◎マイケルを拒絶していた時代【5】by yomodalite | 2010-01-24 22:26
http://nikkidoku.exblog.jp/12718121/
「THIS IS IT」上映から今日で88日経ちました。DVD発売までに、これまで考えたことをとりあえずまとめておこうと思ったのですが、思っていたより長くなってしまいました。
彼が亡くなったときから、それまでの否定的な報道はなりをひそめ、急激ともいえる賞賛が吹き荒れましたが、それでも、それらは、「彼の影の部分ではなく、一番良いときを記憶しておこう」というものがほとんどでした。
自分もそのとき、そう思ったのか、とにかく、彼の人生の全てが知りたくなるという日々を何日も過ごすうちに、これまで、マイケルに対してあった疑問や、違和感に関して、彼が1ミリも間違っておらず、いかに自分が間違っていたかに気付いたんですね。
わたしは、Monty Pythonの“Always look on the bright side of life” という曲が大好きで、自分に対しては、よくそのように慰めているんですけど、彼の人生は、彼の音楽・ダンスだけでなく、すべてを通して、本当に見事でした。
この文章は、「THIS IS IT」を見るまで、または観た後も、やっぱり、マイケルに対して残ってしまった疑問や、違和感と、マドンナが語った「なぜ彼を見捨てることになったかのか?」という自分自身の懺悔の気持ちで書いています。
この時代、本当に彼が、たった1人で、多くのことを考え、成し遂げ、戦ってきたのか、ということが、胸に刺さり過ぎて、つい長くなってしまいましたが、もう少しおつきあいくださいませ。
(↓◎マイケルを拒絶していた時代【4】の続き)
マドンナが、追悼の際、エピソードとして語ったデートのとき、ふたりは“In The Closet”という曲でのデュエットについて話し合っていました。マドンナは、マイケルのファッションセンスをもっと磨くように促し、自分が男性で、マイケルが女装をしてはどうかという挑発的な提案もしますが、マイケルはこれを拒否。結局、SFではスーパーモデルのナオミと共演し、モナコのステファニー王女も声で参加しています。
この歌の官能的な詞は、素晴らしい訳詞を掲載されている、こちらのサイトででご確認ください。
「マイケルの遺した言葉」
ショートフィルムはこちら↓
Michael Jackson-In the closet
マドンナは、さっぱりした性格で、度量の大きい、本当に優れたエンターティナーだと思いますが、このエピソードは、彼女や、また多くのアーティストと、マイケルが決定的に違う点をよく表していると思うんですね。
こういうエッチな歌を、とてつもなく神々しく表現できるアーティストは、少なくともポップミュージックの世界では、彼しかいないでしょう。
マイケルは、世界中にダンサーを増やし、今セクシーなダンスは、ポップミュージックに欠かせないものになっていますが、シンガーのほとんどは、売れる戦略として、セクシーさを無理矢理求められている気がするんですよね。
でも、本来舞踊は、宗教儀式に欠かせないものであり、世界中の多くの地域で、今でもそうであるはずです。彼のような特別なダンサーでなくても、踊りを通して、神との一体化を感じているダンサーは大勢いるし、わたしたちが毎年行なっているような祭りという行為も、そうです。
ダンサー達は、顔や体に化粧を施し、そして、そこには化粧を施された“子供”もいたはずです。
すべてのポップミュージシャンが、そのことを完全に忘れていく中、彼だけがより一層、神との感覚を強めていきました。
そして“60minute”のインタヴューで、エド・ブラッドリーが言った、
“40も半ばの男性が、赤の他人の子供たちと同じ寝室で寝る行為”への非難は、今、本当に考えなくてはならない問題だと思います。
残念ながら、幼児性欲者は、一定数の割合で存在してはいますが、その分母と分子を冷静に考えてみるべきです。
赤の他人にすべて気をつけなくてはいけないんだったら、親がいなかったり、もしくは、親が虐待者のこどもは、どうすればいいんでしょう? 一緒に寝てくれる父親がわりの男性に、一生出会えないことになってしまいます。
万が一の事故が、我が子に起こったら。。。と思うのは、親にとっては、当然の感覚ですが、常に、他人を疑い、親の保護で子供をスポイルしてしまうことで、世界中から、愛が失われてしまっています。
ベッドの問題だけでなく、学校の行き帰りに、親が迎えにいかないだけで、激しい非難を受けるようになったのは、なぜなんでしょう? 報道のありかたが、わたしたちに与えている悪影響は、もうこれ以上、本当に見逃せないものになっていると思います。
パパラッチだけでなく、歴史も格式もある報道番組ですら、これほどの間違ったメッセージを発してしまっている現実には、本当に気が重くなる問題です。
このあとの、ナレーションで「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」と言ったときに、そのナレーターの頭にあった、彼のイメージは“Beat It”や、“Bad”の頃のものでしょうか?
