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なぜ戦後の日本人は同胞が外国人に殺されても平気なのか?

2010-10-20 | clipping
Study of History|仙谷内閣の無念の背景 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月19日(火)08時38分47秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9057


おはようございます、皆さん、植田です。

 漁船衝突事件の話題です。
 丸山議員は、この事件から戦前の大津事件を想起しました。
 同様に、昨日の参院・決算委員会では、2006年の根室沖での事件を想起した議員がいました。

 あまりこの事例のことはメディアに流れませんが、しかし、衝突事件が起きてから、日本人の漁師が射殺されたことを思い出した人は多いでしょう。メディアがほとんど言及しないというのは、自国の現状の無力を充分に理解しているからです。
 あのとき、海保は、ロシアの監視船のように銃撃をすればよかったのだが、憲法9条下、そんなことができるはずもない、と。

 本当は日本人の誰もがこのことを了解していました。
 だから、以後のメディアやネット上での菅政権の批判は、すべて茶番です。あるいは、憲法9条下で鬱屈した気持ちを晴らしているだけです。

 根室沖の事件とは何だったか。
 上坂冬子さんの『これでは愛国心が持てない』(文春新書)から引用してみます。

 「根室沖、わずか2キロ足らずの海で日本人漁師がロシアの国境警備艇の銃撃によって殺害された。それは小泉純一郎首相が念願の8月15日の靖国参拝を果たした翌日のことであった。・・
 戦後61年が経過したというのに、日本とロシアとの間にはまだ平和条約が締結されていない。日本政府はほぼ150年前に日ロ間で通好条約を締結し、そのとき互い認めた北方4島を日本の領土と主張しているが、ロシアは日本の敗戦を機に4島を乗っ取ったまま今日に至っている。日本政府は通好条約を締結した2月7日を≪北方領土の日≫と名づけて、毎年〈北方領土は日本固有の領土〉だとして国民を啓蒙してきた。
 この日ロ対立の中で、日本の漁船が国境を越えて密漁をしたかのごとく扱われ、一人の漁師が殺害されたのである。いつか起きるとおそれていた事態がついに起きたのだ。船長は国後(くなしり)島に連行されロシアの法によって裁かれた。」P.8-9


 先月の9月7日、衝突事件が起こり、翌日、海保が中国漁船を逮捕した時、日本人は誰もがこれと同様のことを日本政府は行う、と予想しました。「法に則って粛々とやる」と。
 しかし、9月25日、日本国民は政府にすっかり欺かれました。
 日本政府の対応は、2006年8月のロシア政府の対応とはまるで違いました。

 根室事件では、日本人船長は逮捕されると、48日も拘束されてから釈放。船は没収。罰金200万円。
 日本政府とロシア政府の対応のこの違いは何か?
 簡単なこと、軍事力を公認している国と、公認できない国の違い、です。

 しかし、日本人は、〈私たちは過去に大きな過ちをしたのだから、これくらいは当然だ〉と我慢しました。2006年の時点では。
 では、2010年の時点はどうか?
 団塊の世代が現役を退く時代が始まった今、戦前・戦中の実感は遠くなりました。

 中国漁船が不法操業したのに、それを名目に逮捕できずに、公務執行妨害で逮捕したということ。
 事件の最初の入り方が、まずもって戦後の日本国の姿を象徴しています。
 そして、ちょっとした中国からの圧力を見せられると、国内法を貫徹できなくなってしまう。
 ここは、何百時間や何万時間の法律解釈や講義よりも、単に軍事力の問題です。
 自前の軍事力をあてにできない日本政府は、アメリカ国家が自国に直接関係を持たない日本の領土問題には米軍を出動させないとなると、もう何もできなくなるという現状。

 で、ここまでは、早い話、日本人の誰にもわかっています。
 誰もはっきりと口にしませんが、本当は誰にもわかっている事態です。
 ロシアの国境警備艇に日本人漁師が射殺された理由も、逆に、中国人漁師を日本政府は見逃すしかなかった理由も、誰もがわかっています。

 問題はそこからです。
 なぜ日本人はこの現状を変えないのか?

