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「丸ごと戦後世代」の政治時代

2010-10-16 | clipping
Study of History|「丸ごと戦後世代」の政治時代が到来 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月13日(水)16時48分36秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9037

 
・・・ さて、昨日から衆院予算委員会で質疑が始まっています。
 昨日の午後、自民党の3人の質問を聞いてみました。
 石原幹事長、石破議員、河野議員。
 インターネットでいつでも聞けます。
 http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php

 三人とも若い世代です。
 それで思ったのは、心配していた「メイド・イン・USA」の世代の時代になってしまった、と。
 アメリカ占領軍がつくった「戦後日本」を丸ごと前提にして、自分の思考を組み立てる世代の登場、です。

 日本国憲法に依存しての日本国の主権を説いても、その発想を作ったのはアメリカ占領軍、という構図です。
 これで、どうして戦後の日本を対米従属から解放できようか。
 ああ、もう、完全にこれでマッカーサーの日本改造計画が完成してしまいました。

 3人の中でも石破氏の議論が面白いと思い、再視聴してみたのですが、かえって仙谷官房長官の法学の知識に圧倒されるところが明白になっただけでした。
 石破氏の場合は、二重にアメリカに縛られています。
 その発想の全体を日本国憲法に依存していること。
 そして、安保体制の中でしか考えることが出来ないこと。
 これでは、同じ条件の中にいる仙谷氏のほうが、論争的には優位です。弁護士なのですから。

 本当は、石破氏の主張が正しいと私は思うのですが、残念ながら、石破氏は、それを仙谷氏の知識の壁を越えて展開できません。
 たとえば、尖閣諸島事件では、刑法が優先か、内閣法が優先か。
 内閣法とは、第73条が内閣の仕事の一つに「外交関係を処理すること」と定めています。
 石破氏は、この憲法の規定をどう思うか、と質問するわけですが、仙谷氏が、それは73条のなかの一つでしかない、と答弁します。
 すると、石破氏は、自分が何を言いたいのかわからなくなってしまう、と。

 言いたいことは、衝突事件は、地検が扱う性質のものではなく、内閣の専権事項だろう、ということでした。
 しかし仙谷氏の答弁を聞いて、引っ込めてしまいました。
 自分で作った憲法でないことの悲劇です。
 この分だと、「憲法守って、国滅ぶ」の時が、遠からず、やってきます。

 そうならないためにはどうしたらいいか。
 私たちは、時代感覚のスパンを拡張する必要があります。
 私たちが事実として生きているこの「戦後」という時代を、一度、戦前や幕末、戦国時代と同じように、歴史的時代として感じて見る、ということです。
 あの時代は、まるごと、「アメリカ時代」だったなあ、と。アメリカ人によってつくられた憲法の中で、アメリカ軍によって守られながら、ワシントンの意向を気にしながら、日本社会の何もかもが動いていた時代だった、と。

 自民党の3人組は、これをあたかも「自然現象」のように呼吸しています。
 私にはそのように感じられました。
 こういう世代が政治のトップに立つ時代がついに来た、と感慨を覚えました。
 すなわち、戦前の日本国が本当に「独立」していたことの実感を持たない日本人だけが政治を動かす時代の到来、です。

 では、民主党はどうか、といえば、脳死です。
 仙谷官房長官の限界。
 中国船長を処分保留のまま釈放したことは、今後、船長を日本の法廷に引き出すことはできないと、その時点で判断した、と。
 「法律守って、国滅ぶ」と。(刑事訴訟法248条)。

 戦後の日本はいかに対米従属しているか、を整理すると同時に、いかにしたら、私たちは対米従属から解放されるかの「方策」を整理してみる必要があります。
 そうでないと、戦後世代ごと、日本沈没です。私も戦後世代の一人ですが、だからこそ、そうすることが戦後世代の日本史の全体を通して存在した日本人の世代への責務です。
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Study of History|「丸ごと戦後世代」の何が問題なのか 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月13日(水)20時47分54秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9038