マイケルが子供や、若い男女だけでなく、その親からも認められる存在だったのは、それらの歌には「ウエストサイドストーリー」などの親世代の若い頃のスターのイメージが被っていたからです。その後“Black & White”の後半で見せる暴力や際どい性的表現も、当時のマイケルがもっていた好青年的ルックスと、超絶ダンステクニックによって、まだ、ヒットの燃料になっていましたが、徐々に、そのあまりにも超人類的な彼の個性は、普通の若者にとって、感情移入しにくい存在となっていきます。
それと、呼応するかのごとく、彼は、当時の常識的な目で見れば、尋常ではないのではと思わせるぐらい、益々、子供にのめり込んでいるように見え、ピーターパンシンドロームの代表選手のように、徐々に嘲笑の対象になっていきました。彼の尋常性白班症という病気から起こる、病的な肌の白さは益々進み、同時に、そのメイキャップも濃くなる一方で、人間ぽさが、まったく感じられない、まるで、アニメキャラを目指しているかのような、彼の特異なルックスは、どんどん受け入れがたいものになっていきました。
わたしが彼のショートフィルムで、最後までなかなか受け入れがたかったのは、“You Rock My Wourld”でした。
“You Rock My World”
ギャングと酒場が舞台であるのは“Smooth Criminal”と同じですが、ミュージカルスタイルだった“Smooth Criminal”と異なり、実際に血の匂いを感じさせる“クライム・サスペンス”映画に出演していた俳優たちが醸し出す雰囲気がリアルで、その雰囲気の中、マイケルは、濃いメイキャップの男として、酒場への登場から脱出まで、本当に見事でめちゃめちゃカッコいいダンスがあったにも関わらず、どうしても、その顔が気になって、せっかくのダンスに集中できないぐらい、浮いているように見えました。
わたしは「THIS IS IT」後も何度も思ってました。せめて、このくらいのメイクじゃダメなの??→→
赤い口紅はいらなくない??
「THIS IS IT」でも“フィルム・ノワール”の代表作『ギルダ』 -Gilda(1946年。監督:チャールズ・ヴィダー)のリタ・ヘイワースや、ハンフリー・ボガートとの共演を、同様の更に進化したような濃いメイキャップでしていましたよね。
その謎というか、疑問は、ようやく最近解けました。(気付いてみたら、あまりにも当然のことなんですが。。。)
“60minute” のナレーターが「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」と言った頃の彼は、史上初の黒人アイドルから、黒人でありながら、どこかジェームズ・ディーンを思わせる、人種を越えた若者のスター像を演じているところがありましたが、もう彼は、そういうスター像には、一切興味がなかったんですね。彼が真に追求したのは、ダンサーとしての存在です。
彼のあまりに多彩な才能から、重要視されていませんが、彼は俳優としても、かなりのものです。そして、うっかりすると、彼はめちゃめちゃ“男前”になってしまう資質があるんですが、それは、完全にジャマなんですね。ダンサーの彼にとっては。。。
ここで言っている、ダンサーとは、通常のエンターテイメント界のそれではなくて、神の儀式における踊り手のことです。
彼は、神のことをよく語っていたし、非常に信仰心が強いことも、イエスに近づこうと努力しているなど、度々その真剣さに、心打たれていたにも関わらず。。。わたしは、彼のメイクがそこに関係があるとは、ずっと気がつくこともなく違和感を抱いていました。ついつい、女子の萌え心で、かつてのマイケルを追ってしまうところがあったんですね~(反省)
彼はダンサーとして、常にメイキャップを欠かさないことで、日々、日常に溺れないように過ごし、様々な映画の神(アイコン)たちの中で、ダンサーとして存在することを模索していたんだと思います。
(しつこいようですが、この続きは「マイケルから学ぶこと」して書く予定。。)
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読書日記と着物あれこれ|西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(1) by yomodalite | 2010-03-23 17:24
http://nikkidoku.exblog.jp/13184270/
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』で、“マイケル・ジャクソン学”の先頭に立った、西寺郷太氏の2冊目の書。新書企画ということで、どんな風にまとめられるのか、たいへん興味もつと同時に、すごく大変そうだなぁと思っていました。
今回は、前書では収めきれなかった「幼児虐待」疑惑へも、かなりのページを割いているということで、本書が出るまでに、様々な情報を得ている、ファンとしては、なかなか新しい情報には出会えそうになさそう。。という予想をしていたのですが、喜ばしいことに、本書は想像以上にレベルが高く、まさに、決定版「マイケル・ジャクソン」入門本になっています。
これだけの情報を簡潔な文章でまとめあげ、尚かつ、マニア情報の織込み方と、その配置もお見事のひとこと。本当に益々、西寺氏の頭の良さに感心いたしました!