 これが統治論の問題です。
 戦後の日本人を日本国民として政治的に一つにしているものは何か?
 なぜ戦後の日本人は同胞が外国人に殺されても、平気なのか?
 外国人が日本人を拉致しても、なぜ戦後の日本人は平気なのか?
 外国人が日本の領海で不法操業してもなぜ平気なのか?

 答え。
 国のかたちが壊れているから、です。

 上坂冬子さんは、これに対し、つぎのように提案しました。

 「私なりの解決策として昭和21年元旦に立ち戻るよう提唱したい。昭和天皇が、いわゆる≪人間宣言≫をした日だ。
 それまでは天皇は神とあがめられ、国のために命を捨てた国民は靖国に神として祀られることを約束されていた。だとすると、天皇が人間宣言をしたとき、靖国の祭神も当然それに匹敵する転換宣言が必要だったはずである。
 だが国家はそれをせず、マッカーサーの占領政策にそって靖国神社をそっくりそのまま単立の宗教法人にしたのである。」P.11


 上坂冬子さんは、1930年生まれ。昨年、他界されました。
 戦前の人です。
 だから、ごく当然の発想をしました。

 しかし、その提案では、戦後の日本人を一つにできません。
 宗教は個人の自由である、という日本国憲法の理念は戦後の日本人に定着しました。
 だから、靖国神社に祀られている英霊を、神と祀るも祀らないも、個人の自由です。
 英霊は、もう日本国のシンボルにはなりません。

 これが、仙谷・内閣が中国人船長を釈放せざるを得なかった最も根源的な理由です。
 戦後の日本国は、国の定義を失っています。
 だから、外国の≪力≫には屈するしかない、と。

 外国の≪力≫の前に、日本国の「法」など、単なる紙切れにすぎない、と。
 日本の法など無効だ、と中国政府が宣言し、その通りに動きました。力でそれを現実のものとしました。
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Study of History|憲法9条下で、力で攻めてくる中国政府を相手に、処分保留の釈放以外に、日本にいかなる手がある!! 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月18日(月)19時48分44秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9054

 
こんばんは、皆さん、植田です。

 きょうは午後、国会中継をラジオで聞きました。
 参議院の決算委員会です。

 いやあ、面白かったです。
 川口順子・元外務大臣の質問も面白かったし、姫井由美子議員の質問も面白かったです。
 特に面白かったのは、丸山和也議員です。
 この議員のことは、私は本日の質問で初めて知りました。
 ホームページはこちらです。
 http://maruyama-kazuya.jp/profile/

 質問は、尖閣諸島沖・中国漁船衝突事件。
 丸山氏は、仙谷官房長官と同年。そして同じ弁護士。
 だからでしょうか、実に話がかみ合っていました。
 一種の漫才のかけあいのように軽妙なやりとりでした。

 しかし、それゆえに、問題点が明確に浮上しました。
 たとえば、丸山議員が例に出した戦前の大津事件。

 ウィキペディアが次のように説明しています。

 「大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した、暗殺未遂事件である。行政の干渉から司法の独立を確立し、三権分立の意識を広めた近代史上重要な事件とされてきたが、実際にはより複雑な性質をもつ。議論の末津田三蔵は無期徒刑となり、司法大臣山田顕義は辞任した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 犯人の津田は無期懲役になったわけですが、丸山議員によれば、事件が起きた当初、明治の元勲・伊藤博文は、殺されそうになったのはロシアの皇族だから犯人を死刑にせよ、と主張したといいます。つまり、行政による司法への干渉です。
 ところが、司法は伊藤博文の主張よりも法律を優先しました。
 日本の法律には、そのような事件で犯人を処刑にするとは規定していないし、日本国内で起きた事件は日本の国内法で裁くと主張し、実行しました、その結果が、無期懲役という判決でした。
 丸山議員によれば、この日本の司法の判決は、当時、国際社会において高く評価されたということです。明治日本が、本当の「近代国家」になっていくシンボルのような事件となった、と。