 
 話題を2つ。
 1 なぜ戦後の日本人は国家意志を失ってしまったのか。
 2 「丸ごと戦後世代」の何が問題か。

 2の問題から行きます。
 さきほど、昨日の自民党議員の3人組が全員、戦後世代になったと書きました。
 念のため、具体的に明記しておきましょう。

 石原伸晃(のぶてる) 1957年生まれ。父親は、御存知、石原慎太郎・東京都知事。この人は、1932年生まれ。
 石破茂 1957年生まれ。父親は、建設事務次官や鳥取県知事を歴任した石破二朗。
 河野太郎 1963年生まれ。父親は、1990年代の野党時代に自民党総裁を努めた河野洋平。1937年生まれ。

 自民党3人組は非常に若い世代です。
 私にとっては、自民党の政治家と言えば、父親の世代が普通です。(とはいうものの、今、リストアップするまでは石破茂氏の父親が政治家だったとは知りませんでした。)
 ということは、この3人組は、そろって二世議員でもあるわけです。

 で、「まるごと戦後世代」となるわけですが、この何が問題か。
 たとえば石破議員の質問を見ると、明白に「国民主権」という言葉が口にされます。これは、もちろん、戦後世代としては当然のことです。私も戦後世代であり、生まれた時から、日本国憲法は存在しました。だから、国民主権は当然です。
 では、このことの何が問題か?

 というと、戦後世代だけを見れば、日本国憲法は、あたかも地球がこの宇宙に誕生した時からあったかのように扱われる、ということです。もちろん、教科書的には、日本国憲法の誕生日は1947年5月3日であると周知されているわけですが、戦後世代にとっては、自分が生まれる前のことであれば、占領中だろうと、奈良時代だろうと同じことです。ずっと昔からあった、という感じになります。
 まさに石破議員が、日本国憲法を根拠に「国民主権」をそのように口にするところが、私には、問題である、と思えるわけです。
 なぜか。

 日本国憲法が規定する「国民主権」は、日本人の思想史にとっては突然変異でしかない、という点です。日本人の思想史を見ればわかる通り、このような思想は、日本人のだれ一人として口にした人は、占領軍が来日するまで、いませんでした。
 せいぜい明治期の「民権」運動があったくらいです。しかも主権は国民にある、などと彼らにして口にしませんでした。

 したがって戦前の世代であれば、いかに戦後の時代になって日本国憲法が「国民主権」を規定し、自分がその中で生活するようになっても、国民主権の来歴はしっかりと意識されていました。
 これはどこかから日本人にやってきたUFOのようなものだ、と。
 だから、たとえば憲法学者の樋口陽一のような学者が、日本国憲法の意味、国民主権という思想の意味を、必死になって研究するはめになったわけです。樋口氏の前にこの研究に必死になったのが宮沢俊義でした。≪8月革命≫説の提唱者です。1945年8月に、日本人の憲法意識に革命が起きた、という説の提唱者です。

 宮沢説の是非は今は別にして、とにかく戦前の世代であれば、戦前と戦後の日本は違う、とこの1点だけでもわかったわけです。
 ところが、「まるごと戦後世代」の場合はどうでしょうか。
 実感として、日本国憲法を相対化できる体験がありません。
 しかも、それが自分たちの先輩たちの長い歴史の中で育まれてきたものであれば問題はないのですが、突然変異として日本人の中に出現したのでした。
 すると、どうなるか?

 私が心配するのは、これぞ、思想的に見た「対米従属」要因ではないのか、ということです。
 アメリカ占領軍が提供してくれた思想の上に現在の私たちはある、と。
 おまけに、アメリカは、軍隊をも日本に配置して、日本人の安全を守ってくれている、と。

 昨日、防衛大臣を務めた石破氏の質問をじっくりと聴いていて、私はそんな印象を持ちました。
 で、これは石破氏だけではなく、「まるごと戦後世代」に大方共有されているのではないか、と。

 これでは、戦後日本の対米従属からの自立は出来ないだろうなあ、と私は大きくため息をつくばかりです。
 むしろ、もっともっとアメリカ化しよう、などとなるかもしれません。
 日本はアメリカ合衆国の特別区域でいいのだ、と。

