDPが第2位になったことは、ニュースとしての価値はあるが、経済的な意味合いはない」(シンガポール・星島日報)など、世界各地のメディアの見方も紹介した。

  中国国際放送は専門家による座談会を紹介。出席者らは中国の成長は改革開放の30年の成果と評価した上で、「日本と中国には、まだ差がある」と指摘。「平均的な日本人の教育レベルは、中国人よりもはるかに高い」、「経済規模は、判断のための1つの数字だが、経済の質、持続可能性、環境や資源利用の問題を見れば、日本と中国の距離は、いまだに非常に大きい」、「日本は問題を処理する際には系統的・合理的で、人間性も配慮する。中国は日本を見習わねばならない」などの考えを披露した。(編集担当:如月隼人)

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ニュースな英語|「中国がついに日本を追い越した」と英語メディアは大々的に 日本にとっての幸せとは 2010年8月17日(火)13:30
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20100817-01.html?fr=rk


英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週は「中国がついに日本を追い抜いて世界第2位の経済大国になった」という報道についてです。日本の主なメディアは「4~6月期の名目GDPで日中が逆転したため、 2010年の日本は中国に抜かれる可能性が高まった」という抑制的というか素っ気ない報道ぶりだったのに対して、一部の英語メディアは「中国、日本を抜いて2位に」とかなり派手に書き立てました。それを読みながら私は、日本における「幸せって何だっけ♪」とグルグル考えていました。(gooニュース 加藤祐子)

○日本ではあきらめの空気?

英仏の極右党首らに靖国神社を参拝されて、祀られている兵士たちはどう思うのだろう。これはなんというアイロニーに充ち満ちた事態だろう。そう思い、そういうコラムを書くつもりで英語メディアを見ていた日本時間16日昼過ぎ、『ニューヨーク・タイムズ(NYT)』紙サイトを開いたら、「China Passes Japan as Second-Largest Economy(世界第2位の経済大国として中国、日本を追い抜く)」という見出しがサイトの一番上から目に飛び込んできました。

おお、ついに……と思い、急ぎ今週のテーマを変更。考えてみればフランス国民戦線のルペン党首やイギリス国民党のアダム・ウォーカー氏が靖国神社を参拝して、彼ら独自の愛国精神を語ったという顛末については、「なんと奇矯なアイロニーか」という以上に特に語りたいこともないので。

対して「中国は近々、日本を追い抜いて世界第2位の経済大国になる」という予測はもうここ数年来、ことあるごとに英語記事で目にしてきた表現だったので、「おお、ついに」という感慨がありました。あまりに「いよいよ中国が抜くぞ」と言われ続けていたので、むしろ2009年中にそれが実現しなかったことに肩すかしの感さえあったほどです。

今年の初めにはたとえば英『エコノミスト』誌のビル・エモット元編集長が『タイムズ』紙で、「日本経済は世界第2位の地位を中国に失うだろうが」、「実際に中国がいつ日本を追い越すのかというタイミングはたいして重要ではない。日本がドイツを追い越した時のことなど、学者以外誰も覚えていない。人口の多い国の経済規模が大きくなるのは当然のこと」と書いていました。

確かに日本がいつドイツを追い抜いたのか私は即答できないし(いま調べたら、1968年だそうです)、2010年4~6月期や2010年8月16日という日付を後世が記憶するかは心許ない話ですが、いずれにしても、内閣府が16日に日本の4~6月期の名目GDPが同期の中国を下回ったと発表したことについて、NYT記事は「目覚ましい成長ぶりを30年にわたって続けた中国は、第2四半期に日本を追い抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった」ときっぱり断定。「この一里塚は、もうかなり前から予期されていたこととはいえ、中国の台頭が本物であり、世界は新しい経済超大国の存在を受け入れなくてはならないのだと示す、何よりの証拠だ」とも。

記事では米有力シンクタンク「ピーターソン国際経済研究所」のエコノミストが「とてつもない意味合いのあることだ。ここ10年来ずっと進行してきた現象を再確認するものだ。つまり中国が、日本を経済的に上回りつつあるということ。中国周辺の国々にとって最大の貿易相手はアメリカでも日本でもなく、中国なのだ」とコメントしています。

(ちなみに英語うんちくですが、中国が日本を「上回りつつ」と訳したのは「eclipse」という単語。日蝕とか月蝕の「蝕」も「eclipse」。つまりAがBを覆い隠してしまってその光が外に届かなくさせることを意味します)