 それに対し、今回の事件は何か。
 大津事件とは、真逆ではないのか。

 「仙谷さん、『法に則って粛々とやる』といいましたよね。私は、それを聞いて、驚きましたよ。もちろん法の通りにやることは当然ですが、しかし、その当然のことを粛々とやることの大変さも知っています。しかし、仙谷さんはそう言った。そして前原さん、あなたもそう言った。これはすごいことだと私は思った。1%も疑いもなく、私はこれはすごいことだと思った。『法に則って粛々とやる』というのであれば、船長は刑事訴訟法で起訴され、確信犯だから有罪の判決を受け、そのあと強制送還になるのだろうな、と私は思った。粛々とやる、というのはそういうことだから、私は当然そうなると思った。
 そしたら、また私は驚きました。なんですか、9月25日に船長は処分保留で釈放。私は、報道を疑いましたよ。ウソだろう。粛々とやると言ったではないか。これは、今後の日本に大きな傷を残しました。」
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 その通り。
 先月の事件が起きた後のほとんどの日本人の反応は、丸山議員が述べた通りのものでした。 「粛々とやる」と言ったのであれば、なぜ日本の司法は、最後まで手続きを貫徹しなかったのか。

 そこで、丸山議員は、釈放された日に、仙谷長官に電話をしたと言います。
 そして、今回の処置はどういうことだ?と尋ねたといいます。なぜ最後まで法の手続きをしない? と。
 仙谷長官の答えは、「そんなことをしたらエイペック(APEC、11月に横浜で開催予定)が吹っ飛んでしまう」と。
 で、丸山議員が続けました、「そうなってもいいではないですか。それだけの事件ではないですか」と。

 しかし、答弁に立った仙谷長官が言うには、「そのような会話はまったく記憶にありません」というものでした。

 うーむ。
 どうなっているのか、と私は不思議に思ったのですが、このやりとりを聞いていて、民主党政権に同情的に気持ちが出てきました。
 丸山議員の質問は、実に正当です。
 日本人なら、普通は、誰もがそう思うことを述べました。
 だから、論理だけをみれば、非は菅政権にあります。責任の当事者が菅首相であれ、前原外相であれ、仙谷官房長官であれ。
 だから、日本人であれば、誰もが菅政権の「弱腰」外交をとがめて当然です。

 そこで、私は、仙谷長官の応援団に回りたくなりました。
 長官はそこでこう言えばいい、と。
 「だったら、憲法9条は無効だと国会が宣言してくれ」と。
 「これがあるから、なんだかんだと言いつくろうしかないではないか。」

 「領土が誰のものかを決めるのは国力だ」、と考える中国相手に、憲法9条の中でまともな外交ができるか!!

 仙谷官房長官がこの問題で野党議員の質問攻撃に反論するには、この一言で充分です。
 憲法9条を改正してくれさえすれば、いつだって船長を有罪にしてみせる、と。まだ「処分保留」なのだから。
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Study of History|菅政権よ、このままもっともっと脳死を続けてくれ、任期満了まで 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月19日(火)15時24分56秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9060


 こんにちは、皆さん、植田です。

 本日の植草プログの話題、昨日の丸山発言です。

 「対中国腰抜け外交批判丸山議員の追及が腰抜けだ」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1110.html

 植草氏が注目するのは、APECを重視するあまり、菅政権は「法に従って粛々と処理する」という言葉をみずから反故にした点です。

 「 丸山氏は、「私が電話で『訴追し、判決を得て送還するのが法に従った粛々とした措置ではないか』と申し上げたら、長官は『APECが吹っ飛んでしまう』と言いましたね」
と会話の内容を暴露した。
 本ブログでもすでに記述してきたことだが、菅内閣は本年11月に横浜で開催されるAPEC首脳・閣僚会議に中国首脳が出席することを重視している。中国漁船船長に対する厳正な措置が、APEC首脳会議への中国首脳の不参加を招くことを菅首相が強く恐れたのだと考えられる。」