これを読むまでは、本書の出版記念に、今回も引用されていて、現在絶版になっている『マイケル・ジャクソンの真実』の感想を書こうと思っていたのだけど、やっぱり、こちらから、今後の研究(←大げさ)テーマというか、考えていきたいことを、とりあえず、メモしておこうと思います。
といっても、メモだけで、だらだら長くなってしまったので、西寺氏の紹介のおかげで、注目度が増したにちがいない、マーロンのセクシー画像♡を挿んでみました!(残念ながら低画質)
◎第一章 ジャクソン兄弟物語(前編)
『四男マーロンーマイケルの「友達」(P43)
マーロンが、変なタイミングのシャウトや、生まれ持ったB級センスで、人の良さのみアピールしてきたのは、郷太氏の言う通り。
☆↓ジャクソンズ至上最高のB級品質「ボディ」
◎The Jacksons - Body
でも、MJのソロ30周年を祝うコンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」でのジャクソンズには、本当に驚きました!
マーロンが、あのマーロンが、いつも、くねくね踊りと、にやにや笑いだったマーロンがめちゃめちゃかっこ良くなっている!!!
このときの映像を見て、「誰と結婚したいか」というアンケートをとったら、かなりの確率で、マーロンが1位になったのではないか?と思われるほどのセクシーな男っぷり。メンバーの中で、もっとも早く引退し、才能を発揮できなかったマーロンですが、このときは、本当に動きもポーズも決まっていて、スターオーラで輝いてます!(一番下の画像参照)
ファミリー内の、音楽的成功という意味では、同じく地味だったラトーヤも、最新作“Startin' Over”を、彼女の最高傑作に仕上げたし、こういった諦めない向上心は、MJだけでなく、ジャクソンファミリー全員に共通しているスゴいところ。
◎第二章 ジャクソン兄弟物語(後編)
『トッド・グレイの証言』(P73)
写真集『Befor He Was King』は、MJ自身も、このときの写真がお気に入りで、確か、ダイアナ・ロスにもプレゼントとして贈っていたはず。(←要確認)
彼の整形は「醜形恐怖」や「父親嫌悪」からではなかったと思う。
『スリラー』(P90)
この作品が最も偉大なベストフィルム、第1位。という意味。
『CM撮影中の火傷、ヴィクトリーツアー』(P93)
『マイケル・ジャクソン観察日誌』(全記録の旧版)を読んで一番驚いたのが、有名なペプシCM撮影中の火傷の直後にワールドツアーが始まっているという点でした。
MJの鎮痛剤依存の問題、彼の死については、現在、まとめ中。
◎第三章 「マイケル」と闘うマイケルー絶頂期の混乱
『「エホバの証人」からの脱会』(P128)
MJは脱会後も、「僕はいまでも、エホバの証人だよ」と語っている。
規律の厳しい宗教会派から脱会して、それを否定しない人間は非常にめずらしい。
それ以外でも、彼が過去を否定することは、めったとない。という希少なパーソナリティーに関して。
『“BAD”の低評価』(P128)
なぜ“THIS IS IT”のセットリストには、“BAD”が多かったのか?
『グラミーでの屈辱』(P133)
膝から落ちるパフォーミングで、膝を故障。。。
ダンサーとしてのMJは、いかに肉体を酷使していたか。
疲労や、ボディメンテに関して、なぜ情報が出てこない?
『“DANGEROUS”の季節』(P138)
“BAD”のセールスを超えた“DANGEROUS”が、なぜ彼の最高傑作と言われなかったのか?
「エンターティナーはひとりの人間(パーソン)でなく、ひとつのイメージを持ったパーソナリティとなってしまう」。有名になればなるほど、みんなその人物を変わり者に仕立てようとする。と、MJはホイットニーに語っていた。
☆☆☆☆☆(満点)
________________________
[内容説明]
マイケルにまつわる誤解を解き、「THIS IS IT」の魅力に迫る!
世界でもっとも有名な家族・ジャクソン家の人間関係、絶頂期の混乱と「孤独」、マイケルをどん底に突き落とした「少年虐待疑惑」の真相、「THIS IS IT」での大復活の理由と、その知られざる舞台裏まで。
初心者からマニアまで、すべてのファンに捧ぐ、マイケル・ジャクソン入門書。
講談社 (2010/3/18)
[著者からのメッセージ]
西寺郷太です。今回の著作『マイケル・ジャクソン』は、映画「THIS IS IT」公開以降、たくさん増えた新しいファンに、マイケルの歴史を知るガイドブックになるよう、心がけました。さらに、大きく誤解されている93年の「少年虐待疑惑」について真正面から切り込んだ、日本で初めての本になっています。世界で最も愛され、最も誤解されたスーパースター・マイケルをより深く知ってもらうきっかけになれば嬉しいです。
___________________________________
西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(2) by yomodalite | 2010-03-24 14:14
http://nikkidoku.exblog.jp/13191591/
まだメモ続きます。。今回は、西寺氏の最もお気に入りの写真集『Before He Was KIng』の写真を散りばめてみました♡
(←このフォトは、写真集には含まれていません)
◎第三章 「マイケル」と闘うマイケルー絶頂期の混乱(続き)
『テディライリーの回想』(P141)
MJは、GUYの「レッツ・スペンド・ザ・ナイト」が好き。(←“Spend the Night”の国内版タイトルのこと?)