 さて、そうなると、次に問題になるのが、1です。
 なぜ戦後の日本人は国家意志を失ったのか?
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Study of History|戦後の日本人から国家意志が消滅していたことを、中国漁船の衝突事故が実証した 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月13日(水)21時33分4秒  
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9039
 

 戦後世代には一つ、決定的なハンディキャップがあります。
 憲法的に、「日本軍」の存在を体験したことがないことです。

 自衛隊があるではないか?
 笑い話があります。以前、『ニューズウィーク』誌に掲載されていました。
 日本人官僚がハーバード大に留学。
 で、小さなゼミでのこと。
 日本の軍事力が話題になると、すかさず官僚氏が声を大にして発言。
 「日本には軍隊はない。憲法が禁じている通り。」
 誰かが発言、「自衛隊があるではないか」
 官僚氏が言うには、「自衛隊は軍隊ではない」
 全員、大笑い、と。

 戦後の日本人にとって自衛隊の扱いは困ったものです。
 いっそのこと、アメリカ軍の一部隊と正式に名乗ることにしたら?
 と、憲法9条の改正を絶望視する日本人たちは、逆説的に自分の気持ちを表明してきました。
 西部邁氏的には、「アメリカ軍は沖縄だけではなく、日本本土に上陸して、それこそ日本の人口が3分の1になるまで、死闘を展開してくれればよかったのだ」、となります。
 いや、この「3分の1」のところは西部氏にはありません。私が追加したものです。

 30年戦争では、ドイツ人の人口が3分の1に減りました。
 17世紀前半の宗教戦争です。
 そこまで戦争をやりつくして、やっとヨーロッパ人たちが、宗教をめぐる戦争はやめよう、ということになりました。ここから主権国家的に見た場合の「近代」の開幕となりました。ウェストファリア体制です。

 軍隊が存在しないことは何を意味するか?
 国家意志のシンボルの欠如、です。
 なぜなら、自国を自分で守る意志を見せない国民のどこに国家意志があるか、です。
 いや、なんか、右翼のようなセリフか、これは。
 しかし、主権国家としてのコモンセンスでしょう。
 だから、戦後の日本国憲法の9条が異常なわけです。
 その異常を正気としてきたのが、戦後世代です。
 しかも、その「正気」は、アメリカ軍に守られている限りにおいて正気だった、と。

 いや、話題の主題を明示しないといけません。
 なぜ戦後の日本人は国家意志を失ったのか?

 9月7日まで、私は、安保体制がすでにその証拠だと考えていました。
 しかし、これはあまりアピール力がなかったようです。
 そこに、中国漁船が画期的な事件を起こしてくれました。
 これからはこの事件がシンボルになるでしょう。
 いかに戦後の日本人から国家意志が失われているか、の。

 中国漁船が日本の領海に侵入して操業。
 海保が、日本の領海を出よと警告。
 しかし出ないので、海保が、ビデオを見た人の話によると、二隻で挟み撃ちにした。
 そして中国漁船は逃げるに逃げ切れず、ぶつかってきた、と。
 当然のごとく、海保は漁船と乗員を捕獲。

 そして、日本政府は、「法の手続きを粛々と行う」と。
 だったら、最後までやれ、となりました。
 なぜ途中でやめたのか?

 これだけで戦後の日本国から国家意志が消滅していることの証明です。
 しかし、事件は民主党政権に国家意志が失われていたことを証明しただけのものです。
 肝心な問題は、それはなぜか? です。
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Study of History|戦前の日本人には、なぜ国家意志と日本軍の存在は自明だったのか 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月13日(水)22時37分43秒  
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9040
 

 なぜ戦後の日本人から国家意志が消滅したか?

 これを考えるには、戦前の日本人がなぜ国家意志を持っていたか、です。
 しかも、戦前の日本人は日本軍の存在を当然視していました。

 すなわち、戦前の日本人には国家意志も明白にあり、日本軍も存在しました。
 戦後の日本人には、どちらも消えました。
 誰がそうしたのか?
 といえば、アメリカ占領軍です。

 そうには違いありませんが、統治論的に日本人が自分の意志の表明を禁止されていたのはアメリカ占領軍が日本を占領・管理していた期間だけです。日本の外務省はGHQを通してしか他国と口がきけませんでした。
 しかし、占領が終わった後は、アメリカのせいにはできません。
 日本人の意志が、国家意志の表明を自発的に禁じてきた、というのが正解です。
 だから、問題はそれはなぜか?