 これはこれで菅首相の政治判断だったとしたら、私たちは「了」としましょう。
 しかし、それなら、船長をすぐに釈放すべきで、拘留の延長を決めるべきではなかった、ということになります。いかに那覇地検の判断だったとしても、権限的に、地検は内閣の指示に従わざるを得ません。それが国家の統治秩序というものです。
 仙谷氏的には、「では、政府に越権行為をせよ、というのか」と反論がくるところですが、仙谷氏は、戦前の日本国の政体の「無責任体制」のことでも気にしているのでしょうか?

 以下の植草氏の菅政権の批判は、実にまっとうなものです。

 「領有問題を棚上げしている尖閣諸島での中国船操業で船長を逮捕・勾留すれば外交上の問題に発展する可能性はもとより高かった。このことを踏まえれば、最後まで「法と証拠に基づく粛々とした処理」を貫く覚悟がないなら、始めから逮捕・勾留などの措置を取るべきでないのである。即刻強制送還すべきだった。
 日本の法律に照らし、法と証拠に基づいて粛々と処理を進めるとの決断をしたのなら、最後までその対応を貫かねばならなかった。」

 「のらりくらりの国会答弁を許容している野党各党の対応も腰が据わっていない。丸山議員も会話が事実であるなら、仙谷官房長官の行動を厳しく糾弾し、仙谷氏の辞任を求めるべきではないのか。
 これほど重要な事実を暴露しておきながら、仙谷氏が「記憶にない」と言い逃れて、そのまま不問にするなら、質問をした意味もない。
 仙谷官房長官の対応も問題であるが、なあなあの処理で臭いものに蓋をしようとする丸山和也議員の姿勢が糾弾されなければならない。」


 菅政権の批判だけではなく、植草氏の丸山批判もごく当然です。
 今回の事件では、与党も、閣僚も、野党も、国会議員はすべて脳死していると私はすでに書きましたが、植草氏がそれを確認してくれました。
 仙谷長官もダメなら、丸山議員もダメだ、と。

 しかし、私は、今や、仙谷長官を弁護したくなっています。
 植草氏が言います、

 「菅直人政権の外交対応は最低、最悪のものであった。この対応を指揮した仙谷由人官房長官は責任を取って辞任するべきである。」

 いや、そんな必要はまったくなし、と。
 仙谷長官は、逆に言い返しましょう。

 「憲法9条下の国に何が出来るかを私は全日本国民に見せてやったのだ。感謝されてしかるべき今回の菅政権の対応である」と。「文句があるなら、憲法9条を改正してみよ」と。

 だから、菅政権よ、衆院選的には2013年8月の任期満了まで務めましょう。
 そして、これからも、もっともっと脳死ぶりを日本国民に見せつけてください。

 つまり、結論的には、植草プログは、調子がいいばかりで、戦後日本国の政体が抱える問題の本質まで分析が届いていません。

 したがって、憲法9条をこのまま維持したいのであれば(護憲主義)、対米従属であろうと、対中従属であろうと、甘んじて受け入れろ、と。ぶつぶつ言うんじゃない、と。

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戦後世代の時代が来ても、なぜさっさと対米従属を終わらせることが出来ないのか 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月22日(金)16時24分17秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9081
 

・・・私が見つけた答えは、戦前とのバランスです。
 戦前の日本人が軍国主義という非道をしたのであれば、それにバランスが取れるまでは戦後の日本人には、軍事の公認はできないだろう、と。
 だから、それまでは、とにかくなんであれ、日本問題はアメリカ問題である、ということになります。これは、誰が考えてもそうなります。日本の安全保障を管理しているのは官邸ではなく、ワシントンですから。
 あとは、アメリカに好感を持つ人は親米の発言したり、反感を持つ人はアメリカをくそみそに言ったりすることになりますが、基本は同じです、戦後の私たちは全員吉田茂体制という「対米従属丸」に乗っています。