この曲よりも、もっと強い曲という依頼により
“Blood On The Dance Floor”が生まれたと、
テディは語っている
◎Spend The Night - GUY
☆で、生まれたのが、私が大好きなこの曲!
◎Blood on the Dance Floor
「実際のコードやすべてを弾いてくれ...」
スタジオ全体を押さえ、寝室までもすぐ近くに作る。といったアルバムの作り方。
『映画への接近』(P145)
MJは本当に、音楽業界から退いて、
映画を作ろうとしていたのか?
『それぞれの兄弟たちのゆくえ』(P148)
“2300 Jackson Street“は、
なぜ彼らの最終アルバムになったのか?
☆傑作?BabyFace作曲「ナッシン」
◎nothin (that compares 2 u) - the jacksons
☆名曲!テディとジャクソンズ(当時4人)の共作。
MJ、ジャネット、リビーもボーカルとPVに出演。
◎The Jacksons - 2300 Jackson Street (1989)
◎第四章 銃弾と忘却ー少年虐待疑惑を検証する
『FBIの極秘資料公開』(P188)
ジョンレノンとMJが長期間捜査されていた理由。
“イマジン”と“Black or White”に共通する危険性。
◎『第五章「THIS IS IT」への道』
『逆風の90年代』(P193)
《西寺氏の意見》
「“80年代的”なマーケティング重視、過剰に装飾されたポップミュージックの否定」がその後のトレンドになったことがわかる。(引用終了)
“80年代”以降に否定されたことを、挙げていくだけで新書一冊分になる。
『マドンナの忠告』(P195)
黒人という帰属を失ったMJが、自ら選んだ帰属が“チャイルドスター”
でも、マドンナの忠告に耳を貸さなかったのは、彼が世間知らずのチャイルドスターだったからではない。
『ニルヴァーナの衝撃』(P199)
白人社会の収入格差の増大によって、ロック(白人音楽)が持っていた“文明批評”という部分は、資本主義への感情的嫌悪により、表現の貧しさを助長した。
(お金と知性の両方への否定)
90年代から、PVから急速にクリエイティビティが失われ、アーティストだけでなく、批評も死んだ。
アメリカ文化衰退と、世界との乖離が進む。
MJは、世界一お金持ちのエンターティナーとして、資本主義への最も先鋭的な批判者への道へ。
『“HIStory”の時代』(P203)
MJの“HIStory”(Disc 2)が、評価されなかった理由。
「怒りの表現のストレートさ」に困惑するファンを気遣い、最後はやっぱり“Smile”で締めざるを得ない、マイケルの優しさ
“Black or White”から“They Don't About Us”へ
『“ブラッド・オン・ザ・フロア”と「ゴースト」』(P211)
誰も評価できない領域に踏み込んだ、MJを客観的に観ることができたのは、MJ自身だけだった。アーティストにして、批評・分析・客観的能力を持ちすぎていた悲劇 ー「ゴースト」
「KING OF POP」の称号とともに「モンスター」キャラも自ら受認。
“笑顔”放棄の時代へ
『インヴィンシブル』(P215)
5年の歳月で30億円という巨額の予算。
これまで、子供たちと“子供同士の付合い”をしてきたと思われていたMJが、立派な父親になれた理由。
若い頃から歴史に残るという野望を抱いていた完璧主義者MJは、ついに最終段階へ。
『ジャクソンズ再結成』(P217)
(1)でも書いた、MJのソロ30周年を祝うコンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」
マイケルは、兄弟には厳しかった。
(マーロンよく頑張った!)