 さて、戦前の場合です。
 なぜ戦前の日本人は明確に国家意志を持ち、さらに日本軍まで持つことが出来たか?
 これは司馬遼太郎の『飛ぶが如く』を見ると、明らかです。

 当時の日本は帝国主義競争を展開する欧米列強が形成する国際社会の中に引き込まれました。開国です。
 軍事力なくては、日本国は虫けら同然に扱われます。
 幸い、日本国には武士がいました。
 ただし、武士は、国軍ではありませんでした。
 国軍は、桓武天皇が放棄しました。以来、武士は、国軍ではありません。

 それを大村益次郎と山県有朋が日本陸軍を創設することで、「国軍」を創設しました。
 国軍の頂点に立ったのは、天皇です。
 国家意志は、天皇が体現しました。

 つまり、戦前においては、国家意志と、国軍の存在は、日本人の誰にとっても明瞭でした。

 では、戦後はどうなったか?
 アメリカ軍は徹底的に戦前の日本の政体を研究して「日本改造」に進駐してきました。

 このアメリカ占領軍による「日本改造」を、さらに私たちは越えて行かないと、問題がクリアできません。
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Study of History|仙谷官房長官は、小村寿太郎か 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月16日(土)09時48分40秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9045


 おはようございます、皆さん、植田です。

 私は、戦後日本人の安全保障問題での脳死は、戦前の日本人の「軍国主義」とバランスするまで続く、と見ていますが、その証拠をついに確認しました。
 昨日の参議院予算委員会です。
 こちらもネットでいつでも見れます。
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 ヘーゲルは「歴史の中に起きることで偶然はない」と言いましたが、仙谷氏が今官房長官の職にあり、尖閣諸島沖・中国漁船衝突事故の問題に先頭に立って対応しているという事実、これはまさに偶然ではないと私は思います。日本史が要請する摂理である、と。

 で、「みんなの党」の小野次郎議員が、仙谷長官に、自分を小村寿太郎になぞらえるのはおこがましい、と質問しました。
 それに対して、仙谷長官が答えるに、自分を小村寿太郎になぞらえたことはない、と。
 もちろん、この話題は尖閣諸島衝突事件をめぐる政府の対応の質疑から出てきたものです。

 仙谷長官の答弁を聞いていると、ここは仙谷長官の言い分が正しい、と私は思いました。
 どうやら長官は戦前の日本人の反応を指摘したいようでした。

 つまり、日露戦争での講和条約を結んだ小村寿太郎が帰国したとき、日本国民はどう反応したか?
 日比谷焼打ち事件を起こした。小村全権大使がロシアと結んだ講和条約の内容が気に入らない、と。
 この事件については、故・司馬遼太郎が幾度も嘆いたものです。あの時、日本中でたった一人でも、真実を報道するジャーナリストがいれば、そういうことにはならなかっただろう、と。日露戦争での日本の勝利の実態がいかなるものだったか。薄氷の上を歩むがごときの勝利だった、と。
 ところが一般の日本国民は、「大勝利」と思いこんでいたのでした。だから、あたかも「引き分け」のような講和条約はけしからん、となりました。
 仙谷長官は、そのことを思い出せ、と説いたわけです。

 そして、満州事変ではどうだったか。
 満州事変が起き、松岡洋右が国際連合を脱退すると、日本国民は大歓声をあげた。あれでよかったのか。

 以上のように仙谷長官の答弁を見るに、「今回の尖閣諸島衝突事件での政府の対応がどうだったか、ということは、長い目で見て判断する必要がある」、と長官が繰り返し口にするときは、長官の頭の中では、今回の事件での自分の対応が小村寿太郎や松岡洋右の決断と同じ文脈の中で認識されているわけです。
 いわく、戦前の日本人の反応は異常だった、その異常さが日本を対米洋戦争へと歩ませた。だから、自分は、ここで踏みとどまらねばならない、と。これが戦前の日本史が戦後の日本人に教えた教訓であり、私はこの教訓を実行したまでだ、と。