 だからアメリカは冷戦終了後に国際戦略を変えましたが、ーソビエトが消滅した以上、ごく当然の変化ですー、日本人には何の変化もありません。アメリカに保護されたままです。

 戦後世代はどうしちゃったのか?
 大いに気になるところです。

 対米従属は、もう、永遠にどうすることもできないと、戦後世代は、全員、ふて寝することに決めたのか。
 だから、政権交代という国内問題がやっと解決した途端、政治主導の脳死ぶりが明らかになった、というわけでした。民主党が元気だったのは、もともと権限のない霞が関官僚からその権限を奪うという事業だけでした。それが終わったら、脳死です。

 で、以上の話題、ここで終わると、愚痴です。
 自然理性人が、話題を愚痴で終わらせてなるものか。
 さて、ここからが本論です。

 なせ戦後世代は、ふて寝をするしかないのか、と行きましょう。
 なぜ脳死してしまったのか、と。

 今や「故」という冠詞を付ける必要が出てきた小室直樹氏ですが、戦後の日本のことを「アノミー」と名づけました。昭和天皇が人間宣言をしたことで、権威がなくなり、日本人は頼るものがなくなってしまった、という事態です。もちろん、精神的支柱がなくなった、という意味です。
 これはいかにアメリカ軍が日本国の安全を保障してくれても解決できない問題です。日本人の精神の問題ですから、ここにはアメリカの軍事力はタッチできません。

 で、私は、それは「アノミー」というなまやさしいものではなかった、と最近思います。
 菅政権の脳死ぶり、国会審議のお通夜ぶりを見て、あれはアノミーなんてものではなく、戦後日本人にとっての、文字通りの「神の死」だったのだ、と。
 自分が最も大切にしていたものが消えた以上、ふて寝するしかなくなってしまったのも当然です。
 アメリカ軍が日本に駐留するもしないも、どうでもいい、と。
 精神の支柱が折れてしまったのだから、もうあとはどうでもいい、と。

 では、戦後の経済高度成長とは何だったのか。
 といえば、あまりに大きな喪失感を忘れるために、他のことに夢中になっただけのこと。
 つまり、一種の精神安定のための一心不乱の行動だった、と。
 だから、高度成長してしまったあとは、虚脱感に襲われ、デフレ時代の到来、と。

 まさに昭和の時代が終わったとたんに「デフレ」時代が始まりました。
 虚脱感が支配する時代です。

 ということは、戦後世代も、要は、律令理性の世代だったのか?
 そこまでアマテラス神話の信者だったのか?

 そうではないと、戦後世代が言い張っても、事実が証明しています。
 戦後世代も、アメリカを頼るしかない、という事実です。
 自前で自国を守ることが出来ない精神。
 精神の支柱を失っている結果です。

 ではどうしたらいいか。
 自然理性人になれば、事は簡単ですが、しかし、西洋人が自然理性人になるには、2000年がかかりました。
 これを明治からの150年で達成できるか、といえば、到底無理です。だから、無理なことを現実が証明しています。
 「経済成長して、先進国に追いつけ、追い越せ」とはわけが違う問題です。

 戦後世代には、この問題が気づかれていませんでした。
 いや、私も、やっと気がついた次第です。
 菅政権の脳死ぶりを目のあたりにして。

 「脱官僚」問題が終わった後、「脳死」問題が浮上しました。
 日本人の精神の支柱が折れている、という問題です。
 それゆえに、戦後世代の時代が来ても、対米従属を如何ともしがたい事態が続く、と。

1 コメント

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あああ (ぴよあじ)
2010-10-21 15:06:20
自国を愛するということと
防衛手段を考えることと
国際協調を保つことと・・・

日本はどれだけそこらへんを
アバウトにしてきたんでしょうか・・・

この類の問題って
短絡的になるとすぐ「戦争」に
答えを見出しそうになる
頭のわるい自分が恐い。
でも自分は戦争に行きたくない臆病者

簡単に武器を手に取ることは
だめだとわかっていても
でも、どうしたら・・・
もどかしいです。
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