記事は、「1980年代には日本経済がアメリカ経済を追い抜くかもしれないという話もあったのに、その後の日本経済は10年以上の長い停滞に陥った。日本経済は成熟し、人口の高齢化は急速に進んでいる。対して中国は急激な都市化のまっただなかにあり、生活レベルははるかに低く、成長の余地がたくさんある」という分析も紹介。さらに中国がアジアで圧倒的なだけでなく、アフリカや中南米においても「世界経済に大きな影響力を発揮している」という、元国際通貨基金(IMF)中国担当のエスワル・プラサド教授の見解をも紹介しています。

そしてさらにNYT記事は、「日本では、あきらめの空気が漂っていた(In Japan, the mood was one of resignation)」と。しかも、中国に取って代わられつつある日本自身が、中国の経済成長の恩恵を受けているのだと。

確かに。たとえば日本の小売業がいかに中国の経済発展の恩恵を受けているかについては、東京の銀座をふらりと歩けば、もうこれでもかというほど分かりますから。ニコニコ嬉しそうにたくさんの買い物袋をぶらさげている人たちがいたら(それこそ、よくぞ1人の人間がそんなにたくさんの袋をぶら下げられるものだと感心するほどたくさん)、その人たちはほぼ間違いなく中国語を話していますから。

○中国内でも「行動と物言いに気をつけよう」と

話が飛びました。米『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』紙はNYT記事に比べると抑制的で、「中国の総生産、日本を超える(China Output Tops Japan)」とまずは客観的な事実のみを見出しにしていました。

「中国は今年中にも、日本を追い抜いて世界第2位の経済大国になるだろうと予想されている。まだ発展途上の国、しかも成功だけでなく周囲との緊張関係もはらんでいる国にとって、前例のない立場だ」と、記事の論調もきわめて抑制的です。

そして、中国はその巨大な規模ゆえに世界経済の方向性そのものに影響を与えるし、中国の決定は(消費財の買い入れから、為替・金利政策の変更に到るまで)遠い外国にも影響を与えるのだとも。そのため、特に中国の外交関係者の間では、中国の経済力は周囲にとって魅力的である裏腹に脅威ともなり得るという自覚があるのだと。たとえば清華大学の劉江永教授は、「我々が良い国で良い国民なのだと世界に認めてもらうため、中国は自らの行動と物言いに気をつけなくてはならない」と話しているのだと。

大国には大国らしい振る舞いがあるという一種の帝王学ですね。同時に、バブル期の日本人が金にまかせて海外でみっともない振る舞いをしているのがみっともない――という論がバブル当時の日本にあったのも、懐かしく思い出します。

さらに記事では、オーストラリアの独立シンクタンク、ロウィー国際政策研究所のアンドリュー・シアラー上級研究員が「中国の場合、自らの経済力をソフトパワーに転換していく能力に限界がある」と指摘。WSJも、経済力拡大を背景にした中国の海軍増強が、韓国やベトナムやオーストラリアといった周辺国に危機感を与えていることを指摘しています。

つまりWSJはけっこう慎重で、けっこうネガティブな指摘をしていると。一方でNYT記事が触れたネガティブなこととは「中国はauthoritarian(権威主義的、独裁的)な政府」だというだけで(しかも文末)、しかも「だから大胆な景気刺激策や特定産業への集中投資」などが断行できると、なんだか妙にポジティブな書き方です。

NYTとWSJの論調の違いについては、リベラルで民主党寄りなNYTは(中国の人権問題には困りつつも)親中的、保守で共和党寄りなWSJは中国共産党を快く思わず――というのが伝統的なステレオタイプであるのは承知していますが、その違いがここでも表れたのかどうか興味深いところではあります。

NYTとWSJのニュアンスの違いについて『フォーブス』誌のエプスタイン北京支局長もやはり、NYTは華々しく中国の第2位台頭を書き立てているのに対して、「WSJは控えめだ」と記者ブログで。

しかしそもそもが、とエプスタイン氏。日本と中国の経済についてもうみんな分かっていることを「四半期の統計」にいちいち確認してもらう必要があるのだろうかと。中国がすでにアメリカに次ぐ世界経済の中心だというのは、もうみんな分かっているのだし、むしろ成長を求めるあらゆる大企業を吸い寄せるという意味では、中国が第一の中心だろうと。中国が何かを大量輸入するようになると、その世界的価格が上昇するという現象は、これは2010年の第二四半期に始まったことではなく、過去10年間のほとんどを通じてそうだっただろうと。