この2日間のコンサート最終日翌日が、
米国同時多発テロ“911”
“What More Can I Give”以外にも、目的に合わせて取り出したメッセージ色の強いオリジナル未収録曲は、この後にも“I Have This Dream”(カトリーナハリケーン)“We've had enough”(イラク戦争に対して)など。
☆“I Have This Dream”のスピーチヴァージョン
◎Michael Jackson I have this dream! 2009
☆上記で使用されている、2002年のスピーチ《日本語字幕》
◎THE MESSENGER OF LOVE&PEACE
☆↓MJの反戦歌
◎Michael Jackson - We've Had Enough (NEW Music Video)
___________________________________
西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(3) yomodalite | 2010-03-25 11:29
http://nikkidoku.exblog.jp/13200143/
<略>
http://nikkidoku.exblog.jp/12718121/
「THIS IS IT」上映から今日で88日経ちました。DVD発売までに、これまで考えたことをとりあえずまとめておこうと思ったのですが、思っていたより長くなってしまいました。
彼が亡くなったときから、それまでの否定的な報道はなりをひそめ、急激ともいえる賞賛が吹き荒れましたが、それでも、それらは、「彼の影の部分ではなく、一番良いときを記憶しておこう」というものがほとんどでした。
自分もそのとき、そう思ったのか、とにかく、彼の人生の全てが知りたくなるという日々を何日も過ごすうちに、これまで、マイケルに対してあった疑問や、違和感に関して、彼が1ミリも間違っておらず、いかに自分が間違っていたかに気付いたんですね。
わたしは、Monty Pythonの“Always look on the bright side of life” という曲が大好きで、自分に対しては、よくそのように慰めているんですけど、彼の人生は、彼の音楽・ダンスだけでなく、すべてを通して、本当に見事でした。
この文章は、「THIS IS IT」を見るまで、または観た後も、やっぱり、マイケルに対して残ってしまった疑問や、違和感と、マドンナが語った「なぜ彼を見捨てることになったかのか?」という自分自身の懺悔の気持ちで書いています。
この時代、本当に彼が、たった1人で、多くのことを考え、成し遂げ、戦ってきたのか、ということが、胸に刺さり過ぎて、つい長くなってしまいましたが、もう少しおつきあいくださいませ。
(↓◎マイケルを拒絶していた時代【4】の続き)
マドンナが、追悼の際、エピソードとして語ったデートのとき、ふたりは“In The Closet”という曲でのデュエットについて話し合っていました。マドンナは、マイケルのファッションセンスをもっと磨くように促し、自分が男性で、マイケルが女装をしてはどうかという挑発的な提案もしますが、マイケルはこれを拒否。結局、SFではスーパーモデルのナオミと共演し、モナコのステファニー王女も声で参加しています。
この歌の官能的な詞は、素晴らしい訳詞を掲載されている、こちらのサイトででご確認ください。
「マイケルの遺した言葉」
ショートフィルムはこちら↓
Michael Jackson-In the closet
マドンナは、さっぱりした性格で、度量の大きい、本当に優れたエンターティナーだと思いますが、このエピソードは、彼女や、また多くのアーティストと、マイケルが決定的に違う点をよく表していると思うんですね。
こういうエッチな歌を、とてつもなく神々しく表現できるアーティストは、少なくともポップミュージックの世界では、彼しかいないでしょう。
マイケルは、世界中にダンサーを増やし、今セクシーなダンスは、ポップミュージックに欠かせないものになっていますが、シンガーのほとんどは、売れる戦略として、セクシーさを無理矢理求められている気がするんですよね。
でも、本来舞踊は、宗教儀式に欠かせないものであり、世界中の多くの地域で、今でもそうであるはずです。彼のような特別なダンサーでなくても、踊りを通して、神との一体化を感じているダンサーは大勢いるし、わたしたちが毎年行なっているような祭りという行為も、そうです。
ダンサー達は、顔や体に化粧を施し、そして、そこには化粧を施された“子供”もいたはずです。
すべてのポップミュージシャンが、そのことを完全に忘れていく中、彼だけがより一層、神との感覚を強めていきました。
そして“60minute”のインタヴューで、エド・ブラッドリーが言った、
“40も半ばの男性が、赤の他人の子供たちと同じ寝室で寝る行為”への非難は、今、本当に考えなくてはならない問題だと思います。
残念ながら、幼児性欲者は、一定数の割合で存在してはいますが、その分母と分子を冷静に考えてみるべきです。
赤の他人にすべて気をつけなくてはいけないんだったら、親がいなかったり、もしくは、親が虐待者のこどもは、どうすればいいんでしょう? 一緒に寝てくれる父親がわりの男性に、一生出会えないことになってしまいます。
万が一の事故が、我が子に起こったら。。。と思うのは、親にとっては、当然の感覚ですが、常に、他人を疑い、親の保護で子供をスポイルしてしまうことで、世界中から、愛が失われてしまっています。
ベッドの問題だけでなく、学校の行き帰りに、親が迎えにいかないだけで、激しい非難を受けるようになったのは、なぜなんでしょう? 報道のありかたが、わたしたちに与えている悪影響は、もうこれ以上、本当に見逃せないものになっていると思います。
パパラッチだけでなく、歴史も格式もある報道番組ですら、これほどの間違ったメッセージを発してしまっている現実には、本当に気が重くなる問題です。
このあとの、ナレーションで「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」と言ったときに、そのナレーターの頭にあった、彼のイメージは“Beat It”や、“Bad”の頃のものでしょうか?