 だから、長官の発想では、中国政府の強圧に対して「処分保留」のまま船長を釈放したのは、「弱腰」外交ではなく、「柳腰」外交である、となったわけです。日本語の意味で、相手の力をやんわりを受け流して、自分の立場をしっかりとキープする、と。

 というわけで、仙谷氏が今回、衝突事件の先頭に立っているのは、日本史の時代精神のなせるわざであろう、と私は思います。
 ひたすら、戦前の日本軍国主義に対するカウンター人物、です。あるいは、バランスをとることを命じられた人物です。命じたのは、日本史の時代精神です。
 ちなみに、ここで、今、安倍政権が健在だったらどうだったか、と想像すると面白いです。釈放しただろうか? あるいは師匠・小泉政権を見習って、逮捕したあと、すぐに強制送還してしまったか。

 で、この質疑を通して私にわかったのは、小野議員は、小泉首相の秘書官だったことでした。
 それで、「政府は、ビデオのコピーを官邸にもっているんでしょ。でなければ、細かなところをいつでも確認できないでしょ。官邸にビデオがあるはずだ。なぜ見せないのですか?」などというセリフが出てきたのでした。

 で、小泉首相の秘書官だったという小野議員の質問の中にも、私は、戦後世代の限界を思いました。
 仙谷長官が小村寿太郎のことを口にしたことの意味を正確に解釈できなかったことを別にしても、2点。
 1 今回の事件の日本国としての最終的決定権が、誰にあるのかを追求しきれなかったこと。仙谷長官にかわされました。
 2 「ヒラリー・クリントン長官が「≪尖閣諸島は日米安保の対象地域≫と明言してくれたことで、日本政府は安心できてよかったですね」と、自分でこの問題の幕を引いてしまったこと。

 要するに、この人も吉田茂体制を一歩も超え出る思考が出来ない人だった、ということです。
 そこでさっそくこの人のプロフィールを拝見したら、なんとも、典型的な日本人のエリート・コースを歩んでいる人でした。
 http://www.onojiro.jp/profile.html

 1953年生まれ。
 東大法学部卒
 警察庁
 内閣総理大臣秘書官2001-2005
 2006年から参議院当選、現在に至る。

 キャリアは見られるとおりのエリート。
 しかも、「丸ごと戦後世代」人です。

 というわけで、13日に話題にした「丸ごと戦後世代」の基準を軽くクリア、と。
 この世代の問題は、その体験から、日本国憲法と日米安保を相対化できる視点を持ったことが一度もない、という点です。
 小野氏も、仙谷長官を追求するに際して、最初から自分で自分にこの「縛り」を与えていました。

 だから、「まるごと戦後世代」は、「対米従属」を抜け出せない、となります。
 この世代は、戦後教育を受けたので、「主権在民」という思想は身体にしみ込んでいます。だから、その成果として、昨年、政権交代が起こりました。こうなると、いつでも「政治家主導」が可能です。2009年8月30日以降は、政治家が意志するかどうかの問題となりました。
 その一方、対米従属のほうは、「まるごと脳死」です。

 今後、「世代」の問題は、大きな意味を持つので、確認しておきます。
 仙谷由人 1946年生まれ

 これから「まるごと世代」による日本の政治が始まります。
 この世代の最大の問題は、いつ、国家意志を自分で立ち上げることが出来るか、です。

 占領軍が解体した「国体」に代わって、いつ、新しい戦後世代の「国体」を構築できるか。
 この場合の「国体」とは、大久保利通、伊藤博文、山県有朋が構築した明治政府の「国体」ではなく、藤原不比等が構築した「国体」です。
 明治政府の国体は、不比等戦略を焼き直しただけのものです。戦後世代は、終戦の時の憲法学者・宮崎俊義が命名した「8月革命」以後の世代です。これがあるために、政治思想的に、不比等戦略に戻れません。
 さて、どうするか。

 アメリカ占領軍の「日本改造政策」に対して、戦後世代の知能の総力戦が始まります。
 今の時点で、全敗です。