加えて、統計数字上で中国が日本を追い抜いたと言っても、そもそも中国の場合、その数字がどこまで正確なのか分からない。だから正確にいつ追い抜いたかを把握するのは、実は無理なのだと。けれども、中国経済と日本経済が世界に与える影響力の大きさを比べれば、「日本経済がどうなるかよりも、中国経済がどうなるかの方が、私たちには大きな意味を持つ。それはここしばらくずっとそうだった」と。つまり、統計経済ではなく実感経済の答えは、もう出ているのだという論調です。

同支局長はさらに、マイケル・ペティス氏の「China Financial Markets」ブログ記事を引用し、「中国の驚くべき台頭もさることながら、日本の驚くべき衰退の問題でもある」と指摘。そこに未来の中国にとっての教訓があるかもしれないという、警告です。

中国でも日本のようにバブルが崩壊するかもしれないというのは、昨年夏にも指摘の声があり、こちらでご紹介しました。ただし国土にしろ人口にしろ、国の規模が日本とは違いすぎる、バブル崩壊の衝撃を受け止めるクッションが日本よりもありやしないか……とも思います。

○幸せって何だっけ?

ちなみにNYTと同じタイミングで16日昼過ぎにウエブ掲載されていたFT記事は最初はWSJ以上に慎重で「中国は日本を追い抜いたのかもしれない」と書いていたのですが、同日夜に見直した時には同じ記事がすっかり書き変わり、「Chinese economy eclipses Japan's(中国経済、日本を追い抜く)」となっていました(NYTと同様にここでも「eclipse」の単語が)。

いわく、4~6月期の名目GDPで中国が日本を上回ったので、2010年について「中国が正式に日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になる可能性が高まった」と。

こちらのFT記事でも元IMFのプラサド教授がコメント。「いま追い抜いたというのは、実際の意味合いよりもシンボリックな意味合いの方が遙かに大きい。影響力と勢いにおいて、中国はもうずっと前に日本を追い抜いていたのだから」と指摘しています。

そしてこのFT記事も、日本政府が発表する経済統計は一般的に正確で信頼できるが、中国は経済規模を2割程度は控えめに報告している可能性があると。さらに、国の経済力の指標としてより意味のある購買力平価(PPP)を比べれば、中国は10年近く前に日本を追い越していたと。その一方で、欧州連合(EU)を単一経済圏として数えるなら、中国は世界第3位で、その位置づけは当分変わらないだろうとも。

つまり、どの統計数字をどうとるかで、中国がいつ日本を追い抜いたのかも、世界で何位なのかも変わるけれども、上述のフォーブス誌支局長が言うように、実感としてはもうとっくに中国は日本を追い抜いていたことに変わりはないようです。

それは繰り返しますが、銀座をぶらりと歩くだけで確かに、もうこれでもかと実感できます。ただしFTによるとその一方で、国民1人あたりのGDPで比較してしまうと、日本はいまだに中国の10倍以上なのだそうです。けれども、嬉しそうに中国語で会話しながら銀座で買い物を楽しむ人たちの元気パワーを見ていると、「買い物するのが楽しい!」というこういう気持ちを日本人があまり持たなくなって久しいなあと思います。

ただし……。「買い物しなくても楽しいことはたくさんある」と知ることは、日本人にとって決して不幸なことではないと思います。「お金は必要な分だけあればいい」とも思います(あのブドウは酸っぱかったんだいというイソップのキツネ的な気持ちも多少ふくまれていますが)。

つまり、明治維新から100年たって達成した「世界2位」の地位を、それから42年にして失った(あるいは失うだろう)私たち日本人は、「幸せって何だっけ?」という大命題を改めて考える分岐点に来ているのかもしれません。靖国に祀られている人たちにも、「ああ確かにいまの日本人は幸せだねぇ」と言ってもらえる国とはどういう状態のことなのか。ポンズ醤油があれば幸せというのも、それはそれでひとつの心の在り方だと思いますし。

◇本日の言葉いろいろ

・eclipse = 蝕、何かが何かを覆い隠す、上回る、輝きを失わせる、しのぐ、凌駕する

◇筆者について…
加藤祐子 東京生まれ。シブがき隊や爆笑問題と同い年。実は奥田民生とも。8歳からニューヨーク英語を話すも、「ビートルズ」と「モンティ・パイソン」の洗礼でイギリス英語も体得。オックスフォード大学修士課程修了。全国紙社会部と経済部、国際機関本部を経て、CNN日本語版サイトで米大統領選の日本語報道を担当。2006年2月よりgooニュース編集者。フィナンシャル・タイムズ翻訳も担当。英語屋のニュース屋。