マイケルが子供や、若い男女だけでなく、その親からも認められる存在だったのは、それらの歌には「ウエストサイドストーリー」などの親世代の若い頃のスターのイメージが被っていたからです。その後“Black & White”の後半で見せる暴力や際どい性的表現も、当時のマイケルがもっていた好青年的ルックスと、超絶ダンステクニックによって、まだ、ヒットの燃料になっていましたが、徐々に、そのあまりにも超人類的な彼の個性は、普通の若者にとって、感情移入しにくい存在となっていきます。
それと、呼応するかのごとく、彼は、当時の常識的な目で見れば、尋常ではないのではと思わせるぐらい、益々、子供にのめり込んでいるように見え、ピーターパンシンドロームの代表選手のように、徐々に嘲笑の対象になっていきました。彼の尋常性白班症という病気から起こる、病的な肌の白さは益々進み、同時に、そのメイキャップも濃くなる一方で、人間ぽさが、まったく感じられない、まるで、アニメキャラを目指しているかのような、彼の特異なルックスは、どんどん受け入れがたいものになっていきました。
わたしが彼のショートフィルムで、最後までなかなか受け入れがたかったのは、“You Rock My Wourld”でした。
“You Rock My World”
ギャングと酒場が舞台であるのは“Smooth Criminal”と同じですが、ミュージカルスタイルだった“Smooth Criminal”と異なり、実際に血の匂いを感じさせる“クライム・サスペンス”映画に出演していた俳優たちが醸し出す雰囲気がリアルで、その雰囲気の中、マイケルは、濃いメイキャップの男として、酒場への登場から脱出まで、本当に見事でめちゃめちゃカッコいいダンスがあったにも関わらず、どうしても、その顔が気になって、せっかくのダンスに集中できないぐらい、浮いているように見えました。
わたしは「THIS IS IT」後も何度も思ってました。せめて、このくらいのメイクじゃダメなの??→→
赤い口紅はいらなくない??
「THIS IS IT」でも“フィルム・ノワール”の代表作『ギルダ』 -Gilda(1946年。監督:チャールズ・ヴィダー)のリタ・ヘイワースや、ハンフリー・ボガートとの共演を、同様の更に進化したような濃いメイキャップでしていましたよね。
その謎というか、疑問は、ようやく最近解けました。(気付いてみたら、あまりにも当然のことなんですが。。。)
“60minute” のナレーターが「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」と言った頃の彼は、史上初の黒人アイドルから、黒人でありながら、どこかジェームズ・ディーンを思わせる、人種を越えた若者のスター像を演じているところがありましたが、もう彼は、そういうスター像には、一切興味がなかったんですね。彼が真に追求したのは、ダンサーとしての存在です。
彼のあまりに多彩な才能から、重要視されていませんが、彼は俳優としても、かなりのものです。そして、うっかりすると、彼はめちゃめちゃ“男前”になってしまう資質があるんですが、それは、完全にジャマなんですね。ダンサーの彼にとっては。。。
ここで言っている、ダンサーとは、通常のエンターテイメント界のそれではなくて、神の儀式における踊り手のことです。
彼は、神のことをよく語っていたし、非常に信仰心が強いことも、イエスに近づこうと努力しているなど、度々その真剣さに、心打たれていたにも関わらず。。。わたしは、彼のメイクがそこに関係があるとは、ずっと気がつくこともなく違和感を抱いていました。ついつい、女子の萌え心で、かつてのマイケルを追ってしまうところがあったんですね~(反省)
彼はダンサーとして、常にメイキャップを欠かさないことで、日々、日常に溺れないように過ごし、様々な映画の神(アイコン)たちの中で、ダンサーとして存在することを模索していたんだと思います。
(しつこいようですが、この続きは「マイケルから学ぶこと」して書く予定。。)
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読書日記と着物あれこれ|西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(1) by yomodalite | 2010-03-23 17:24
http://nikkidoku.exblog.jp/13184270/
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』で、“マイケル・ジャクソン学”の先頭に立った、西寺郷太氏の2冊目の書。新書企画ということで、どんな風にまとめられるのか、たいへん興味もつと同時に、すごく大変そうだなぁと思っていました。
今回は、前書では収めきれなかった「幼児虐待」疑惑へも、かなりのページを割いているということで、本書が出るまでに、様々な情報を得ている、ファンとしては、なかなか新しい情報には出会えそうになさそう。。という予想をしていたのですが、喜ばしいことに、本書は想像以上にレベルが高く、まさに、決定版「マイケル・ジャクソン」入門本になっています。
これだけの情報を簡潔な文章でまとめあげ、尚かつ、マニア情報の織込み方と、その配置もお見事のひとこと。本当に益々、西寺氏の頭の良さに感心いたしました!
これを読むまでは、本書の出版記念に、今回も引用されていて、現在絶版になっている『マイケル・ジャクソンの真実』の感想を書こうと思っていたのだけど、やっぱり、こちらから、今後の研究(←大げさ)テーマというか、考えていきたいことを、とりあえず、メモしておこうと思います。
といっても、メモだけで、だらだら長くなってしまったので、西寺氏の紹介のおかげで、注目度が増したにちがいない、マーロンのセクシー画像♡を挿んでみました!(残念ながら低画質)
◎第一章 ジャクソン兄弟物語(前編)
『四男マーロンーマイケルの「友達」(P43)
マーロンが、変なタイミングのシャウトや、生まれ持ったB級センスで、人の良さのみアピールしてきたのは、郷太氏の言う通り。
☆↓ジャクソンズ至上最高のB級品質「ボディ」
◎The Jacksons - Body
でも、MJのソロ30周年を祝うコンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」でのジャクソンズには、本当に驚きました!
マーロンが、あのマーロンが、いつも、くねくね踊りと、にやにや笑いだったマーロンがめちゃめちゃかっこ良くなっている!!!
このときの映像を見て、「誰と結婚したいか」というアンケートをとったら、かなりの確率で、マーロンが1位になったのではないか?と思われるほどのセクシーな男っぷり。メンバーの中で、もっとも早く引退し、才能を発揮できなかったマーロンですが、このときは、本当に動きもポーズも決まっていて、スターオーラで輝いてます!(一番下の画像参照)
ファミリー内の、音楽的成功という意味では、同じく地味だったラトーヤも、最新作“Startin' Over”を、彼女の最高傑作に仕上げたし、こういった諦めない向上心は、MJだけでなく、ジャクソンファミリー全員に共通しているスゴいところ。
◎第二章 ジャクソン兄弟物語(後編)
『トッド・グレイの証言』(P73)
写真集『Befor He Was King』は、MJ自身も、このときの写真がお気に入りで、確か、ダイアナ・ロスにもプレゼントとして贈っていたはず。(←要確認)
彼の整形は「醜形恐怖」や「父親嫌悪」からではなかったと思う。
『スリラー』(P90)
この作品が最も偉大なベストフィルム、第1位。という意味。
『CM撮影中の火傷、ヴィクトリーツアー』(P93)
『マイケル・ジャクソン観察日誌』(全記録の旧版)を読んで一番驚いたのが、有名なペプシCM撮影中の火傷の直後にワールドツアーが始まっているという点でした。
MJの鎮痛剤依存の問題、彼の死については、現在、まとめ中。
◎第三章 「マイケル」と闘うマイケルー絶頂期の混乱
『「エホバの証人」からの脱会』(P128)
MJは脱会後も、「僕はいまでも、エホバの証人だよ」と語っている。
規律の厳しい宗教会派から脱会して、それを否定しない人間は非常にめずらしい。
それ以外でも、彼が過去を否定することは、めったとない。という希少なパーソナリティーに関して。
『“BAD”の低評価』(P128)
なぜ“THIS IS IT”のセットリストには、“BAD”が多かったのか?
『グラミーでの屈辱』(P133)
膝から落ちるパフォーミングで、膝を故障。。。
ダンサーとしてのMJは、いかに肉体を酷使していたか。
疲労や、ボディメンテに関して、なぜ情報が出てこない?
『“DANGEROUS”の季節』(P138)
“BAD”のセールスを超えた“DANGEROUS”が、なぜ彼の最高傑作と言われなかったのか?
「エンターティナーはひとりの人間(パーソン)でなく、ひとつのイメージを持ったパーソナリティとなってしまう」。有名になればなるほど、みんなその人物を変わり者に仕立てようとする。と、MJはホイットニーに語っていた。
☆☆☆☆☆(満点)
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[内容説明]
マイケルにまつわる誤解を解き、「THIS IS IT」の魅力に迫る!
世界でもっとも有名な家族・ジャクソン家の人間関係、絶頂期の混乱と「孤独」、マイケルをどん底に突き落とした「少年虐待疑惑」の真相、「THIS IS IT」での大復活の理由と、その知られざる舞台裏まで。
初心者からマニアまで、すべてのファンに捧ぐ、マイケル・ジャクソン入門書。
講談社 (2010/3/18)
[著者からのメッセージ]
西寺郷太です。今回の著作『マイケル・ジャクソン』は、映画「THIS IS IT」公開以降、たくさん増えた新しいファンに、マイケルの歴史を知るガイドブックになるよう、心がけました。さらに、大きく誤解されている93年の「少年虐待疑惑」について真正面から切り込んだ、日本で初めての本になっています。世界で最も愛され、最も誤解されたスーパースター・マイケルをより深く知ってもらうきっかけになれば嬉しいです。
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西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(2) by yomodalite | 2010-03-24 14:14
http://nikkidoku.exblog.jp/13191591/
まだメモ続きます。。今回は、西寺氏の最もお気に入りの写真集『Before He Was KIng』の写真を散りばめてみました♡
(←このフォトは、写真集には含まれていません)
◎第三章 「マイケル」と闘うマイケルー絶頂期の混乱(続き)
『テディライリーの回想』(P141)
MJは、GUYの「レッツ・スペンド・ザ・ナイト」が好き。(←“Spend the Night”の国内版タイトルのこと?)
この曲よりも、もっと強い曲という依頼により
“Blood On The Dance Floor”が生まれたと、
テディは語っている
◎Spend The Night - GUY
☆で、生まれたのが、私が大好きなこの曲!
◎Blood on the Dance Floor
「実際のコードやすべてを弾いてくれ...」
スタジオ全体を押さえ、寝室までもすぐ近くに作る。といったアルバムの作り方。
『映画への接近』(P145)
MJは本当に、音楽業界から退いて、
映画を作ろうとしていたのか?
『それぞれの兄弟たちのゆくえ』(P148)
“2300 Jackson Street“は、
なぜ彼らの最終アルバムになったのか?
☆傑作?BabyFace作曲「ナッシン」
◎nothin (that compares 2 u) - the jacksons
☆名曲!テディとジャクソンズ(当時4人)の共作。
MJ、ジャネット、リビーもボーカルとPVに出演。
◎The Jacksons - 2300 Jackson Street (1989)
◎第四章 銃弾と忘却ー少年虐待疑惑を検証する
『FBIの極秘資料公開』(P188)
ジョンレノンとMJが長期間捜査されていた理由。
“イマジン”と“Black or White”に共通する危険性。
◎『第五章「THIS IS IT」への道』
『逆風の90年代』(P193)
《西寺氏の意見》
「“80年代的”なマーケティング重視、過剰に装飾されたポップミュージックの否定」がその後のトレンドになったことがわかる。(引用終了)
“80年代”以降に否定されたことを、挙げていくだけで新書一冊分になる。
『マドンナの忠告』(P195)
黒人という帰属を失ったMJが、自ら選んだ帰属が“チャイルドスター”
でも、マドンナの忠告に耳を貸さなかったのは、彼が世間知らずのチャイルドスターだったからではない。
『ニルヴァーナの衝撃』(P199)
白人社会の収入格差の増大によって、ロック(白人音楽)が持っていた“文明批評”という部分は、資本主義への感情的嫌悪により、表現の貧しさを助長した。
(お金と知性の両方への否定)
90年代から、PVから急速にクリエイティビティが失われ、アーティストだけでなく、批評も死んだ。
アメリカ文化衰退と、世界との乖離が進む。
MJは、世界一お金持ちのエンターティナーとして、資本主義への最も先鋭的な批判者への道へ。
『“HIStory”の時代』(P203)
MJの“HIStory”(Disc 2)が、評価されなかった理由。
「怒りの表現のストレートさ」に困惑するファンを気遣い、最後はやっぱり“Smile”で締めざるを得ない、マイケルの優しさ
“Black or White”から“They Don't About Us”へ
『“ブラッド・オン・ザ・フロア”と「ゴースト」』(P211)
誰も評価できない領域に踏み込んだ、MJを客観的に観ることができたのは、MJ自身だけだった。アーティストにして、批評・分析・客観的能力を持ちすぎていた悲劇 ー「ゴースト」
「KING OF POP」の称号とともに「モンスター」キャラも自ら受認。
“笑顔”放棄の時代へ
『インヴィンシブル』(P215)
5年の歳月で30億円という巨額の予算。
これまで、子供たちと“子供同士の付合い”をしてきたと思われていたMJが、立派な父親になれた理由。
若い頃から歴史に残るという野望を抱いていた完璧主義者MJは、ついに最終段階へ。
『ジャクソンズ再結成』(P217)
(1)でも書いた、MJのソロ30周年を祝うコンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」
マイケルは、兄弟には厳しかった。
(マーロンよく頑張った!)
この2日間のコンサート最終日翌日が、
米国同時多発テロ“911”
“What More Can I Give”以外にも、目的に合わせて取り出したメッセージ色の強いオリジナル未収録曲は、この後にも“I Have This Dream”(カトリーナハリケーン)“We've had enough”(イラク戦争に対して)など。
☆“I Have This Dream”のスピーチヴァージョン
◎Michael Jackson I have this dream! 2009
☆上記で使用されている、2002年のスピーチ《日本語字幕》
◎THE MESSENGER OF LOVE&PEACE
☆↓MJの反戦歌
◎Michael Jackson - We've Had Enough (NEW Music Video)
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西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(3) yomodalite | 2010-03-25 11:29
http://nikkidoku.exblog.jp/13200143/
<略>